生きがいの壁もまた厚いもの!!

   ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 土砂降りの雨の中、センチメンタルなときが何ともよい調べのように心地よい不思議

オウムに翻弄された人生[中川智光]その人の家族を知るだけに

「どうして?」の思いが脳裏をいつまでも駆け巡る。

(ここでの知る人は店主と単にお客の関係以外の何物でもない]

高学歴に裏付けされた多くの信徒たち。

あるべき姿の迷路の中での苦しみまでも生み出してしまうはかなさを

やりきれない思いで拝見しています。

織りなす「人生のあるべき姿」を時空の中でもがき

苦しみ到達したのがオームの教義ということなのだろうか…?

 みこちゃんには、とっても理解しがたい世界…

 まさにマインドコントロールの世界

 無宗教であることで、人生の谷間もみんな引き受けた中での人生

 思い返せば、つらくて辛くて闇をの世界

どれほどさまよい続けてきたことだろうか。

 今振り返れば

随分回り道であったり下らない世間の風に吹きさらされ

戸惑い続けた人生そのもの…

 でも思う。

闇夜の迷路があったからこそ

ほんのわずかな光までも

神々しく思えるようになった人生ではなかったろうか。

 この年を迎えたことでまどイ続けた人生であったからこそ

今空っぽのような時を過ごせていることに(今が一番幸せ)と大空の両親に伝えたい。

 親友3人組とは

「お互い用なしになったなら、一緒に住み、来る日も来る日も

日向ぼっこをしながら人生終えたいものね」との言葉に

涙を流しながら分かれた。

 心の二十ロックを開放できたからこそ

見えてくる青空もあろうというもの

人は人の中でしか癒されないとの思いを強くしています。

         

  村上春樹『約束された場所で』

この中から信者の声を集めてみました。

すべてこの本からの引用です。

 入信するのはどんな人か

・心を開いて話せるような相手はいません。みんな受験勉強に熱中しているか、

あるいはがらっと違って車とか野球の話とかばかりです。

・就職して結婚して家庭を持って老後を迎えて、というお定まりのコースを、オ

ウムに惹かれる人たちって、そういうコースが幸せな道なんだって鵜呑みにしていた人

たちではないと思うんですよ。違和感を感じていると思うんです。これがマトモで幸せ

な人生だなんて感じていない。

・今までいろんな人たちが、社会をよくしようとか幸福な社会をつくろうとか、

いろんなことを言っているわけだけど、どんどん悪くなっていく。例えば、人類の歴史

の中で膨大な知識が生まれてきて、図書館に行けばいっぱい本があるけれど、それらを

全部読む人がいるんですか? その中で本当に役立つものは何ですか? それだけ人類

が何千年もかけて知恵を結集させてきたのに、なぜ社会はよくならないんですか? ど

うして戦争がなくならないんですか? 生きがい、人生の苦しみの問題にどうして答え

が出ないんですか? どうして人間は進歩しないんですか?

  悩みに答えて

・そこで悶々としている人たちに、オウムは自分が何をすればいいのか、根本的

なところで「これが答えだ」と教えてくれるわけです。人間は絶対幸福に至らなければ

ならない。その最短の道をオウムの修行体系である。

他の宗教では、それをガーンと言ってくれるところはありません。

・「解脱・悟り」という自己の救済、「衆生済度」という他の救済。この目標が

自分たちの活動により実現できると信じていました。オウムが、麻原が描き出した目標

は、私の求めていたものとあまりに合致していました。自己を高めたい、他のために何

かをしたいと考える私は、あらがう術もなく、オウムに引きよせられていきました。

  麻原についていこう

・オウムの本を読んでいちばん心地よかったのは、「この世界は悪い世界である

」とはっきり書かれていたことです。僕はそれを読んですごく嬉しかった。こんなひど

い不平等な社会は滅んでしまったほうがいいと僕もずっと思っていましたし。ただし僕

が「世の中なんてあっさり滅んでしまえばいいんだ」と考えているのに対して、麻原彰

晃はそうじゃなくて、「修行して解脱すれば、この悪い世界を変えることができるんだ

」と言っているのです。これを読んで僕は燃え上がるような気持ちを持ちました。この

人の弟子になって、この人のために尽くしてみたいと思ったんです。そのためなら現世

的な夢も欲も希望もみんな捨ててもかまわないと思いました。

・結局、僕が麻原さんについていけば大丈夫なんだって感じたのが、壮大な救済

ドラマだったわけ。三万人の成就者が出れば、世の中の人たちを救済できるって言って

たけど、そこなんですよ。もし単なる一兵卒で終わってしまったとしても、人生をまっ

とうできると思った。当時は、自分は存在していてもかまわないんだ、自分にも価値が

あるんだって思えた。

  仲間たち

・驚きました。道場の雰囲気がすごくよかったんです。みんな一生懸命。とくに

オバサンがすごく輝いていた。目が輝いているんです。自信がみなぎっている。びっく

りしました。

こうやって生き生きと輝いている人をつくっているところなんだって感じました

ね。こんなすばらしいところがあったんだ!

・みんな開けっぴろげで、親身になって人の話を聞いてくれるし、自分の悩みや

苦しみも話してくれる。

そういうこともあったので、私のほうもすぐに心を開いてしまいました。

  充実感、使命感

・「人は何のために生きるのか?」

 この問いに対する答えを与えられ、その実現に向かっていると信じていたわけ

ですから、オウムでの生活は精神的に充実していました。

・すごい充実感がありました。まったく疲れは感じませんでした。

・自分のためではない、本当に人のために何ができるか考えていたんですよ。す

べてを断ち切って救済のために自分を捧げていました。

・現代におけるオウム真理教団という存在は、戦前の「満州国」の存在に似てい

るかもしれない。(略)彼らの意志は純粋であり、理想主義的でもあった。おまけにそ

こには立派な「大義」も含まれていた。「自分たちは正しい道を進んでいるのだ」とい

う確信を抱くこともできた。

彼らが共通して抱いていたのは、自分たちが身につけた専門技術や知識を、もっ

と深く有意義な目的のために役立てたいという思いであったのではないか。

  神秘体験

・具体的な修行法があって、それをやることで自分が変わっていく。それをする

ことで、一時的だけれども心が安定したり、光が見えたりとかの神秘体験が起こるもの

だから、これは本物だと確信してしまう。

・初めての体験(神秘体験)の感動は「今までこのために生きてきたんだな」と

思うほどでした。

・ちょっと修行をしただけで目に見える結果を出せたことは、すごいと思うんで

すよ。

  麻原の魅力

・フツーのオジサンというところも魅力だったと思いますよ。聖人君子然として

いないんです。絵に描いたような聖者じゃないんですよ。だから、「オマエたちの苦し

みはみんなわかっているんだよ」という言葉に現実味がある。生まれたときから清らか

な道だけを歩いてきたわけではない。悪いこともいっぱい知って、そのうえでこの道を

選んだ。だから、「オマエたちの苦しみはみんなわかっているから、その解決方法を教

えてあげよう」。そこに惹かれた人も多かったでしょうね。

・麻原さんって、感情の起伏が激しいでしょう。緩急の使い分けが巧みなんだよ

ね。これでもか、というくらい優しいときと、殺されるんじゃないかと思うくらい怖い

ときがある。修行やワークで失敗したりして落ち込んでいるとき、タイミングよく声を

かけてくれる。それから怒った後に「オマエとは前世で縁があったんだから、そんなこ

とするなよ」ってボソッと言うから、泣けてくるくらい感激する。

・自信がゆらいできて、自分もたいしたことやってないって感じる。だけど、「

私はあのとき尊師と実際にお会いしてお話ができたんだ」なんて思い直して、自分だけ

は違うってことをいろいろ導き出してくるんですよ。

それがなぜ

オウム真理教にかぎりません。

すべての宗教は生きがい、生きていく道を与えてくれます。

それがいつの間にか、自分を失い、人を傷つけてしまう。

これもオウム真理教にかぎらないことです。

どこでおかしくなるのでしょうか。

1,麻原個人の性格

被害者という妄想

ハルマゲドンという妄想

救世主という妄想

麻原の「毒ガス攻撃されている、出家できるものは出家しなさい」という一連の

説法

昨日まで法友だった人間を平気でスパイ扱いする。

2,麻原が絶対者になってしまった

・殺人ということよりも「いかに自分がグルのために身を捨てられるか」、そこに意識

を持っていきました。

・事件はポアで、グルの深いお考えがあってやったことに違いないって自分を納

得させていたんです。具体的な事実を突き付けられても、信はゆるがなかったんです。

3,信者のエリート意識

・私も、一般の人に対して、自分は修行をしているから、あなたたちよりも上な

んだって感じるようになってしまったし、みんなそうでした。

・オウムには「自分たちは社会の人たちよりえらい」っていう選民思想があって

、中にいたときも、そんな傲慢な考えはやめようって思ったけどダメだった。

・サマナ(出家)の人たちって、徹底的に外の世界を嫌っているんです。外の世

界で普通に生活している人たちのことを凡夫って言うんですが、凡夫は地獄に落ちるし

かないんだとか、さんざん悪いことを言います。出家修行者なんて、たとえば外で他人

の車にぶっつけたって、悪いとも思いません。こっちは真理の実践者なんだという感じ

で、相手を上から見下ろしています。

村上春樹サリン事件の実行犯の裁判を傍聴してこう言っています。

この人たちはなんのかんの言っても、自分たちが<一般の方々>よりは高い精神

レベルにあるという選良意識をいまだに抱き続けているのだなという印象を受けないわ

けにはいかなかった。(略)たしかに出てきた結果は悪かった。反省はしています。で

オウム真理教というあり方の方向性そのものは間違っていないし、その部分までを全

否定する必要は認められないのです」と。

4,現実から遊離してしまった

オウム信者は、他者の存在が全く見えていないんじゃないか。社会と接してい

ても、オウムの教義なり観念なりで物事を見ているから、他者が入り込む余地がない。

物事のすべては教義を通した理解でしかなくなる。

・死ぬことに恐怖があるから、そういうふうに大騒ぎするわけですよね。死ぬこ

とに対して。だから死を知ればいいんじゃないでしょうか。

・論理的には簡単なんですよ。もし誰かを殺したとしても、その相手を引き上げ

れば、その人はこのまま生きているよりは幸福なんです。だからそのへん(の道筋)は

理解できます。ただ輪廻転生を本当に見極める能力のない人がそんなことをやってはい

けないと、私は思います。

・オウムの人たちの感覚から行くと、(地下鉄サリン事件をオウムが)やったや

ってないというのとは関係なく、それよりも自分が修行するかどうかが問題なんです。

・事件自体にも現実感を持っていないし、遺族の人たちが、オウムに対して憎し

みを抱いているということすらわからないでしょうね。

  なぜやめられないか

・指示に従わなければ、オウムにいることはできなくなります。そのことは生活

の基盤をすべて失ってしまうだけでなく、修行ができなくなり地獄行きになってしまう

と思い込んでいたのです。

・自分が何年も信じてきた教えを捨てるわけだし、それをやめてスタート地点に

戻る、その空虚感、虚脱感といったらねえ…。

・私がオウムをやめたとき、一番怖かったのが、ああ、やっぱりここで生きてい

かなきゃいけないんだ、どこにも逃げる場所がないんだってことだったの。

・社会の中でどういうふうに生きていけばいいのか、わからないわけです。また

、オウムでは、現世というのは非常に無常で無意味なもの。そう教え込まれているわけ

ですから、泥沼に入っていかなければならない苦しみもある。