死刑執行のりある!

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 死刑執行の流れの中で、罪の重さも知ることなく死刑執行されて

何の意味があるのだろうとは思いますが罪の重さが

解らないゆえに、その刑罰としての死刑があるのでしょうか。

 死刑執行の刑務官もお苦しみの瞬間であることも確かです。

死刑の執行リアルに接し、なんとも気が重い職務であるのだろうかと

お察しします。

死刑ボタンを押すことは命の消滅ボタンでもあります。

どうぞあの世において死刑者が身を清められますようにとがっしょう!

あの世においては皆同じ環境でしょうか?

     死刑執行刑務官のリアル。からの引用です。

 インタビューに応じたのは、33年間にわたり刑務官を務め、大阪拘置所勤務時代に死

刑 ねると「辛いけれども職務として自信をもって臨んで、また、今後に尾を引かないよ

う頑張って欲しい」と話す。

 「刑務官」とは、刑務所や拘置所の受刑者たちを更生させるために指導や監督などを

行う国家公務員だ。藤田氏が死刑執行に携わったのは「まだ末端の若い看守」だったと

きのことだという。

 「夜勤明けのときのことでした。通常は朝の8時に集合して解散なのですが、その日

は『今から呼ぶ者5名は、待機所で待機』という命令が出ました。居残りの場合は、『

今から誰と誰は裁判所に行け』などと言われるのですがが、"待機"というのは一体何だ

ろうと。まさか、という気持ちでおりました。待機室で『どうも執行ではないか』と噂

をしておりましたら、30分後くらいに管理部長室に一人ずつ呼ばれ『(死刑執行ボタン

を押す)執行係を命ずる』と言われました。みんな下を向いて、沈黙していましたよ」

 死刑執行が近づくと刑場の清掃が行われるため、刑務官たちの間に"近いうちにあるの

ではないか"という噂も流れていたという。しかし当時、自分にその役目が回ってくると

は思っていなかったという。

 「当時は、勤務成績の悪い者がペナルティとして執行係をやるのが相場だったんです

。私は真面目だったので(笑)、自分がやることはないだろうと変な自惚れがありまし

た。ところがその前の執行担当者のなかに、ボタンを押さなかった職員がいたそうです

。同じ形のボタンが5つあり、5人の係が一斉にそのボタンを押すことで、誰のボタン

が絞首台につながっているのか分からない仕組みにしてあるのですが、踏み板が落ちな

かったので発覚したのです。ただ、途中で執行を止めることはありません。刑場には故

障などに備えた非常用のハンドルがあり、万が一の場合はそれを動かすと踏み板が外れ

るようになっています。そういうことがあって、しっかりした真面目な者を選べという

ことになったと聞きました」。

 刑務官を拝命して間もない頃で、死刑囚に接触したこともなかったという藤田氏。執

行の意味を考えるため、自ら犯行記録に目を通したという。

 「その死刑囚はすでに70歳を超えていました。なぜ年老いた人を執行しなければいけ

ないのか、そのまま老衰で死なせてやってもいいのではないかという思いもありました

ので、自分を納得させるために記録を読みました。仮出所した際、お寺の住職さんが身

元引受人になり、自宅に下宿させ仕事まで見つけてくれたそうです。その恩を仇で返す

ように、奥さんと娘さんを強姦・殺したのです。これは許せん、被害者遺族に代わって

敵を討ってやらにゃいかんという使命感に燃えました。そういう正義感から躊躇なく押

すと決意したことを覚えています。だから一切躊躇することはなかったです」。

■死刑囚は『お世話になりました!』と泣いていました

 藤田氏によると、当時の大阪拘置所での執行までの流れはこのようになる。

 「まず屈強な職員が選抜され、監督者と合せた5名くらいで死刑囚が生活している独

居房に迎えに行きます。ドアを開けて『おい、出てこい』だけです。『なんですか?』

『いいから、出てこい』と連れ出します。執行するとは言いません。いつも独居房を出

るときは右側の中央廊下に行くんですが、死刑執行のときは左折して西側廊下に向かい

ます。そして執行を言い渡す所長が待つ2回の調べ室に向かいます。そこで所長が『お

別れの時が来ました。今から死刑を執行します』という主旨のことを言い渡し、『連行

!』という命令で刑場へと向かいます。刑場は建物の一番端にあり、廊下には万が一に

備えて5メートルおきに職員が立ちっています」。

 藤田氏が執行した死刑囚はもう高齢だったので、素直に連行に応じたという。しかし

刑場の直前、で藤田氏は死刑囚の涙を見た。

 「(刑場に向かう廊下では)1分1秒でも生きながらえたいという人間的本能で、世

話になった職員、顔見知りの職員を見つけると走り寄っていって『先生お世話になりま

した』とひとりひとりに挨拶していくわけです。ところが職員はどう答えていいのかわ

からないんです。『元気にやれよ』とは言えません。『しっかりやれよ』とも言えませ

ん。泣きながら手を取られると、職員も辛いんです。返す言葉がないんです。だから『

前へ進め!』と促して進んでいきます。私が執行した時も、『○○部長さん、お世話に

なりました!』と泣いていました。私は刑場の前で待機していましたが、いたたまれず

、ボタンを押すのが自分だと知られるのも嫌で、逃げるようにして部屋に入ったと記憶

しています」。

 刑場の中は、ごく普通の会議室のような雰囲気だったという。一番奥には祭壇があり

教誨師と"最後のおつとめ"を行う。祭壇は仏教、キリスト教と、本人の信仰に合わせ

て切り替えられるようになっている。しかし、刑場の方を向いてロープが見えると動揺

してしまうため、執行直前まで蛇腹のカーテンのようなもので死刑囚からは見えないよ

うにされていたという。

 「蛇腹を開けて、1メートル四方の踏み板まで連行し、後ろ手にして手錠をかけ、足

も手錠かひもで縛り、目隠しをして、ロープを首に掛けます。それで準備は完了します

。そして指揮官が『最後に言い残すことはないか』と確認します。死刑囚によって違い

ますが、『課長、オレはびびってませんで!目隠しなんかいりませんわ』という者もい

れば、震えて声にならない者もいます」。

 死刑囚の話が終わったあとに合図があり、死刑執行ボタンはそこで押されるのだとい

う。

 「話が終わった瞬間に、指揮官から『押せ』という命令が出て、5人が待機している

部屋に赤いランプが点灯します。一斉にボタンを押すと、刑場の中に『プシューッ』と

いうエアブレーキのような音が広がり、死刑囚の乗った床が『ドン』と外れるわけです

。死刑囚は地下に落ちていって、自分の体重で首が締まります。ボタンを押すのは死刑

囚が最後の言葉を話し終わったのを確認してからです。これが大事なんです。話してい

る途中に執行してしまうと、舌を噛んで流血し、非常に残虐になってしまうからです」

 刑場の下で、落ちてきた死刑囚の体を受け止める役の刑務官もいるという。

 「落ちてきたまま放置してしまうと、死刑囚の体がバウンドして左右に振れてしまい

、その様子が残虐だからです。大変難しい役目です。私が執行した際は、先輩が受け止

め役を命じられました。先輩は管理部長に対して『今後は勘弁してください。今まで10

回くらいやりました。もう孫ができる歳になりますから』と、盛んに断っておられたの

が印象に残っています」。

 死刑が執行された後、ボタンを押した5人の刑務官たちは、下に降りて遺体の回収に

も携わった。

 「医師が脈を測っていますが、だいたい12分は吊るしたままです。体重が重い方が早

く亡くなります。死亡が確認されると、5人で遺体を抱えて、上にいる職員にロープを

緩めてもらい、棺桶に入れます。役所が準備した花をちぎって棺に入れ、蓋をし、簡易

な遺体安置所まで移動させて、私たちの役目は終わりです。遺体は火葬場に運ぶ霊柩車

の到着を待ちます」。

■「死の尊厳」に対する敬意を抱いた

 任務から解放された刑務官たちは、会食をした。

 「当時のお金で3000円の手当が出ました。ただ、みんなほとんど会話せず、黙々と食

べていましたね。官舎に帰って女房に『おい、塩もってこい』と言い、体に塩を振りか

けて家に上がったのを記憶しています。女房は『あんた何かあったん?』と聞きました

けどね、私は何も答えませんでした。それ以後、このことに関しては一言も喋ったこと

はありませんし、質問も受けたこともありません。それはどういう理由かというと、い

わゆる"死の尊厳"に対する敬意だと思います。軽々に喋ったりできない、"無言の教え"

があったと記憶しています。他の刑務官たちともそういうことは一切話しませんでした

し、『あの時大変だったな』というような思い出話も一切出ませんでした」。

 藤田氏によると、かつては執行を前日に言い渡していた時代もあるという。

 「執行を前日に言い渡し、親族にお別れをしていた時代もありました。追い詰められ

て自ら命を絶つ恐れもありますので、翌朝まで独居房の前で刑務官が監視していました

。でも、死刑囚と将棋を指しながら、刑務官は何も会話ができない。『お前、元気にや

れよ』と言うんですか?『そろそろ寝ろよ』と言うんですか?あと余命が何時間で、寝

てしまったら生きてる実感がないじゃないですか。死刑囚は眠れないですよね。職員も

声のかけようがない、たまらない状況なんですよ。そういうことで即日執行に変わって

いきました」。

 刑務官の職務とはいえ、誰にも共有すること無く背負っていかなければならない厳し

い体験。苦しみや孤独に苛まれたことはないのだろうか。

 「壮絶な場面を見たので、苦しいというよりも、後から気がついたのはやはり死の尊

厳への敬意です。その人の性格にもよると思いますが。私には苦しみということは無か

ったと思います。もちろん、トラウマになる刑務官もいると思います。それは否定しま

せん。もう何十年も経ちましたが、私もその場面を全て鮮明に覚えていますし、嫌だっ

たなというのは確かに残っています」。

■死を持って償うのが死刑ですから、反省は求めません

 想像を超える体験を経て、藤田氏は死刑の是非についてどう考えているのだろうか。

 「死刑囚というのは、生きるか死ぬかの恐怖で極限の精神状況におかれていますから

、廊下を歩く刑務官の足音の違いにもビクビクしています。死の恐怖から逃れるために

宗教に救いを求めて、ある意味での悟りを得て、素直に執行に従う人もいますが、中に

は脱獄を試みたり、自殺したりする人もいる。それほど神経を研ぎ澄ませる中で、改心

するゆとりはないわけです。反省など机上の空論、理想論です。死を持って償うのが死

刑ですから、反省は求めません。死刑になるだけの残虐な犯罪をやる人というのは、通

常の精神や性格ではありません。教科書のような反省、悔悟というものを求める方が酷

で非現実的なことだと私は思います」

 その上で藤田氏は、こんなエピソードも明かした。 

 「死刑廃止論者の弁護士さんが唆して、精神病を装って執行を免れようとしていた人

もいました。いよいよ執行の日、心配して見ておりましたら、本人は『執行か、そうか

わかった』と、素直に応じたんですね。こんなこと言ったら申し訳ないですが、朝から

晩まで精神病を装っていたあの姿は何だったんだろうかと、可哀想に思いました。彼は

何も抵抗せず、堂々と逝きましたよ」。

 藤田氏の生々しい体験談に、日経ビジネスの柳瀬博一氏は「先進国では日本とアメリ

カ以外、死刑を執行しなくなっている。どういう理由があるにせよ、戦争以外で国家が

人を殺めることに対する否定的な見方が社会通念になってい」と指摘した上で、「藤田

さんの