韓国の青年、日本兵として戦地に散った。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 第二次世界大戦において、日韓のはざまレ青年兵として日本軍人として

戦争の犠牲になられたお方を今なお弔っておられるお方があるという。

その御霊の「帰郷祈願碑」の建立をも韓国の両親は拒んだという。

日本に渡っていただけで後ろ指支えるような暮らししか両親にも

韓国においては用意されていなかったのであろう。

異国において、戦地に散った我が息子。

祖国において幾久しく我が子を弔いたいと思うのはごくしぜんのすがたではないのか?

いつの世もそうであるように皆等しく悲しみを分かち合うことなど皆無である。

 日本においても被爆者者であることまでも隠さなければならなかったのはなぜなのでしょう?

?戦争の大きな犠牲者ではありませんか・・・?

 まして韓国からの青年の心中はいかばかりかと思わずにはいられない。

 黒田さんのことは存じ上げないけれど、まったく飲む関係者であるように思われる。

このようなお方が、韓国人の犠牲者にお気持ちを寄せられることには感動です。

このようなお方がこの世にいてくださるだけで

心の渇きすらいえるようでございます。

 ミコばあちゃんも、このようなお人との出会いがあることだけで気持ちが満ちる思いです。

 黒田さんのご健康とますますのご活躍、そっとお祈り申し上げております。

   朝日コムより。

日韓の間、埋もれた慰霊碑 黒田福美さん「弔い続ける」

第2次世界大戦で犠牲となり、日韓のはざまで埋もれた人たちがいる。日本の軍人・軍属として

亡くなった朝鮮半島出身者だ。「日本人」として死に、韓国では「反民族行為者」と見なされ

た。俳優の黒田福美さん(61)はそんな人々を弔う碑を韓国に建てたが一部から抗議を受け

、横倒しになったまま。現地での追悼は今秋、10年目を迎える。

「帰郷祈願碑」と刻まれた碑は韓国・ソウル近郊、竜仁市の寺にある。

きっかけは25年ほど前、黒田さんが見た夢だった。青年が現れて言った。「僕は朝鮮人なのに

、日本の名前で死んだことが残念だ」

黒田さんは東京の靖国神社や、国籍を問わず戦没者らの名を刻んだ沖縄の「平和の礎(いしじ)

」などを訪ね、戦時中、鹿児島県の知覧にあった特攻基地から沖縄の空へ飛び立ち、亡くなっ

た一人の朝鮮人青年、「卓庚鉉(タクキョンヒョン)さん」のことを知る。調べていくうちに

引き寄せられていき、夢の青年と信じるようになった。

2000年2月、卓さんの親族に会いに韓国を訪ね、彼の碑を建てたいと申し出た。しかし、設

置場所に選んだ故郷・泗川市の住民から「なぜ1人だけ弔うのか」と言われたという。

厚生労働省によると、日本の軍人・軍属のうち、朝鮮半島出身は約24万人、死者は約2万2千

人とされる。経済的な理由から志願した人もおり、「日本にくみした」として非難された。韓

国内では近年、徴兵・徴用された人への名誉回復の動きもあるが、そうした戦没者の存在を周

囲に知られまいと、身内の中には口にするのも拒む人がいる。

黒田さんは泗川市で慎重に建立…