高齢者は、冬場での入浴にご用心!

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

今日の深夜は冷機など感じられないほどの温かいスタートです。

 熱中症といえば、真夏の高温を連想しがちです。

ところが入浴中の熱中症もあることに驚かされております。

お風呂での死因の半分はこの熱中症ともいわれています。

寒さ厳しいこの時期、お風呂の死亡事故をよく聞いてもおります。

少しお酒を飲んでお風呂に入り、頭がボーとして気分が悪くなり

意識さえも遠のいて、その場に倒れた経験があります。

これもすぐ外にはい出て、冷たい空気に触れたことで事なきを得た経験があります。

やはり脳に血流がうまくいかなくなるのでしょうかねえ。

高齢者になると、温度センサー機能が低下傾向となり、水際で防ぎにくいのも確かのようである。

 ミコばあちゃんが気配りしている入浴は。

入浴前には水分を取る。

お一人暮らしなので日中に入浴を心がける。

長風呂は避ける。

熱いお風呂が好きなので注意したいものである。

    朝日コムからの一文。

宅で入浴中に熱中症? 冬場の入浴、死亡事故に注意を

昨年末、80代の夫婦が大阪市内の自宅の浴槽で亡くなった。大阪府警は「熱中症により、もう

ろうとしておぼれた」と判断した。冬場に多い、入浴中の死亡事故。急激な寒暖差で起きる「

ヒートショック」に加え、熱い湯へのつかり過ぎにも注意が必要なようだ。

夫(当時85)も妻(同83)も足が悪かった。夫は買い物や入浴などで一部支援が必要な「要

支援1」。日常生活全般で介助が必要な「要介護4」の妻を助け、万一に備え、いつも2人で

入浴していたという。

昨年12月29日。午後9時半ごろ仕事から帰った次男(58)は、風呂場の明かりに気がつい

た。「ふだんより時間が遅い」と感じたが、疲れもあり、そのまま1時間ほど仮眠。起きると

まだ電気がついていた。あわてて浴室に入ると、両親が浴槽内で同じ方向を向き、ぐったりし

ていた。

湯を張った際の設定温度は、いつも通りの48度。入浴時に何度だったかは不明だが、発見時の

2人の体温が高く、他に病気の症状も見られないため、熱中症による溺死(できし)と判断さ

れた。1人がもう1人に寄りかかり、身動きがとれなくなった可能性があるという。

旅行好きで、連れ添って北海道から沖縄まで出かけた2人。「仲のいい両親でした」と次男は振

り返る。このところ、父は外出時に杖を使うようになっていたが、「まだまだ元気だと思って

いた」と声を落とした。

花粉症ついて。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです

昨日はとても暖かく、久しぶりに草取りdayでした。。

 今年の花粉情報は二月下旬より始まり、花粉量もおおいいようです。

 ミコばあちゃんはお医者に行くほどではありませんが、それでも悩む一人です。

 この疾患は国民病ともいわれ、いろんな予防対策が言われ続けてきました。

それでも効果があったのかなかったのか、いまだに多くの患者さんが増え続けております。

幼少期から、スギ花粉は飛び続けていた環境で生活してきていながら

どうして高齢になって、発症するんだろうと?です。

むかしはこのようなことがさわがれていたのだろうか?

 この時期になると、洗濯物は干せないし、窓は開けられないし

布団も干すことがかなわず、いらいら減少もピークとなりがちで精神的にも

つらい時期です。

これを乗り切る方法にはいつもたどり着けていない。

    朝日コムの社会面より。

花粉症治療、あなたに合うのは? 新薬増え選択肢広がる

スギの花粉が飛び始め、本格的な花粉症シーズンが始まった。鼻水やくしゃみなどを抑える薬の

種類が増え、花粉の飛び始めにする治療では新たな薬が選択肢に加わった。時間をかけて「体

質」を変える方法も、その実力がわかってきた。

〈花粉症詳しい湯田厚司医師に聞く〉

日本気象協会の予測によると、今シーズンの花粉の飛散量は、九州から東海地方にかけて多くの

地域で例年を上回り、関東や東北などではやや少なくなる見通し。スギ花粉の飛散は2月下旬

から3月下旬にかけてピークを迎えるという。

山梨県市川三郷町の女性(56)は20年以上前から花粉症に悩む。以前は薬を飲んでもくしゃ

みと鼻水が止まらず、1日で自宅のごみ箱がティッシュでいっぱいになっていた。

2年前から、鼻の中に噴霧するタイプのステロイド薬を本格的に使う。医師に処方してもらい、

1日1回、シュッシュッと2度吹き付ける。今年も2月初旬から使い始めた。「くしゃみが少

し出るけれど、あまり気にならない」と話す。

花粉症の治療で最もよく使われるのは、「第2世代抗ヒスタミン薬」という種類の飲み薬だ。く

しゃみや鼻水を抑える効果が高く、早いタイプでは飲んで20〜30分で効果が表れる。鼻づ

まりがひどい人には、「抗ロイコトリエン薬」がよく使われる。

鼻アレルギー診療ガイドラインでは、症状のタイプに応じて薬を選び、重い場合は異なる種類の

薬を組み合わせることを勧めている。2016年版からは、初期の治療の選択肢として鼻噴霧

ステロイド薬が追加された。炎症を抑える作用があり、花粉症の代表的な症状であるくしゃ

み、鼻水、鼻づまりのいずれにも効果があるとされる。

最初に始めるのは、鼻噴霧ステロイドがよいのか、抗ヒスタミン薬なのか。どちらが効果的かを

比べた山梨大などのグループの研究によると、鼻噴霧ステロイドから始めた人たちの症状の程

度は、抗ヒスタミン薬の人たちの半分ほどで済んだという。

ステロイドには、免疫力が落ちて感染症にかかりやすくなるのではないかという懸念がある。し

かし、山梨大の松岡伴和(ともかず)講師は、医師が処方する鼻に噴霧するタイプは血液中に

ほとんどステロイドが移行しないため、花粉症シーズンに限っていれば、毎日使ってもこうし

た副作用が出る可能性はほぼないと説明する。

ただ、鼻に薬を噴霧すること自体が刺激になると、抵抗感を抱く人も少なくない。ガイドライン

編集委員代表の大久保公裕(きみひろ)・日本医科大教授は「いつも症状が重くなりやすい人

には鼻噴霧ステロイドがお勧め。それほどでもない人や、噴霧が苦手な人は飲み薬から始めて

もいい。担当医とよく相談してほしい」と語る。

鼻噴霧では効かない重症の人には、飲むタイプのステロイドもある。ステロイドが全身に及ぶた

め、1週間以内の使用にとどめたほうがいいという。

最近は、処方箋(せん)のいらない市販薬も多くの種類がある。それぞれの症状に応じた薬をう

まく選ぶためにも、松岡さんは「まずは医療機関を受診してほしい」と呼びかける。

■手軽な「舌下免疫療法

花粉症の体質を変えたい人には「アレルゲン免疫療法」がある。原因物質を少しずつ体に入れて

、体を花粉に慣れさせる方法だ。以前は注射しかなかったが、より手軽な「舌下免疫療法」が

14年から公的医療保険の適用となった。

1日1回、決められた量を舌の下に垂らし、2分間そのままにする。シーズン中に開始すると逆

に症状が重くなったり、副作用が出やすかったりするので、終了後から始める。効果が出るま

でには2年間は続ける必要があるとされる。

ゆたクリニック(津市)の湯田厚司(あつし)院長らは、この療法を2年続けた患者133人の

効果を調べた。症状がゼロか軽症になって薬がいらなくなった人が2割あまりいて、ほかの治

療よりも効果が高かった。副作用で口の中がかゆくなることなどがあったが、重いものはなか

った。

「『完治』までいかなくても、つらい時期を大幅に短くできた人もいる」と湯田さん。講習を受

けた医師しか処方できないため、まずかかりつけの医師に聞くとよいという。(〈田村建二〉)

超高齢化はもうそこまで・・・ ・・・。

    ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです

今日の真夜中も、ひところの寒さもなくほっとさせられます。

 まもなく、段階世代の高齢化が始まろうとしております。

こうなると、格差の高齢者は属失し、施設の空きのない実態、高額料金でないと入所できない施

設であったりと、簡単には高齢生活を維持することさえもできない時代に突入すると想定する

ならば、できる防衛は努力をもってやっておかねばと、改めて心引き締まる思いです。

 ミコばあちゃんのお知り合いで、ご主人に早く死に別れ、お一人暮らしのお方に出会ったのが

、そのお方が69歳のころだったでしょうか。

お尋ねすると、いつもご自分の将来の不安を語られておられました。

 そのお方は学校にお勤めだったので、その後はお茶と、お花を 教えておられたので、経済的

には何の心配もない環境でした。

それにとても矍鑠としておられ、お尋ねしてもその生活ぶりも凛とした空気が

漂っているご様子に、こちらの背筋も少し伸ばさなければと思わされたものでした。

 そのお方が、周囲にご迷惑かけてはと72歳で施設入所され

入所わずか三年で認知症を発症され、ご病気で

78歳にはご逝去されておられたのには驚きを禁じ得ませんでした。

 また同行援護のお方は、77歳で今なお現役です。

お元気ぶりを お尋ねすると、ダンス、体操教室、強歩など

それなりに楽しみながら努力されておられるご様子に

やはり、高齢化の備えはできる範囲内で、努力したいと思えたものです。

      読売コムからの一文。

超高齢社会は「格差あらわになる」…五木寛之

作家の五木寛之氏、社会学者の古市憲寿氏が14日、BS日テレの「深層NEWS」に出演し、

超高齢社会が抱えるリスクについて語り合った。

五木氏は「高齢になるにしたがって健康面、経済面での格差があらわになる。はっきりと明暗が

分かれてしまい、そこが不安の源となっている」と指摘。古市氏は「私たちの世代は親の介護

という不安と戦っている。自分を育ててくれた人を逆に介護する立場になるという精神的な怖

さがある」と述べた。

2017年02月14日 22時59分

Copyright (c) The Yomiuri Shimbun

ミコばあちゃんフンドシのお話。

     ご機嫌いかがでしょうか

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 微風もなく静寂そのものの深夜です。

 昔、「越中ふんどし」のことはよく耳にしておりましたが

近頃では聞くこともありませんでした。

 朝日の記事に触れ、びっくりびっくりでした。

しかも女性も「ふんどし」の愛用者もいるとは「トホホノホ」でした。

越中富山の分銅氏」は懐かしいところです。

何か健康にも関連するのかと、さっそくけんさく!

 ありましたありました「ふんどし」の効用。

睡眠時に、パジャマの下には、何も身に着けない話はありました。

睡眠時に締め付けることは、皮膚呼吸の妨げともなっていたり

血液、リンパの流れが損なわれたり、脈拍、呼吸数が高まることで血圧を

高めることになっていたり、体温の低下、デリケートゾーンが群れることで

酸欠が招く細菌の繁殖など不健康を、気が付かないうちに蓄積していたこと

だけでも認識できてよかったと思っています。

おなかの部分が二重構造になったりするのでおなかにも優しいですね。

 簡単構造なので「ふんどし」づくり、タオル地で作って

お試ししたいものです。

良眠が訪れるだけでもうれしいお話でした。

ふんどしと健康 | 一般社団法人 日本ふんどし協会

http://www.japan-fundoshi.com/%E3%81%B5%E3%82%93%E3%81%A9%E3%81%97%E3%81%A8%E5%81%A5%

E5%BA%B7

    朝日コラム記事の一文。

猫柄・フリル、これも「ふんどし」 開店3年、女性も

2月14日は語呂合わせで「ふんどしの日」。ふんどしの魅力に触れた女性が、長崎市のオラン

ダ坂近くに専門店を構える。「3日でつぶれる」と周りに言われながらも、開店から約3年。

今では健康に気を使う若い女性から長年愛用する高齢男性まで、お気に入りの一品を求めて足

を運ぶ。

〈ネコ好きのあなたへ〉

長崎市大浦町。港を望む海岸近くに、ふんどし専門店「TeRAYA(テラヤ)」はある。大浦

天主堂や孔子廟も近くにあり、観光客も多い場所だ。外見は小粋な雑貨屋。中に入ると、花柄

などカラフルで様々な形のふんどしが所狭しと並ぶ。

手拭いのような長い布にひもを付けた「越中ふんどし」、布を二つ折りにした形の「もっこふん

どし」など3千円前後の商品を100種以上扱う。店主、かのこゆりさんが自らデザインする。

特別支援学校の教員として17年間働き、子どもたちとその周りにあふれる優しさに触れてきた

。「今まで形に見えないものをもらってきた。今度はそれを形にして遠くにいる人まで喜んで

もらうことをしたい」

そんな中でふんどしに出会った…

ミコばあちゃんの中で、「おかれた場所で咲きなさい」は永遠です。

 

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

本日は窓越しの日差しがうれしいスタートです。

 昨日、ノートルダム学園理事長の「渡辺和子」さんのお別れの会には

卒業生をはじめ多くの関係者が出席されたとのこと。

生前、よくNHKの対談でよく拝見させていただいた印象からも

物静かな語りとその内容に、いつも引き込まれ余韻を引く内容でした

 ベストセラーとなった「おかれた場所で咲きなさい」は、

いつまでも私の中で生き続ける言葉となっております。。

人はどのような場所でも幸せを求めることができる。

これは見えなくなったミコばあちゃんも、今では実践の中から、

長い長い気が遠くなるほどの時の経過とともに深く感じることができてます。

 つらい日も笑える日につながっている。

これも、長いトンネルであればあるほど抜けきることのできた

景色すべて喜びとしてとらえることもできる。

これらは、言葉だけ、なぞっていたのでは第一印象としては

宗教色を感じてしまったりもする。

 神は力に足りぬ試練は与えない。

これはいまだ咀嚼不能です。

 不平を言う前に自ら動く。

価値観は、実行している人から伝えられる。

一人の人格として生きるには

まず考え、次に感じ、それから行動する。

だけど体験を通してでなければ味わい深い内容とはなりにくい物に思える。

ベストセラーとなった(おかれた場所で咲きなさい)は心に残る内容です。

    渡辺和子先生のご冥福を 心よりお祈りいたします。

   朝日コムからの一文。

 また最後の別れに3500人 岡山

岡山市で開かれた、ノートルダム清心学園理事長渡辺和子さんの学園葬=12日午後、共同

「置かれた場所で咲きなさい」のノートルダム清心学園理事長

200万部を超えたベストセラー「置かれた場所で咲きなさい」の著者で、昨年12月に89歳

で死去したノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さんの学園葬が12日、岡山市内のホテル

で開かれた。学園関係者や政財界から約3500人が参列し、最後の別れを惜しんだ。

学園葬は追悼ミサとお別れの会の2部構成。ミサでは厳粛な雰囲気の中、司祭の導きで賛歌や祈

りがささげられた。お別れの会では在校生やカトリック学校関係者らがお別れの言葉を述べ、

参列者が順番に献花した。

渡辺さんは北海道旭川市出身。1963年にノートルダム清心女子大学長に就任し、90年から

学園理事長を務めた。(共同)

伝え続けてほしい、水俣病事件。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 寒いなりにもピークを感じる暗闇の深夜です。

 

水俣病

胎児性患者が、生まれながらに背負ってきた日々に思いを寄せるとき、同じ障碍者としては涙が

ひとりでに伝わってきます。

  母親が水銀汚染入りの魚貝類を食べたことで、自立さえままならない苦悩を背負って誕生す

る難って誰が想定できたであろうか。

運命のいたずらとして、処理などできようはずがない。

 母親の日々の苦悩はどうであったろう。

これに関する本を読んだだけでも胸がかきむしられる実態に

関係者はわが子に照らし合わせていただきたいものである。

赤ちゃんを抱きあげた喜びさえも奪うこの水俣病

残酷な企業責任は重いだけでは済まされない。

障碍者として生活することの大変さは想像に余りあるものがある。

 報道関係者もこの記事はこれからも伝え続けていただきたいものです。

 ミコばあちゃんも、障碍者の一人として、防げる障害は徹底的に

少なくなることを願わずにはいられない。 水俣病からすでに60年とは・・・ ・・・。

   朝日コラムからの一文。

 38年ぶりの石川さゆりショー 水俣病患者ら企画し成功

水俣病の胎児性患者らが企画した石川さゆりさんのコンサートが11日、熊本県水俣市で開かれ

た。石川さんは熊本県出身で、38年余り前にも、患者の呼びかけに応えて水俣でマイクを握

った。還暦を迎えた患者たちは車いすの上で耳を傾け、20代だったあの頃に自分を重ねた。

胎児性患者は生まれながらに水俣病を背負う。原因企業チッソが海に流した水銀で汚染された魚

介類を、知らずに食べた母の胎内で影響を受けた。障害を抱え、成人しても自立の壁にぶつか

った患者たちは前回、「人に認められることを成し遂げたい」と石川さんの公演を発案。周囲

の協力も受け、「石川さゆりを招(よ)ぶ若い患者の会」として1978年9月に実現させた。

水俣病は昨年5月で公式確認から60年。患者たちも還暦を迎えた。60年を機に、前回の中心

だった胎児性患者の滝下昌文さん(60)らが「若かった患者の会」を結成。再び石川さんを

呼ぼうと動いた。仲間の多くが体の機能低下などで車いすの生活となる中「みんなで何かでき

るのは最後かもしれない」とチケット販売や宣伝に駆け回り、公演にこぎ着けた。

11日の公演前、仲間の患者7人と壇上に登場した滝下さんは、もつれる口でゆっくり述べた。

「多くの人に助けられて今日を迎えられました。これからも私たちの人生は続きます。石川さ

んの歌、そして力を貸してくれる皆さまの思いが生きる力になると思います」

石川さんは「津軽海峡・冬景色」など20曲を熱唱。「お互いに20歳のころにお会いし、還暦

を迎えた皆さん。どこまでこの道が続くのかわからないけれど、一生懸命に生きていかなきゃ

いけないなと思いました」とステージで語りかけた。

公演後、患者たちと臨んだ記者会見では、こう述べた。「(水俣病は)歴史の中の出来事じゃな

くて、教科書の1、2行のことじゃなくて、(患者の)みんなが一生懸命生きていることを忘

れないでいただきたいです」

ミコばあちゃんの死に自宅。

    ご機嫌いかがでしょうか

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 今日はとても冷え込んでいて、-3度は超えそうな冷え冷えとした深夜です。

 ミコばあちゃんも、もう死に自宅の必要な年齢となり

相談者もいない中、自己決定にあたりあまりにも知らないことが多すぎる。

 無料に近いほどの土地においてもこれらの移動ができていないと土地を動かすこともできない。

本人の死後に当たっては、同意書の作成のため、多くの署名が必要となり

ご迷惑の少ないendingって少ないのではなかろうか。

すっきり状態で、引き算による人生を楽しむこともなかなかである。

残されたものに大きい負担をかけることにもなる。

 田舎においては、二代前からの土地がそのまま放置されていたことで

大変な手続きに奔走しなければならないようだ。

家を建て直すにあたっても、多くの署名が必要となる。

    新聞記事の一文。

【正論】超高齢化社会の到来… 遺言で新たな社会貢献の決意 実りある「終活」へ 日本財団

会長・笹川陽平

遺言書の作成は遺産相続に伴うトラブルを低減させるだけでなく、人生を見つめ直す格好の機会

となる。しかし残念なことに、わが国では寄付と同様、遺言文化も低調である。

≪必要性を認める人は60%≫

一方で人口の4人に1人を65歳以上が占め、さらに少子高齢化が進む現代は、1人でも多くの

高齢者の社会参加が、次世代の負担を軽減するためにも欠かせない。

高齢者の社会参加を促すきっかけとして本年から1月5日を「遺言の日」と決め、広く遺言の普

及・拡大を呼び掛けたく考える。

日本財団が昨年3月、全国の40歳以上の男女約2500人を対象に行った意識調査では、61

%が遺言書を残す必要性を認めた。しかし実際に遺言書を作成していた人は3・2%にとどま

った。

「遺言は紳士のたしなみ」の言葉もある英国では、75歳以上人口の80%以上が遺言書を作成

し遺言が文化として定着している。だからといって日本に遺言文化の下地がなかったわけでは

ない。奈良時代養老律令には遺言制度に関する記述があり、中世も庶民の間では遺言相続の

慣行があった。

しかし江戸時代の家父長的な家制度、さらに長男1人が戸主の地位や全財産を引き継ぐ明治以降

家督相続制度によって、遺言文化は下火になった。

1947年の民法改正で家督相続は均分相続制度に変わったが、「老いた親の老後の面倒や家を

継ぐのは長男」といった形で、今もその影響が残り、遺言文化が普及しない一因となっている。

とはいえ公証人の助言を得て作成される公正証書遺言でみると2014年は約10万5千件(日

本公証人連合会調べ)と10年間で1・5倍に伸びており、遺言に対する関心は徐々に高まり

つつある。

昨年末、実際に遺言書を作成した40歳以上の男女200人に、対象となった資産額を聞いたと

ころ、5千万円超が61人、1千万〜5千万円が64人、1千万円未満が75人。遺言書の作

成は金持ちや資産家だけでなく、ごく一般の家庭にも広がりつつある。

≪単なる財産分配ではない≫

7割以上は遺言書の存在を家族に知らせ、「今後の生活や家族・親族間に相続争いが発生する不

安が減った」と答え、希薄となった親子関係を再確認し、遺産相続をめぐる不要なトラブルを

減らす効果も出ている。

少子化の進行で法定相続人がいない人や遺産を公益性の高い団体などに譲渡し社会課題の解決に

役立てる遺贈寄付も増え、受け皿となる組織も整備されつつある。

われわれが昨春、開設した遺贈寄付サポートセンターにも69歳で亡くなられた女性から、「世

界の恵まれない子どものために」と1億5千万円の遺贈寄付があり、全額、ミャンマーでの障

害児支援施設の建設に活用された。

以上が、わが国における遺言の現状であり、全体に望ましい方向に向かっていると思う。

しかし本稿では、遺言書の作成に、単なる財産の分配ではなく、新たな社会貢献の決意という、

より大きな役割を期待したい。死後に遺(のこ)す本人の思い(遺言)を書面にまとめる厳粛

な作業を通じて過去を振り返り、残る時間を有意義に過ごす覚悟を固めれば、実りある終活に

もつながる。

わが国は20年後、3人に1人が65歳以上の超高齢化社会を迎える。大半が70歳前に現役を

引退する現在の形で、次世代が高い社会負担に耐えられるとはとても思えない。

高齢世代が戦後の日本の繁栄を担ったのは間違いないが、その一方で国債や借入金など「国の借

金」も国内総生産(GDP)の2倍近い1050兆円に膨らんでいる。放置すれば次世代の負

担はさらに膨張し世代間の対立も深まる。これを乗り切るには、高齢者が可能な限り社会活動

に参加し、その一端を担うしかない。

≪次世代の負担を軽くする≫

もちろん受け皿となる制度や仕組みの整備は欠かせない。しかし何よりも必要なのは、高齢者一

人一人の自覚と覚悟である。

高齢者による高齢者の介護や子供の貧困支援など社会貢献の場はいくらでもあり、そうした努力

が次世代の負担を軽くする。

本稿では遺言を題材に超高齢化社会における高齢者の生き方を論じている。違和感を覚える向き

があるかもしれないが、超高齢化社会に対する不安はそれほど深刻であり、よほどの決意がな

い限り乗り切れない。

人類にとって未知の体験であり、それ故に国際社会も高齢化の最先端を走る日本が今後どういう

社会を作るか、注目している。

日本老年学会は先に「高齢者は体力、知的能力だけでなく身体能力も10年以上、若返った」と

して、現在65歳以上の高齢者の定義を75歳以上に見直すよう提言している。

高齢者に対する社会参加の呼び掛けに他ならない。ひとりでも多くが、そうした決意を固める場

として遺言書の作成に臨まれるよう、あらためて呼び掛ける。(日本財団会長・笹川陽平 さ

さかわ ようへい)

    ご機嫌いかがでしょうか

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 今日はとても冷え込んでいて、-3度は超えそうな冷え冷えとした深夜です。

 ミコばあちゃんも、もう死に自宅の必要な年齢となり

相談者もいない中、自己決定にあたりあまりにも知らないことが多すぎる。

 無料に近いほどの土地においてもこれらの移動ができていないと土地を動かすこともできない。

本人の死後に当たっては、同意書の作成のため、多くの署名が必要となり

ご迷惑の少ないendingって少ないのではなかろうか。

すっきり状態で、引き算による人生を楽しむこともなかなかである。

残されたものに大きい負担をかけることにもなる。

 田舎においては、二代前からの土地がそのまま放置されていたことで

大変な手続きに奔走しなければならないようだ。

家を建て直すにあたっても、多くの署名が必要となる。

    新聞記事の一文。

【正論】超高齢化社会の到来… 遺言で新たな社会貢献の決意 実りある「終活」へ 日本財団

会長・笹川陽平

遺言書の作成は遺産相続に伴うトラブルを低減させるだけでなく、人生を見つめ直す格好の機会

となる。しかし残念なことに、わが国では寄付と同様、遺言文化も低調である。

≪必要性を認める人は60%≫

一方で人口の4人に1人を65歳以上が占め、さらに少子高齢化が進む現代は、1人でも多くの

高齢者の社会参加が、次世代の負担を軽減するためにも欠かせない。

高齢者の社会参加を促すきっかけとして本年から1月5日を「遺言の日」と決め、広く遺言の普

及・拡大を呼び掛けたく考える。

日本財団が昨年3月、全国の40歳以上の男女約2500人を対象に行った意識調査では、61

%が遺言書を残す必要性を認めた。しかし実際に遺言書を作成していた人は3・2%にとどま

った。

「遺言は紳士のたしなみ」の言葉もある英国では、75歳以上人口の80%以上が遺言書を作成

し遺言が文化として定着している。だからといって日本に遺言文化の下地がなかったわけでは

ない。奈良時代養老律令には遺言制度に関する記述があり、中世も庶民の間では遺言相続の

慣行があった。

しかし江戸時代の家父長的な家制度、さらに長男1人が戸主の地位や全財産を引き継ぐ明治以降

家督相続制度によって、遺言文化は下火になった。

1947年の民法改正で家督相続は均分相続制度に変わったが、「老いた親の老後の面倒や家を

継ぐのは長男」といった形で、今もその影響が残り、遺言文化が普及しない一因となっている。

とはいえ公証人の助言を得て作成される公正証書遺言でみると2014年は約10万5千件(日

本公証人連合会調べ)と10年間で1・5倍に伸びており、遺言に対する関心は徐々に高まり

つつある。

昨年末、実際に遺言書を作成した40歳以上の男女200人に、対象となった資産額を聞いたと

ころ、5千万円超が61人、1千万〜5千万円が64人、1千万円未満が75人。遺言書の作

成は金持ちや資産家だけでなく、ごく一般の家庭にも広がりつつある。

≪単なる財産分配ではない≫

7割以上は遺言書の存在を家族に知らせ、「今後の生活や家族・親族間に相続争いが発生する不

安が減った」と答え、希薄となった親子関係を再確認し、遺産相続をめぐる不要なトラブルを

減らす効果も出ている。

少子化の進行で法定相続人がいない人や遺産を公益性の高い団体などに譲渡し社会課題の解決に

役立てる遺贈寄付も増え、受け皿となる組織も整備されつつある。

われわれが昨春、開設した遺贈寄付サポートセンターにも69歳で亡くなられた女性から、「世

界の恵まれない子どものために」と1億5千万円の遺贈寄付があり、全額、ミャンマーでの障

害児支援施設の建設に活用された。

以上が、わが国における遺言の現状であり、全体に望ましい方向に向かっていると思う。

しかし本稿では、遺言書の作成に、単なる財産の分配ではなく、新たな社会貢献の決意という、

より大きな役割を期待したい。死後に遺(のこ)す本人の思い(遺言)を書面にまとめる厳粛

な作業を通じて過去を振り返り、残る時間を有意義に過ごす覚悟を固めれば、実りある終活に

もつながる。

わが国は20年後、3人に1人が65歳以上の超高齢化社会を迎える。大半が70歳前に現役を

引退する現在の形で、次世代が高い社会負担に耐えられるとはとても思えない。

高齢世代が戦後の日本の繁栄を担ったのは間違いないが、その一方で国債や借入金など「国の借

金」も国内総生産(GDP)の2倍近い1050兆円に膨らんでいる。放置すれば次世代の負

担はさらに膨張し世代間の対立も深まる。これを乗り切るには、高齢者が可能な限り社会活動

に参加し、その一端を担うしかない。

≪次世代の負担を軽くする≫

もちろん受け皿となる制度や仕組みの整備は欠かせない。しかし何よりも必要なのは、高齢者一

人一人の自覚と覚悟である。

高齢者による高齢者の介護や子供の貧困支援など社会貢献の場はいくらでもあり、そうした努力

が次世代の負担を軽くする。

本稿では遺言を題材に超高齢化社会における高齢者の生き方を論じている。違和感を覚える向き

があるかもしれないが、超高齢化社会に対する不安はそれほど深刻であり、よほどの決意がな

い限り乗り切れない。

人類にとって未知の体験であり、それ故に国際社会も高齢化の最先端を走る日本が今後どういう

社会を作るか、注目している。

日本老年学会は先に「高齢者は体力、知的能力だけでなく身体能力も10年以上、若返った」と

して、現在65歳以上の高齢者の定義を75歳以上に見直すよう提言している。

高齢者に対する社会参加の呼び掛けに他ならない。ひとりでも多くが、そうした決意を固める場

として遺言書の作成に臨まれるよう、あらためて呼び掛ける。(日本財団会長・笹川陽平 さ

さかわ ようへい)