国会軽視が自民党の「丁寧」ということか?

     ご機嫌いかがでしょうか

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

明日は臨時国会において総理大臣指名が行われる運び

自民党は、重要案件ばかりある中で数の成果を背景に

強行採決の運びをしようとしている。

 選挙後は「丁寧」ばかりを前面に掲げていたが

今ではこれはどこかに飛び去っている。

国会軽視のぼうそうはいぜんそのものではないのでしょうか?

 日本には二大政党の成熟がもたらされる環境は国民の望むところです。

野党を軽視することは、すなわち国民を軽視することです。

ここに来て、野党の質問時間の短縮が実行されようとしています。

これは国会内容を破壊する内容にもなりかねません。

数の論理から言えば当然かもしれません。

野党の意見を謙虚に聞けるだけの、グローバルの視野も求めているのが国民です。

国難と選挙に強行したのであれば

国難に向き合う議論は当然ではありませんか。

 幼児教育の無償化の受け皿の検証はどうなのでしょう?

まだ待機児童の過大が解決を見てもいません。

幼児教育が無償になるのであれば、通所者は増えるはずです。

見切り発車はスピード違反です。

 幼児教育の無償化の最低生活者には担保されています。

やはりこれは、息絶え絶えの高齢者にシフトされるべきです。

自民党は、数におごることなく

健全な二代政党を成長させる役割も担っていただきたいものです。

    東京新聞より。

10月31日のコラム

木守(きも)り柿とは、木の梢(こずえ)に一つだけ、あえて取らず残しておく柿の実のことで

ある。残し柿ともいう。木枯らしに揺れる柿の実一つとは、寂しい風景にも映る。

こんな意味があるそうだ。一つは来年もまた柿がなりますようにという願いや感謝の気持ち。も

う一つはおなかをすかせた野鳥への「おすそ分け」なのだそうだ。自然に対し「分け前」を用

意したのか。いわれを聞けば、寒々しい柿の風景が温かい。

木守り柿とは無縁な考え方に木枯らし1号がひどく身にしみる。自民党が国会での野党の質問時

間を削減し、その分、与党の質問時間を増やすことを検討しているという。総選挙での大勝で

「鳥に分け前をやる必要はない」とでも考えているのだとしたら、与党のおおらかさも気概も

感じない話である。

政府と与党が事実上一体化している現状を考えれば、その見直しは身内の政府に温かい目を増や

し、野党の厳しい目を減らすことに他ならぬ。

たとえは悪いが、縁故入社の面接試験のようなもので、国会全体の行政、法案に対するチェック

力を弱めるだろう。野党の耳の痛い質問時間はもいではならぬ民主主義を守る柿である。

自民党のためでもある。「総理、ご苦労さまです」のゴマスリ質問ばかりとなれば、自民党議員

の評判、印象にも障る。それにである。政界は一寸先は闇。野党に転落した場合のことも少し

は…。

  おとぼけばあちゃんのブログ、、お立ち寄りありがとうございます。

皆様と意見交換ができればうれしいのですが

悲しいかなそのスキルに出会えないでいます。

今頂いている日々に感謝しながら、暮れ行く夕焼けに合唱する思いの毎日です。

皆様つたない文面の中、気持ちだけは無理矢理に押し込んでいます。

いつの日か意見交換が交わせる日楽しみにしております。

本当にありがとうございます。

     ではごきげんよろしゅうに・・・。