固定電話の思い出。

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

バックには「世ぞ荒の星」が流れています。

あの世に行ったなら星に出会えたならと思います。

残された日を ありがたいと思って過ごしたいものです。

桜チラシの風景は気が付けば

葉桜にその予想委が変わっています。

 一週間 咲き誇るために 一年の歳月を投じる桜は気高いものなのかしら…

 みこちゃんはポカーンとしているうちに一年は遠慮なく過ごしています。

 昔は 電話は部落に1件しかありませんでした。

昔の暮らしは 人の手助けがなければ過ごせませんでした。

田植えも家族のように手伝っていました。

 それがよいやら悪いやら一社会の終わりを感じてもいます。

便利な社会は 人の手助けなど入りはしません。

年金生活もいわば、互助会です。

互助会が破滅することも

未来に約束されているのでは…

なんせ 日銀は、いくらでも紙幣を印刷しているのですから…

【朝晴れエッセー】100番通話・4月16日 (2022年04月16日)

3月21日は、私が20歳で親元を離れ、大阪で就職した日である。もう53回目の記

念日がきた。

一間のアパートで、先に来阪していた兄との生活が始まった。ホームシック気味の私の

楽しみは、給料日にお金を握りしめ、近くのたばこ屋の公衆電話から故郷の両親に10

0番通話で電話することだった。

当時は10円玉しか使用できず、長距離通話は膨大な数の10円玉が必要で、入れるの

も大変である。そこで100番を回してオペレーターに電話をつなぎ、終了後電話を切

ると、折り返しの電話がきて料金が告げられ、それを設置店に支払う仕組みだ。

実家にも電話などないから、隣の家に電話して、呼びだしてもらう。当時隣家には3~

4歳くらいの子供がいて、好奇心一杯、電話のベルが鳴ると飛びついて取る。

「○○ちゃん、隣のおじちゃんかおばちゃんを呼んできて」と告げると「分かった!」

と答えてくれたのはいいが、勢いよく受話器を「ガチャン」と置いてしまった。

あっ!という間に今月の電話予算はなくなってしまう。かわいすぎて怒るに怒られず苦

笑するしかない。その子が成長するまで何回かこんな事故(?)が起こった。今では笑

い話だが、あの子もきっといいおじさんになって、子育てに苦心したかもしれないなあ

…。

目まぐるしく時代が変わり、家に固定電話を引き、PHS→携帯→スマホを使う羽目に

なった。100番通話もなくなった。便利なデジタル化時代は望むところだが、たまに

アナログなやり取りを懐かしく思う。やっぱり年を取ったということか…。

赤松孝子(73) 大阪府摂津市