銅メダリスト、円谷の早すぎる自殺。
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
危ないとは思いつつ、豊かさを追求するあまり
静岡において豪雨から来た土砂崩れで
人の何気ない暮らしが、俊二のうちに飲み込まれてしまった。
小さな庭に夏花があちこちに種を増やしています。
桔梗も今日か明日かとつぼみを膨らませています。
アガパンサスも小さな花々を寄せ集めたようなどこか涼しげな薄紫の花も夏に彩襟を添
えてくれてもいます。花の蕾もどこか惹かれるものがあります。
総理も腹をくくったのか、言葉にも歯切れがどこか感じられもします。
歓迎されないオリンピックが1か月を切りました。
それに比べて1964年のオリンピックは人々が待ちに待ち
その経済効果も余すところなく披露されまさに国民一丸となっての祭典でもありました
快晴を東京に寄せ集めたかのような青空に人は酔いしれ女子バレー、水泳、陸上には
国を超えて拍手をを送り続けました。
マラソンのあのアベベの独走に誰もが驚き円谷の銅メダルにもどこか期待薄とはいえ
惜しみない拍手を送ったものです。
だけどそれから3年後に自殺しようなどとは誰もが
考えられないどこか空虚な空気が漂い続けました。
その幕引きに信じられない思い出円谷の命の手紙に触れないわけにはいきませんでした
。
どこか生真面目で几帳面性格がどこか 自分を貶める結果にと追追い詰めていったの
だろうか…
私たちが知る由もないところで精神も、マラソン指導者もなくする中で
腰の持病、アキレス腱の断裂と闘いながら
腰と上部とのアンバランスな姿勢を見る人が見ればわかる中での協議生命の維持は
それだけで大変
だからと言って、指導者の選択もあったろうにとも思うが…
婚約者の一方的な解消にどれほど
心を 痛めたのであろうか?
協力的で救われた環境であったようにも思います。
アスリートとして昔とは異なる重いものを背中に感じていたのかもしれませんね。
ご冥福をお祈りいたします。
どうか心穏やかでありますように…