砂の女。
ごきげんいかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
おはようございます。
3時から当地は土砂降りの雨となりました。
沖縄も2週間遅れの梅雨明けの灼熱地獄です。
世界における今年の最高気温はカナダで
49度を記録しています。
その日の熱中症の死者はなんと260人でした。
日本でも40度の毎日は通常になるのやら…
どくだみの後には半夏生の花が控えています。
その強さを表現しています。
むせかえるほどの蒸し暑さの中
限界を感じつつうちわ一枚の生活はとにかく厳しい…
クーラー 28度の暮らしも手を伸ばせば届くのにやせ我慢か
果たして 誰にお金を残すのか…
お金を節約して残したとして、その精神は 果たしてどれほど受け止めてもらえるのだ
ろうか
砂の女に触れ読み進めるが重くて重くて途中で投げ出したくなる
自由や人間性が否定される特異で不条理な環境にも順応していまう、人間の強さと弱さ
が忘れがたい。
とにかく不を追い詰めなければ創造性を映像を通してならエリアルに伝えられる部分も
あるのかもしれない。
【ビブリオエッセー】妥協によって見えた灯火 「砂の女」安部公房(新潮文庫) (202
1年06月29日)
人間は極限状態に陥るまで、自らの本性にはなかなか気づかないもののようだ。抑制さ
れた生活を描いた『砂の女』は人間の負の部分を克明に描いている。
安部公房が死去したとき速報が流れた。高校時代のことで、よく覚えている。初めて知
る名前だった。以来、頭の隅には残っていたが最近になってこの世界的名作を映画で見
て衝撃を受けた。その映像と難解な世界が頭から離れず、原作を手に取った。
学校教師の男は砂地にすむ昆虫を採集するため、ある駅を降りた。たどり着いた集落で
宿代わりに一人の女の家を紹介される。縄梯子でおりた先に男が目にしたその家は砂壁
に囲まれ、一人で地上にはいあがることはとても困難な、家とはほど遠い場所だった。
砂に囲まれた、貧しく見捨てられた集落。村民たちは塩分の混じる砂を業者に売るなど
してささやかな復讐を行う。女の家は砂に侵食されゆく集落をまもる堤防の一つで命綱
となっていた。男は村民の策略にはまり、砂?きの労働力として閉じ込められたのだ。
理性も良心も枯れ果て丸裸になった男の欲望や怒りの矛先は女へと向けられる。男は何
度も脱出を試みて、ようやく抜け出すが結局は逃げきれない。やがて諦めの境地と妥協
によって、かすかな灯火(ともしび)を手に入れようとしていた。
「砂のがわに立てば、形あるものは、すべて虚しい。確実なのは、ただ、一切の形を否
定する砂の流動だけである」。砂に閉ざされた不条理な状況にも慣れ、やがて自由を放
棄する。
私は食べ損ねて干からびた甘納豆をごみ箱に捨てた。このなんでもない日常。いま、不
安な日々に妥協しながら生きる私たちだが、その先に光が射すことを願い、曇天を仰い
だ。