親の献身的な介護に…

  ごきげんいかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 おはようございます。

昨日の午後からの草取りは、冷たい風が背中をふるわせました。

 今回の寒波は、風と雪、大暴れの予報が報告されてもいます。

停電に備え、ごはん、お惣菜など準備しておきたく思っています。

 今年の春闘は2%の要求ですが、果たしてどうなりますことやら

コロナ化により、頑張ってきた個人食堂があちらこちらと

廃業に追い込まれてもいる社会現象でもあります。

親子関係が健全で、両親がゆったり、老後不安を 抱えず暮らせるお年寄りは

どれほどおら菱化…?

 単独高齢者の終末医療は大変ではありますが

子供が病院の清掃者として、親の介護に寄り添う姿に感心させられました。

 みこちゃんは一人前にしてもらった親のオンだけは

感じて過ごしたいと願う一人でもあります。

親が、子供に気兼ねなく過ごせる社会が広がればと

常時つねづね願う一人でもあります。

下記の文章に感動し、あえて引用させていただきました。

【朝晴れエッセー】「アー・アー」・1月28日 (2021年01月28日)

 6年前、72歳の母がくも膜下出血で倒れ、寝たきりになりました。

 食べることも話すことも、自力で動くこともできない母には人の手が必要と思い、可

能な限り会いにいき、リハビリを少しでも続けてあげたくて転院を繰り返しました。

 コロナが拡大する前にたどり着いたのは、私たちが育った町の駅のすぐ近くの病院。

転院して間もなく面会禁止となり、何もできない母が病院で嫌われていないか不安にな

り、私は週3回その病院の清掃の仕事に就くことにしました。

 今まで知らなかった朝の病院、働く皆さんは人の嫌がる仕事も明るくテキパキとこな

し、母にも声を掛け、優しく接してくださっていたこと、湯船に浸からせてもらってい

たことを知り、感謝でいっぱいになりました。

 昨年10月、母はこの世を去りました。死の間際に絞り出すように「アー・アー」と

訴えていたのは「ありがとう」と心の底から伝えたかったのだと確信しています。

 それからも、清掃の仕事を続けています。山登りのような達成感が得られ、階段を登

る足も軽くなりました。

 ある日、母がいた病室の窓から電車が見えることに気が付きました。母は懐かしい電

車の音、踏切の音をここで聞いていたのかもしれません。

 朝日が部屋いっぱいに差し込み、また病院の慌ただしい1日が始まっていきました。

上田操 55 大阪市中央区