みこちゃんの家族。
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
おはようございます。
朝晩の冷えは、暖房なしでは過ごせなくなっております。
昨日、ギリシャのエーゲカイからトルコにかけてかなり激しい地震が起きて
びっくりしました。
本当に身が縮ような思いです。
みこちゃんのテーマは家族です。
我が家といえば家族5人暮らしでこれ以上ないほどの貧乏生活。
その原因は父が、働かなかったことで、母の一馬力が経済を支えていました。
母はよく働き頑張る人で、いつ寝ているのかわからない程の頑張り屋。
いろんな思いは、母にも会ったろうと思うけれど愚痴を聞いたことがなく
三度三度の食事は丁寧で、おいしい食卓が家族のささえともなっていました。
だけれどみこちゃんは父と会話を交わしたことはありませんでした。
母が亡くなる前に消え入るような声で「ミイちゃん、お父さんを頼むね」と言って息
を引き取りました。
みこちゃん32歳の春でした。
どうしても父を見ることには抵抗感もあり、時おり家に帰り
家の家事をする程度でしたが、父が脳溢血となり
川崎医大に入院しましたが、その後遺症はほとんどなく過ごせたことで
ほっとくつもりでしたが、母方の「叔母」が職場まで来て家に帰るように説得に来てく
れ
人様にご迷惑をかけてはとの思いから家に帰り
会話のあまりない生活を 送っていましたが父に認知がはじまり、父に介護の必要に至
るようになり
初めて父を許すことができ野菜作りを供に相談しながら共通の話題を持つことで徐々に
仲良くなれるようになっていきました。
それはそれ、認知会話で、まともな会話とはいいがたいものでした。
長男に父の生活費1万だけでも我が家に入れてほしいと頼むと
バッサリ、「生活保護をもらえ」と言われそれからは兄に父のことは
話すことはありませんでした。
またまた、貧乏生活の再来…
しまいには夜の感触を夜中の1時過ぎに欲しがり、それが定番になり、父の介護中は
布団を敷いて寝ることもなく90歳過ぎの午前三時に発作が起きて、このまま天国にと思
いを巡らせ、長男には4時過ぎに連絡すると救急車を連絡していて
父は入院することとなり二日間は意識不明で
父は一人では歩くこともできず施設入所が二年も続きかえらぬ人となりました。
父の最後は転換でした。
てんかん発作などしたことがありませんでしたが老いることでこのような症状が起きる
のだとはドクターよりの言葉。
家族の破壊が起きなかったのは母の頑張りのおかげと感謝もしています。
あの世で会えたなら家族仲良く過ごせると思います。
がんばる姉 まぶしく見つめる 「家族の作文コンクール」大賞に杉村陽香さん 雲雀
丘学園創…
https://www.sankei.com/life/news/201031/lif2010310001-n1.html