昨日は父の日♪

   ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 かぼちゃの優美な黄色のつぼみが膨らみ始めました。

これは早朝に交配しなければならないのでその管理も大変です。          

 父の日は、人への感謝の日でありたいもの…

 気が付けば昨日は「父の日」でした。

 みこちゃんにとって、父との良い関係は気づけず

 父を受け入れられたのは、79歳の父が脳卒中を発症し

人の手がなければ過ごすことが困難になったとき

初めて父を許すというよりか、人として

病人を放置することができなかったのだと思います。

 入浴介助においても、親子関係が薄い中での介護の大変さは

言葉に言い尽くせないものがありました。

 良かれと思い、入浴時に腰掛けを用いようとしても

それを拒否しバス用の低い椅子に座ることを父が頑固に主張し、それから立ち上がる動作が大変で、お互いの信頼関係を結ぶところからの介護スタートでしたので

なんだかんだと反発され、他人であれば素直に従うものをと

ただ疲労感ばかりが増幅する毎日でした。

お互いの信頼関係が構築で来てからは、起きるなり「ミーちゃん、ミーちゃん」となんだかんだと頼られるようになりまあー、それからは漫才のような関係でよく笑わせてもらい

気が付けば10年経過したのかと思えるほどの

日めくりは駆け足で過ぎていきました。

 今思えば病があったからこそ、父を受容できたのだと

神様に感謝すべきなのでしょうね。

 介護は負担に思えば限りなく苦痛でしかありません。

介護問題はケースバイケース…

 あの世で出会えたならば、楽しい家族として笑いの中の毎日が、

きっと過ごせることでしょう。

 お仏壇は甥に引き継ぎ、ありませんので

 おじいさんの大好きな緑茶とヨモギ餅[これは頂き物]で

お父さんの日を、みこちゃんの音痴ぶしなど聞かせ

思い出話を一言ふたこと懐かしむひと時としました。

 父のあの世からの声が聞こえそうです。

「みいちゃん、歌うのだけはやめてくれ、頭がうずきだす」と

きっと頭を抱え込んでいることでしょう「爆笑」

「ぼくとお父さんのおべんとうばこ」

お父さんがびょうきでなくなってから三年、ぼくは小学一年生になりました。

お父さんにほうこくがあります。きっとみてくれているとおもうけど、ぼくはお父さんのおべんとうばこをかりました。

ぼくは、きのうのことをおもいだすたびにむねがドキドキします。

ぼくのおべんとうばこと、おはしがあたって、すてきなおとがきこえました。きのうのおべんとうは、とくべつでした。まだ十じだというのに、おべんとうのことばかりかんがえてしまいました。

なぜきのうのおべんとうがとくべつかというと、それはお父さんのおべんとうばこをはじめてつかったからです。お父さんがいなくなって、ぼくはとてもさみしくて、かなしかったです。

お父さんのおしごとは、てんぷらやさんでした。お父さんのあげたてんぷらはせかい一おいしかったです。ぼくがたべにいくと、いつもこっそり、ぼくだけにぼくの大すきなエビのてんぷらをたくさんあげてくれました。そんなとき、ぼくはなんだかぼくだけがとくべつなきがして、とてもうれしかったです。あれからたくさんたべて、空手もがんばっているので、いままでつかっていたおべんとうばこではたりなくなってきました。

「大きいおべんとうにしてほしい」とぼくがいうと、おかあさんがとだなのおくから、お父さんがいつもしごとのときにもっていっていたおべんとうばこを出してきてくれました。

「ちょっとゆうくんには大きすぎるけど、たべられるかな」といいました。でも、ぼくはお父さんのおべんとうばこをつかわせてもらうことにしました。

そして、あさからまちにまったおべんとうのじかん。ぼくはぜんぶたべることができました。たべたらなんだかお父さんみたいに、つよくてやさしい人になれたきがして、お父さんにあいたくなりました。いまおもいだしてもドキドキするくらいうれしくておいしいとくべつなおべんとうでした。

もし、かみさまにおねがいができるなら、もう一どお父さんと、おかあさんとぼくといもうととみんなでくらしたいです。でもお父さんは、いつも空の上からぼくたちをみまもってくれています。

お父さんがいなくて、さみしいけれど、ぼくがかぞくの中でただ一人の男の子だから、お父さんのかわりに、おかあさんといもうとをまもっていきます。お父さんのおべんとうばこでしっかりごはんをたべて、もっともっとつよくて、やさしい男の子になります。

ヒストリーオブおっぱいまんじゅう

おっぱいまんじゅうができたのは10年前。ビートたけし明石家さんまが出る特番の企画として作られた。もともと北城屋の成瀬桂子さんは女性の胸のかたちのお菓子を作りたいと思っていたそうだ。というか、考案は女性だったんですか?

「みなさん驚かれますけど、女性の優しい心をあらわすものとして『おっぱい』だと思ったんです」

最初は社長に反対されたという。

「でも社長が嫌がって。そんなカタチのお菓子は作りたくないって。それで工場長にこっそり頼んだんです。」

秘密裏に作られたおっぱいまんじゅう。

「最初は押すとミルクが出る案だったんだけど。ぴゅ、って」

それは難しそうですよね……。

しかしテレビの影響もあっておっぱいまんじゅうは大ブレイク。テレビで放送された後は大行列で製造が間に合わなくて、近所の公園で3時間ぐらいまってもらったとのこと。やっぱりおっぱいの人気はすごい。

「だけど、「おっぱいまんじゅう」ってPOPをはってたら年配の女性から「お宅に行くのは嫌だ」と言われちゃって。それからPOP   はやめたんです」

あらー。まあ、いろいろありますよね。

「テレビで紹介されたときは本当に売れて。その売り上げでこの建物の柱一本ぐらいたったと思います」

おっぱい御殿ですね!

おっぱいまんじゅうのひみつ

おっぱいまんじゅうはカスタードクリームをおもちで包み、いらこをまぶしてある。

これがよいしょでもなんでもなく、ほんとにおいしいのだ(会社に持って帰ったら大好評だった。名前を言うときにちょっと照れたけど)。触感もやわらかくその名のとおりのお菓子。

「この形を作るのは企業秘密なんです。なかのクリームが広がらないで丸くなるのは。」

周りのお菓子屋さんもまねた商品を発売したが、クリームが広がってしまい、垂れたおっぱいになってしまったという。

「最初は干しぶどうが乗ってたんです。でも工場長が『もっと娘さんのほうがいい』って」ということで赤い羊羹になった。細か

いノウハウが生きているおっぱいなのだ!

                 

  わが心のエッセンス。

人の親たるものは、この宇宙の貴重な生命の苗木を預かっているのだということを忘れてはならない。