努力のイチロー、いんたい。

     ご機嫌いかがでしょうか。 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 一郎の引退会見は、ある程度の想定はあったろうと思われるが

努力の天才の言葉を一郎ファンは待った。

「後悔のあろうはずがありません」

何より人が喜んでくれることがうれしい」と 28年の選手生活の成熟度も

改装してもいます。

肉体の衰えと戦い続けていた一郎の思い言葉でもありますが

やりぬいた自分が表現され、あの華やかな記録の思い出ではなく

自分と戦い続けたlastシイーンが回想されていました。

これは何よりむなしい戦いの闘魂のひびでもあったのでしょう!

 鈴木一郎君の6年生の文集には

当時として考えられようのない高い目標が掲げられている!

行きたい球団は中日か西武。「ドラフト入団で契約金は1億円以上が目標です」。

30年以前の小学生の言葉にも驚きです。

 印象に残る場面がある。06年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)準決勝。雨で1時間弱中断した後、多くの選手が山なりのキャッチボールで体をほぐすなか、イチローだけが外野からいきなり快速球を相手の胸に投げ込んだ。

 試合に入った以上、常にベストのプレーができるように心身を維持する。「イチロー流」がかいま見えた瞬間だった。

 失敗に向き合い、克服の道を試行錯誤する。その営みをうむことなく重ねる力こそが、イチローイチローたらしめたものだったのだろう。

 出場機機会がなくなった昨年5月以降も練習に取り組んだ自らを、「どの記録よりも、ほんの少しだけ、誇りをもてた」。そんな言葉を残し、日米で28年間着続けたユニホームを脱いだ。

   産経寄りの引用。

【主張】イチロー引退 努力の天才からの贈り物 (2019年03月23日)

 幸せな野球人生を全うしたといえるだろう。

 現役引退を表明する会見で、大リーグ、マリナーズイチローは「後悔などあろうはずがありません」と述べた。

 スポーツ選手に限らず多くの人は、現役に未練を残して引退する。しかも、イチローにこのせりふを言わせたのは、東京ドームを埋めた観衆の大歓声だった。イチローを幸せな選手と思わせる、最大の理由である。

 プロ選手としてのデビューはオリックス時代の平成4年だから、平成の一時代に日米の野球界を走攻守で牽引(けんいん)したといっていい。阪神大震災が起きた7年には「がんばろう神戸」を合言葉に、オリックス優勝の立役者となった。

 7年連続首位打者日本記録とともに海を渡ると、マリナーズの1年目にリーグMVP、新人王、首位打者を独占した。

 その後もシーズン最多安打など数々の大リーグ記録を塗り替え、その度、シューレスジョー・ジャクソン、ウィリー・キーラー、ジョージ・シスラータイ・カッブら、歴史上の名選手の名を現代に蘇(よみがえ)らせた。

 右に左に安打を打ち分け、当たり損ねは俊足で内野安打とする。守っては「レーザービーム」と称賛された強肩で走者を刺し、塁上では巧みな走塁と滑り込みで「忍者」と呼ばれた。

 パワー重視のあまりに薬物摂取が蔓延(まんえん)した大リーグで、クリーンでスピード豊かなイチローの存在は本場の野球観を変えた。これを支えたのは長年、体形と体脂肪率を維持したたゆまぬ鍛錬である。イチローは努力の天才であり、真のスーパースターだった。

 イチローは自身が先発出場した東京での2連戦を「ギフト(贈り物)」と呼んだ。そして引退会見では子供たちへのメッセージを求められ、こう答えた。

 「自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注げるので、そういうものを早く見つけてほしい。それが見つけられれば、自分の前に立ちはだかる壁に向かっていける、向かうことができると思う。いろいろなことにトライして、自分が向くか向かないかよりも、自分が好きなものを見つけてほしい」

 この言葉は、努力の天才から受け取る子供たちへの、すてきなギフトである。

 隠し社説は、一郎引退にそのスペースと内容がうかがえます。

、愛知県の小学6年生、鈴木一朗くんは卒業文集に、こんなふうに書き残している。