出口の見えないゼロ金利政策!

                        ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 金利時代を 忘れ切ったかのような

ゼロ金利政策20年。

出口を失ったかのような金融政策。

これに無感動なわれわれがいることも異常と言えるのではなかろうか

ゼロ金利政策

いかなる政策も副作用を伴う。効果が副作用を上回る限り政策は正当化されるが、効果

は過大に評価され、副作用は小さく見られがちだ。

超高齢化が進む民主主義社会のわが国にとって2%の物価目標は非現実的だが、日本銀行

が目標に固執する以上、長期金利まで含めた超低金利政策はさらに長期化しそうだ。そ

の副作用として国債市場の流動性や金融仲介機能の低下などのほか、資産運用上の弊害

も無視できない。

異常な低金利環境が「貯蓄から投資」への流れを皮肉にも阻害していないか。本来、日

国債や優良企業が発行する社債は、利回りが適切であれば国民にとって有効な投資先

であるはずだ。債券は満期まで保有してデフォルトさえ起きなければ利回りを確定でき

るし、リスクを分散する効果も期待できる。

適切な利回りを失った債券に本来の価値を見いだせず、家計の資産は大部分をゼロ金利

の預貯金に、一部を値動きのよい為替やリスク資産の短期売買(投機)に向かう。国債

や高格付け社債が利回り資産として魅力を取り戻せば、預貯金は債券投資に向かおう。

債券の生むクーポン収益やリスク分散効果が株式などへの投資余力をも高めよう。

超低金利の長期化は資産運用における人材育成にも悪影響を与える。運用業界では、債

券投資の「プロ」が近年減少の一途にある。異次元緩和の下、財務省や日銀との国債

短期売買に明け暮れた投機家は将来、顧客資産を預かるような長期的な視点を持つ運用

者に育つだろうか。金融政策が正常化する過程では国債市場に投資資金が戻ってほしい

。人材という金融インフラの重要性を過小評価すべきでない。

「100年人生」の時代に資産運用は重要になる一方だ。利回りのある世界、投機でなく投

資人材の育つ環境。これこそが国民を豊かにする。

日銀は、「わずかでも打つべき手が残っているのなら打ち尽くしてみるのも選択肢」と

実験を決行した。

 それから20年。           日銀はいっそう深みにはまった感がある。

2度のゼロ金利解除は長続きせず、むしろ大規模な量的緩和、3年前のマイナス金利

策へとエスカレートした。

 極度の金融緩和がこれほど長期化した事実は、何より効果がなかったことの裏返しだ

ろう。金利がゼロに近づいた段階で、金融政策は限界状態だったが、日銀はそれを認め

ようとせず、政府も打ち出の小づちの幻想にすがった。

 日銀が初めてゼロ金利政策を導入した頃、日本経済の深部では大きな地殻変動が始ま

っていた。現役世代の人口急減少である。

 今になり政府はあわてて外国から労働力を確保しようと躍起になっている。本来は2

0年前から、人口減少や女性の雇用環境の改善といった課題に本気で取り組むべきだっ

た。金融緩和は処方箋ではなかったのだ。

 一方、低コストで資金を借り続けられるようになった政府は、その場しのぎの景気浮

揚策

 ゼロ金利導入から20年 「異常さ」すら忘れた異常

https://mainichi.jp///mainichi.jp/articles/20190218/ddm/005/070/015000c

     わが心のエッセンス

「財布の中身がいつも空」という病は、我慢するより治すほうがやさしい