歌って素晴らしい♪

     ご機嫌いかがでしょうか。 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 お台所には聞くともなくいつも「nhkラジオ」が流れています。

 そのような環境の中せきはんを 準備しながら聞いていた中に

西城秀樹をしのぶ歌が流れていました。

 みこちゃんは40年ほど音楽とは無縁の生活でした。

それは中学一年の音楽の時間の出来事が

音楽をなぜか遠ざけてしまいました

「春」の歌を一小節づつ先生の横で歌うテストがありました。。

その時です。

みこちゃんだけはなぜか全部歌わされたのです。

先生はおっしゃいました。

「この歌はどこが間違っているか?」と

クラスメート40人は急にざわめき始めました。

誰かが「はい、半音高いです」と答えた

それからどっと爆笑の渦に巻き込まれた。

それからは歌が『トラウマ』となり、歌が大嫌いでした。。

 長き歳月が、人生の終わりは音が最後まで残ると認識するようになり

音楽が少しづつ耳になじむようになり始めた

そんな時、西城秀樹の歌が流れその中でも「時代」が

胸にすとんと落ちてきました。

これはなぜだろう?

 みこちゃんはなぜかパーフェクトに近い存在は苦手意識がありました。

西城秀樹も例外ではありません。

 京野秀樹の歌、特に時代は小豆の香りの中で気が付けばしゃがみこんで

涙腺は緩みっぱなしでした。

秀樹の歌はうまいを超えた、どこかその歌に歌時からを感じたものです。

それは鳥も返さず秀樹の生き方そのもののようにも映った。

一生懸命の歌は人に届くものだと感じ入ったものです。

これは歌を超えた彼のパーソナリティがそのまま歌の表現として

人の心へ深くなじむものだと理解もできました。

時代の歌は「もう歩けない」としゃがみこんでいる人の

背中をそっと撫でてくれていぬ様にも思えた不思議な感動でした。

歌って素晴らしいストーリーとなって人の心の中で調和されるもの♪

 被災地の今日も秋雨の中です。

再出発の引っ越しのお方もおられる中の雨は少し恨めしい気さえします。

 倉敷市は、今まで個人物資の援助を 断ってきました。

 此処にきて物資の中から必要な品を持ち帰ってもらう方式で配布する。受け入れ期間

や場所、対象品目、被災者への提供場所など詳細は今後詰める。季節の変わり目とあっ

て、秋冬用品も募る予定。

皆様におすがりすることしかできない真備町です。

本当に長きにわたる小笹へ ありがとうございます。