弾道ミサイルの利き。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロの巫女ばあちゃんです。

 北朝鮮弾道ミサイルを発射したらどうなるのだろう。

 日本人全員が助かるなどとはとても思えない。

みこばあちゃんはその時は静かに天国に召されたく思います。

安全なセルターができたとしてもそこに人員が集中したならどうなるのだろう。

自分だけは助かりたいと思うのが自然です。

日本が防衛機器をアメリカより購入予定であるがいくら買ったからと言って

安全とは決して言えない。

日常の暮らしを軽視してまで、防衛機器を買いそろえる意味がどこから

表明されるのか。

山系より。

北朝鮮が日本にミサイルを発射したらどうなるのか 軍事アナリストが教える有事の対処法

北朝鮮弾道ミサイルが北海道上空を通過した際、全国瞬時警報システム(Jアラート)の緊急

情報を受けて地下への避難など身を守る行動を取った人は5%台にとどまったことが、政府が

12月13日に公表したインターネット調査で明らかになった。半数近くが「意味がないと思

った」。が、実際、弾道ミサイルはどのように飛んできて、果たして避難には本当に意味がな

いのか。元自衛官で危機管理に詳しい軍事アナリスト、西村金一氏(65)=軍事・情報戦略

研究所所長=に話を聞いたら、自筆のイラストとともに解説してくれた。

北朝鮮は四半世紀前から日本標的

《日本の弾道ミサイル防衛は2段構えだ。海上自衛隊イージス艦に配備されている迎撃ミサイ

ルSM3と、日本国内にある航空自衛隊の地対空パトリオットミサイルPAC3。SM3は、

弾道ミサイルを宇宙で破壊し、PAC3は、大気圏に再突入してきたところを迎え撃つ》

−−弾道ミサイルが撃ち込まれる可能性はあるのか?

「僕はあると思います。日本に届く中距離弾道ミサイル『ノドン(蘆洞)=火星7号』は、19

93年に最初の発射実験が行われました。そのころは内閣府の調査課というところにいたので

すが、でも、日本海の真ん中ぐらい、500キロぐらいしか飛ばなかった。だから、(旧ソ連

が開発した短距離弾道ミサイルスカッドかな…とも思った。あるいは、ノドンかもしれない

なと。

その後、ノドンの射程圏は東京を含む1300キロという分析がなされ、迎撃ミサイルの研究が

始まった。つまり、北朝鮮は、四半世紀前から日本に飛ばそうとして、日米は、それに対する

研究をその間、行ってきたということです」

撃ちもらしは出てくる

−−迎撃システムで防げますか?

「PAC3での迎撃実験を40回ほどしました。PAC3の射程範囲(守備範囲)は半径20キ

ロ。10キロ以内に飛んでくれば、100%防げます。最初のころは2回失敗したけど、その

あとは全部成功しているので。普通の弾道で飛んでくればね」

−−では、安心ですね

「飛んでくるのが、1発か2発なら大丈夫です。ただ、北朝鮮もそうだけど、ミサイルを持って

いる国は、いろいろと工夫する。絶対にミサイルを撃ち込みたいので。北朝鮮は、ノドンを2

00発、発射台を50機持っている。つまり、50発を同時に撃てるということです。すると

イージス艦にあるSM3でまず撃ち落とし、撃ちもらしたミサイルをPAC3で迎撃したとし

ても、対応できないケースが出てくる可能性がある」

「実験結果は100発100中に近くても、いろんな角度で撃たれたとすると、命中する面積が

小さくなる。弾道ミサイルは、すごいスピードです。巡航ミサイルの10倍、時速800キロ

は、もう飛行機のように目で見ることはできない。しかも、本当の戦争になったら、狙われる

のは大都市です。しかし、PAC3の守備範囲から、外れるところがある。現在、大阪や仙台

にはPAC3はありませんから、守れるわけがない」

地下シェルターを作るべき

−−ミサイルを撃ち込まれると何が起きますか?

「核ミサイルと、通常兵器は分けて考えなければ。今はまだ、ノドンに核を搭載する能力はあり

ませんが、あと1〜2年で小型化に成功すると僕は見ています」

「ある調査によると、100キロトン級の原爆(広島に投下された原爆は15キロ)が空中で爆

発すると、半径2キロ以内の人間は即死、ビルも鉄骨もすべて壊れる。そこから離れれば離れ

るほど、被害は少ないと予測された。ノドンミサイルの精度は、直径5キロの目標に対して2

発撃ち込めば1発当たるという程度の精度です。もう1発はどこにいくかわからない。あとは

運です」

「土が1メートルあれば、放射線をある程度防げますから、地下シェルターを作るべきだと思い

ますね。全員は助からなくても、何人かは助かる。あとは頑丈なビルに入ることです。光が届

かない厚いコンクリートの壁が守りになる」

−−通常の爆弾の場合は

「堅い頑丈なビルの中にいれば、守られやすいし、まあ、身を伏せて低いところにいれば、比較

的、破片からも当たりにくくなる」

「本当の戦争になれば、弾道ミサイルが発射されてから、2、3分後にイージス艦のレーダーが

信号をとらえて、Jアラートが流れます。その後、4分ぐらいで目標に到達する。今、こうや

って大きな窓のある喫茶店でお茶を飲んでいますけど、Jアラートが鳴って、みんなが地下に

行こうとエスカレーターに殺到したら危ないでしょ? 喫茶店は、お金を払ってくれというか

もしれないし…。だから、現実的には、すぐにお金を払って、窓際から離れて、建物の中央付

近に行く。それぐらいの避難方法しかありません」

「あと心配なのは、VXガスやマスタードガスなどを使った化学兵器ですね。北朝鮮の通常爆弾

の3分の1は、化学弾だといわれています。空中で迎撃しても燃え切れないものが、落ちてき

ますから」

北朝鮮は誤った判断をするかもしれない

−−北朝鮮が、1度でも韓国や日本を攻撃したら、米軍から報復されるので、絶対に戦争にはし

ない、ミサイル実験も核実験もおどしでしかないという意見がある

「戦争というのは正常な判断ができない、不安定な状態のときに、始まってしまうことがある。

ロシアや中国が何千発も核弾頭を持っていても、直接の脅威にならないのは、理性的な判断を

する国だと国際社会が見ているからです」

「一方、北朝鮮は、もうこのままでは生き伸びられないと、誤った判断をする可能性がある。一

気に朝鮮半島を統一してしまおうとする判断もありえるということです。北朝鮮は1990年

代中盤に大規模な飢餓が起きたが、その最中にも核とミサイルの開発を推し進めた。まともな

判断ではない」

「理性的に考えれば戦争は起こらない。確かにそうですが、その論理はわれわれのものであって

、(北朝鮮を指導する)金正恩は違うかもしれない。ですから、そのための準備は、しなけれ

ばならない」

「米国に届く大陸間弾道ミサイルICBM)用の爆弾は、50発ぐらい、日本に届く中距離弾

道ミサイル用は200発、韓国に届く短距離弾道ミサイル用は700発ぐらいあります」

−−戦争になる兆候はつかめますか?

弾道ミサイルの発射実験の際の兆候は、3種類ほどあります。ひとつは部隊の動きです。発射

台は移動式でも、だいたいの場所はわかっていますから、人工衛星などから変化がわかること

がある」

「また、ミサイルが飛ばされると、弾頭部分から『テレメトリ信号』が出続けます。機器の温度

や電流、電圧などの状態を示す信号です。今までの発射実験では、事前にこの信号がきちんと

発せられるかをチェックします。しかし、本物の戦争になると事前のチェックはありません。

北朝鮮から、一切の無線が傍受できなくなったり、信号がキャッチできなくなったりしたら、

おかしい。北朝鮮から一切電波ででていないという報道があったら、危ないと思ったほうがい

いでしょう」(文化部 村島有紀)

西村金一 にしむら・きんいち。1952年生まれ。陸上自衛隊少年工科学校入隊、法政大学卒

業、幹部候補生学校修了。幹部学校指揮幕僚課程修了。防衛省自衛隊情報分析官、幹部学校

戦略教官などを経て退官。現在、軍事・情報戦略研究所長。

なちゅラル掃除で、洗剤減らす。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロの巫女ばあちゃんです。

 残すところ後二日。

昔であればけじめの意味合いからも夜3時ごろまで掃除していたころもありました。

それも務めていたころです。

今ではずぼら三昧の掃除です。

時間と言えばall SUNDAYなんでございます。

年を取ってあるといえば、あふれんばかりの時間です。

毎日あれこれ言い訳がましく正論化南下しています。

来年からは少し丁寧な生き方ができないものかと思案橋です。年末掃除よりも暖かくなってから

の掃除に切り替えて二年になります。

でも綿ごみはふわふわしています。

 洗剤はなんだかんだとそれぞれに買い込んで

置き場が瀬間ぐるしいほどに揃えています。

これを天然素材の洗剤にこれからは変えてみようと

クエン酸とじゅうそう買ったところですが

台所だけはやはり掃除はしたいと思っています。

マイペットも便利に使用しています。

床はダスキンを利用していましたがこの月から

マイペットで吹くようにしました。

感触的にも気持ちよく感じています。

年末はこそっと掃除にしていますので

ずぼらが定着しそうです。

     東洋経済より。

合成洗剤」の代わりになる天然素材3つ 「そうじで手荒れ」は経済的にも損をしている

仕事納めを終え、今年の仕事は残すところ家の大そうじのみ、という人も多いのではないでしょ

うか。ただ、この寒い時期に合成洗剤を使ったそうじをすると、手荒れの心配がつきものです

。手荒れ知らずで気持ちよく新年を迎えるために、本記事では合成洗剤を使わない「ナチュラ

ルクリーニング」のメリットと、最低限用意しておきたい3つの洗剤&7つの道具をご紹介しま

す。

使うのは自然由来の洗剤のみ

ナチュラルクリーニングとは、重曹クエン酸など、もともと自然界に存在する素材を使ったお

そうじのことを指します。ナチュラルクリーニングには3つのメリットがあります。

①手早くキレイに

②手抜きそうじOK

③安心、安全、経済的

環境に優しい洗剤は合成洗剤より洗浄力は弱いのではないか、という心配をされる方もいらっし

ゃるかもしれません。ですが、穏やかな洗剤でも、使い方や道具次第で汚れ落ちがよくなりま

す。ナチュラル洗剤はそれぞれ、得意な汚れと苦手な汚れがあり、その特性を知ることがナチ

ラルクリーニングの第一歩です。

ナチュラルクリーニングに使う洗剤は6種類。重曹セスキ炭酸ソーダクエン酸、アルコール

、過炭酸ナトリウム、そして石けんです。これらの洗剤をそれぞれの特性に合う汚れに駆使す

れば、たいていの場所はキレイになります。今回は最も出番の多い、重曹セスキ炭酸ソーダ

クエン酸をご紹介します。

重曹:体にも環境にも優しく幅広く使える

「炭酸水素ナトリウム」「重炭酸ソーダ」とも呼ばれ、弱アルカリ性の洗剤です。膨らし粉など

食用にも使われていて安全性が高いこと、もともと、自然界に存在する物質のため使用後も環

境への負荷が小さいことなどが魅力です。また、濃度さえ気をつければ二度拭きが不要で、ラ

クができるのもメリット。広範囲のそうじに向いています。

重曹は、クレンザーの代わりとしてこびりついた汚れやカビなどを落とせます。家の中のほとん

どの汚れは酸性であるため、アルカリ性重曹を使うと中和、分解することができるので効果

的です。同様に腐敗臭などのイヤな臭いも酸性なので、臭いの元の汚れを拭きとるのにも効果

があります。

ただし、トイレのアンモニア臭などのアルカリ性の臭い消しには向いていません。使い方として

は、重曹水として使う方法と粉のまま使う方法があります。

重曹の基本の使い方

重曹水として使う

重曹は水に溶けにくいので、40℃のお湯を1 カップ用意し、小さじ1/2 の重曹を入れて溶かし

ます。この濃度を守らないと白い粉が出てしまうので要注意。1日で使いきりましょう。フロー

リングは重曹水を含ませたぞうきんで拭きます。窓には重曹水をスプレーし、水切り(スクイ

ージー)で拭きとるといいでしょう。また、コンロの軽い油はねは重曹水をスプレーし、クロ

スで拭きとるとキレイに取れます。

②粉のまま使う

湯飲みなどについた茶渋や鍋底の焦げは、重曹の粉末を振りかけ、スポンジなどでこするとよい

でしょう。また、油汚れやぬめりが多いシンクには、重曹をまぶし、クレンザーとして洗いま

しょう。

古く固くなった油汚れを落とす

セスキ炭酸ソーダナチュラルクリーニング初心者におすすめ

重曹と同じ弱アルカリ性の洗剤ですが、重曹よりもpHが少し高いので洗浄力がより強くなりま

す。重曹と同様に酸性の油や皮脂、手アカなどの汚れを中和・分解し、効果を発揮します。

重曹との大きな違いは、水に溶けやすいという点です。重曹は水に溶けにくいため研磨剤として

も使えますが、セスキ炭酸ソーダは向いていません。ただし、水に溶けやすくても、重曹より

も強めのアルカリが残るのは心配なので、使用後はすすぎ、しっかりと拭きとりましょう。

セスキ炭酸ソーダ重曹よりもアルカリが強く汚れを落とす力が強いので、古く固くなった油汚

れが得意です。そうじが苦手で、これまでに油汚れをため込んでいる人でも、効果を感じやす

いでしょう。汚れを落とす力が強いぶん、手荒れしやすいので、手袋を着用して使用するのが

おすすめです。

セスキ炭酸ソーダの基本の使い方

①セスキ水として使う

セスキ炭酸ソーダは水に溶けやすいので、水1カップに、小さじ1/2のセスキ炭酸ソーダを入れ

て溶かし、スプレーボトルに入れます。階段の手すりやテーブルなど、よく触る部分の手アカを

落とすのに最適です。コンロ本体や壁などにこびりついた油汚れは、セスキ水をスプレーする

とクロスで拭きとれるようになります。

②粉のまま使う

炒め物をして油がたっぷりついたフライパンを洗うとき、セスキ炭酸ソーダを入れてつけ置きす

ると、すっきり落ちます。

水まわりの汚れに効果的

クエン酸:水アカや石けんカスなど水まわりの汚れに酸が効く

クエン酸はその名のとおり、梅干しやかんきつ類の「酸っぱさ」の元である「酸」です。調理用

のお酢のような独特の臭いがしないので、そうじ用として大変使いやすい洗剤です。

クエン酸は酸性の洗剤なので、アルカリ性の汚れや臭いに強く、シンクなどの水まわりに発生す

る水アカや石けんカス、トイレのアンモニア臭やタバコの臭い消しなどに効果的です。電気ケ

トルの底にできる白い水アカも落とせます。

そうじ以外にも石けんシャンプーの後のリンスとして使われるなど、使い方はさまざまです。た

だ、油やたんぱく質など酸性の汚れや臭いには効きません。アルカリ性重曹などを使ったほ

うがよいでしょう。また、クエン酸は酸が強いので、残っていると金属がさびたり傷めたりす

る可能性があります。使用後はしっかり洗い流すようにしてください。

クエン酸の基本の使い方

クエン酸水として使う

クエン酸重曹と違って簡単に水に溶けます。水1カップに対してクエン酸は小さじ1/2。水に

入れて混ぜ、溶かしたら完成です。2?3週間で使いきりましょう。洗面台の水まわりに発生する

水アカや石けんカスにはクエン酸が効きます。ただし、サビ予防に拭き上げが必要です。

②粉のまま使う

食洗機の洗浄にも使えます。専用の洗剤を使わなくても、クエン酸を入れることで水アカが落ち

るでしょう。排水口の流れが悪くなってきたら、パイプそうじをしましょう。重曹を振りかけ

、湯に粉末のクエン酸を溶いて流し、泡の力で詰まりを解消させます。

最後に、最低限用意しておきたい基本のそうじグッズをご紹介します。ナチュラルクリーニング

はこれらの道具と組み合わせることで、より力を発揮します。すべて簡単に手に入るものばか

りですから、そうじする前に必ず用意しておきましょう。

基本のそうじグッズ7つ

① スプレーボトル

スプレーしやすいトリガータイプがおすすめ。洗剤が入れられる素材を選ぶ。見分けがつくよう

、洗剤の種類に合わせて名称のラベルを貼ったり色を変えたりするとわかりやすい。

② ブラシ

便器や風呂場の床などをこすり洗いするときに使う。便器そうじに使う場合は、ブラシの柄が長

いものを選んだほうがよい。

マイクロファイバークロス

一般的なぞうきんよりも、極細の化学繊維でつくられているので、細かいゴミもとりこぼさない

。仕上げ拭きにおすすめ。

④ メラミンスポンジ

メラミン樹脂製のスポンジのこと。洗剤なしの水だけで汚れが落ちるのが特徴。主にシンクなど

の水まわりのそうじに使う。

⑤ 水切り

スクイージーともいう。窓ガラスや風呂場のそうじに使う道具で、水分や汚れをキレイに拭きと

ることができる。

⑥ ラップ

おそうじでは、排水口のそうじで水をせき止めるときに使う便利なアイテムに。乾燥の早い季節

にはキッチンペーパーで行うクエン酸パックなどの代わりにもなる。

⑦ キッチンペーパー

キッチンでの用途はさまざまだが、おそうじでは水アカを落とすためのクエン酸パックや、水気

を拭きとるためなどに使う。

汚れの性質(酸性・アルカリ性)を知り、それに合った洗剤と道具を選ぶ。この基本ルールさえ

押さえれば、強い洗剤を買いそろえて、ゴシゴシ力を入れてこすらなくても、手早く、ラクに

キレイにすることができます。ナチュラル洗剤そうじ術で、年末の大掃除を乗り切りましょう!

    ではごきげんよろしゅうに・・・。

小学三年生、母親の暴力警察に通報。。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

  不通と変わりなく見える過程。

その中に入ると驚かされるケースはたくさんあります。

 下記もその一例だと思います。

親がしつけを超えて、刃物であったり危害を加えることは

暴力以外の何物でもないと思います。

小学3年生が警察に届けたことは正解だったと思います。

愛情を感じることのしつけであるならば

子供も警察には届けなかったはず。

 事故コントロールの利きにくい大人はたくさんいるように思います。

親になる資格のない親が多すぎます。人間構造の異常事態宣言がいるのかもしれません。

警察官が暴力事件、セクハラ行為、また学校の先生のセクハラ行為も

年々常軌を逸しているのではないのでしょうか。

どこかの市長が職員に抱き着き、辞職を決断されるなど

まったく異常としか取れない行為が続いています。

大人に見せることのできる背中を持った生き方を

心がけたく思います。

子供が信頼できる親であってほしいものです。

貧しさは精神力の向上にもつながるので

大いに歓迎したいものです。

     アサヒコムより。

母から暴力、小3長男が110番 傷害容疑で女を逮捕

同居する小学3年の長男(9)を殴り、けがをさせるなどしたとして、飾磨署は28日、姫路市

内のパート従業員の女(28)を傷害と暴力行為等処罰法違反の疑いで逮捕し、発表した。「

言うことを聞かないので怒ってしまった」と容疑を認めているという。

署によると、女は26日午後11時ごろ、自宅で長男に刃物のようなものを突きつけて「刺すぞ

」と脅したほか、27日午後3時半〜午後3時40分ごろの間、自宅で長男を缶のようなもの

で殴り、頭や背中に打撲を負わせた疑いがある。

27日午後4時ごろ、長男から110番通報があり、発覚した。女は長男と夫の3人暮らしだっ

たという。

親の虐待による右目の失明からの出発。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 今日も穏やかな一日を約束するかのような

早起き鳥に起こされました。

このような中でも悲しく重苦しいニュースは次々に報道されます。

親の虐待がなければ五体満足で、将来不安材料も

少なくて済んだものを

一生の後遺症を抱えて生きることになる残虐を

おやといえるものたちはどれほどじかくできていることであろおうか?

 親の虐待による右目の失明、また唇などにもその痕跡はくっきり残っている男性。

親を知ることなく養護施設を転々として社会に出るも今なお母を求め続けておられる

お方に何とも言葉がない。

親になる資格がなくてもなってしまう現実。

子供を産みたくなくてもお金がないために有無に至る現状もあったのであろう。

このように動物以下の人間に対する対処も社会の対策が求められます。

虐待によるあってはならない後遺症を抱えながらも今なお

母を許し、待ち続けておられる子供対策もいるのではと思います。

おそらく虐待行為すら認識できていないのではと思わざるを得ない。

その両親といえるのかどうかは疑問ではあるが

その行為に至った当人同士も親から愛された体験を持つことがなかったのではなかろうか。

誰でもよい。この世の中で誰かに愛された経験があるならばそれは素晴らしい人格の核となるは

ず。

生きる喜びは、誰かの役に立つことのできる存在そのものです。

またそれが人生の目標につながりたいものです。

愛を知らない悲劇はもうこれ以上なくなることが望まれます。

     アサヒコムより。

虐待で失明、親の顔知らず…29歳が見つけた「居場所」

両親の顔を知らない。右目の失明にはつらい過去がある。孤独の中を生きてきた29歳の男性が

今年、自分の「居場所」を見つけた。見守り続けてくれている人たちに、この年末、ささやか

な贈り物をした。

男性は6月、大阪府内でグループホームを運営するNPO法人の職員になった。クリスマスの2

5日、その代表を務める女性(38)の長女(4)に犬のぬいぐるみをプレゼントした。女性

はお礼の言葉とともに、ぬいぐるみで遊ぶ長女の動画をLINE(ライン)で送った。

「与えられたり、求めたりするばかりじゃない。人にしてあげられるようになれたことが嬉(う

れ)しい」。男性はそう返した。

2歳で児童相談所に保護された男性は、15歳まで施設を転々とした。右目の失明のほか、唇と

左耳にやけどの痕がある。母親による虐待が原因だと、児相の関係者から聞いたのをおぼえて

いる。「恨みはない。でも、いつか迎えに来てくれると信じていた」

■釜ケ崎でできた「…

     みこばあちゃんのスタートメニュー

 ごはん豆腐、上げ、ねぎの味噌汁。

ささみのレモン虫、白菜の煮びたし

バナナ、ヨーグルト。

     ではごきげんよろしゅうに・・・。

人間破壊はどこにだってある。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 家族を持つべき環境でなかったり、その能力が問われていても

子供はできてしまいます。

また、4歳児と言う無抵抗者に乱暴する構造破壊いも残念です。

4歳児がありながらどちらも無色であるという。

これからは崩壊された家族とも言えない遺物の人間関係が誕生せざるを得ない悲しい社会の一部

を見せつけられた、大阪での虐待死。

親の選択を許されない悲しい誕生もあります。

 また精神疾患で誕生し、それの治療を受けることも許されず監禁状態の中での

33歳の19キロという栄養失調による投資を監視されての死。

夫婦の異常行動にも「どうして」と当惑させられます。

やはり周囲に知られたくなかったことが一番の原因。

衰弱しきって歩けない状態も放置していた。

命よりも自分たちの保身が優先されていた。

これは世間の評価が重くのしかかっていたことは間違いない。

わが子が障碍者として誕生すると

離婚する男性は少なくない。

自分の判断能力まで麻痺させてしまう誕生の有無による

悲劇は表明されないまでも多くある。

ケネディ元大統領の娘も知恵遅れとして誕生したが

日の目に出ることはなかったといわれている。

世に出したのが、元外務官として、日本に来られた娘さんであったという。

皆の意識の中に、望まれない誕生に異常差別が根強いために

世間に出られない障碍者は数多くあることは認識したいものです。

 人間構造の破壊が音を立てて崩れていくようで恐ろしいです。

これも楽しい我が家の崩壊からの副産物なのかもしれません。

教育の無償化が生む無料教育の人間破壊もちらほら感じてしまいます。

人間模様のさまざまに、この師走寒々としています。

人としての生きざままでも崩壊しきっています。

床ずれができるまで放置していたなんてこれが人としての行為とはとても思えません。

最近あまりにも心の貧しいお人が自分の生活圏においても

なんとおおいいことだろうと悲しくさせられます。

 私の知人は、道で言葉を交わしただけのお人の暮らしに、痛く心を痛め

何かと日常に寄り添っておられます。

     山系より。

33歳長女の死亡時の体重はわずか19キロ 長女を15年超2畳間に監禁、衰弱して凍死

大阪府寝屋川市の民家で23日、住人の柿元愛里さん(33)がやせ細った状態で死亡しているの

が見つかり、府警は25日、死因は栄養不足による凍死だったと発表した。

府警は、同居する両親を死体遺棄容疑で逮捕しており、両親は「娘には精神疾患があり、暴れる

ので16〜17歳の時から部屋の中で監禁していた」と供述。府警は長期にわたる監禁の状況や死

亡の経緯を詳しく調べる。

逮捕されたのは寝屋川市秦町、会社員・柿元泰孝(55)、無職・由加里(53)の両容疑者で、

長女の愛里さんと3人暮らし。23日、泰孝容疑者が「娘が18日に死んだ」と府警寝屋川署に出頭

した。

発表では、愛里さんは身長1メートル45で、死亡時の体重は19キロ。自宅の部屋に、間仕切りを

設けて作られた2畳ほどのスペースの中で見つかった。間仕切りの高さは天井まであり、愛里さ

んは布団の上に横たわっていた。

中には簡易トイレが置かれていたほか、二重扉で外側から施錠され、外に出られない構造だった

。内側に監視カメラも取り付けられており、2人は調べに対し、「暴れるので様子を見ていた」

と説明。閉じ込めるようになった経緯について「外に出ると危ないので鍵をかけ、中で療養させ

ていた」と話した。

1日1回しか食事を与えていなかったといい、間仕切りの外に置かれたタンクからチューブが挿

入され、水は自分で飲めるようになっていた。司法解剖の結果、胃の内容物はなく、背中に床

ずれがあった。凍死したのは、脂肪が極度に少なくなり、体温を保つ機能が低下したためとみ

られる。

府警は、今月18日に死亡したのに遺体を23日まで放置したとする死体遺棄容疑で同日、両親を

逮捕。すぐに届け出なかった理由を「死んだ後も娘がかわいくて、置いておきたかった」と供述

している。関係者によると、愛里さんについて両親から自治体に相談や届け出はなく、障害者

手帳は発行されていなかったという。

「近所付き合いない」

一家が暮らしていた民家は高い塀に囲まれ、外から中の様子はうかがえない。以前は両親と長女

の愛里さん、次女の4人暮らしだったが、現在、次女は別の場所で暮らしており、一家と近所付

き合いがある人はほとんどいなかったという。

近くに住む女性は「お母さんとは20年ほど話をしていない。長女は見たこともなかった」と振

り返り、別の女性も「そんなことが中で起きていたとは」と驚いた様子だった。

傍聴席からの人間模様。

     ご機嫌いかがでしょうか。

視界ゼロのみこばあちゃんです。

 平穏な時、もだえ苦しむとき、いろんな時を小鳥の冴え釣りとともに

うす曇りの師走は誰に伝えることもなく淡々と過ぎ去っていきます。

 私も母の一馬力で育った一人です。

ですから貧しさもよく知っているつもりです。

でもその貧しさを埋めるほどの母の愛に埋め尽くされていたと思います。

だから貧しさを苦しいなどと思うことはありませんでした。

近所の人が給食費を仮に来られても、気持ちよく用立てできる母に少々腹立たしい思いも感じて

きました。

 今ではそんな母の性格そっくりの自分になっていることにあきれてもいます。

 私は被告人とは考え方が少々異なります。

幼少時に出て行った父の存在など許すことはできなかったと思います。

不思議と貧しさにも独立心にも慣れ切っている今の自分は

北風にもとても強い体質になっています。

与えられた環境に感謝しなければなりませんですよね。

家族の三位一体には感動です。

どうか訪れる日々がこころおだやかでありますように・・・。

家族が機能していればこそ、乗り越えられる苦難坂も

笑ってやり過ごせることも家族有ればこそと思っています。

親を負担なく見ることが当たり前に思われる社会を願っています。

     東洋経済より。

「一緒に死のう」親子3人が入水した絶望の川 母の殺人と父の自殺幇助に問われた女の述懐

朝日新聞デジタル版連載「きょうも傍聴席にいます。」。毎回大きな反響を呼ぶ人気連載が新書

『きょうも傍聴席にいます』としてまとまりました。記者が見つめた法廷の人間ドラマをお届

けします。

「一緒に死のう」

認知症の母を長い間二人で介護していた父と娘。病気で自分も体が不自由になった父は、娘に言

った。「一緒に死のう」。娘は両親を車に乗せ、川へと向かった――。

2016年6月20日、さいたま地裁の201号法廷。母に対する殺人罪と父の自殺を幇助(ほうじょ)

した罪に問われた女(47)が被告として証言台に立った。髪を後ろで一つに束ね、白いシャツ

に黒のズボン姿。

裁判長:「起訴状の内容に間違いはありますか」

被告:「ないです」

起訴状などによると、被告は2015年11月21日午後6時ごろ、埼玉県深谷市利根川に親子3人で

軽乗用車ごと入水。母(当時81)を?れさせて殺害し、父(当時74)の自殺を手助けしたとされ

る。

冒頭陳述や被告人質問から事件をたどる。

被告は三姉妹の末娘として生まれた。父は被告が幼いころに家出。母が身一つで3人を育てるの

は厳しく、次女は養子に出された。被告は高校を中退した後、すしチェーン店などいくつかの

職を転々とした。20年ほど前、父が家に戻り、被告と両親の3人で暮らすようになった。

2003年ごろ、60代後半になっていた母は認知症パーキンソン病だと診断される。父と被告に

よる介護生活が始まった。当時被告は菓子製造会社で働いていたが、仕事と介護の両立は厳し

く、精神的に不安定になって無断欠勤をし、事件の約3年前には退職。以後、一家は月給18万円

ほどで新聞配達をしていた父の収入に頼るようになった。

被告人質問で弁護人は当時の母の様子を尋ねた。

弁護人:「どんな会話を?」

被告:「会話にはなりません。何年も前から私が娘とわかっていません。『どちら様?』とか『

こんちくしょう』とか暴言を言われたこともありました」

弁護人:「介護をやめたいと思ったことは?」

被告:「認知症だから仕方ないと思いました。認知症になる前は明るい母で大好きでした。認知

症になってからも大好きでした」

母と三女の関係は

被告の二人の姉が、情状証人として出廷し、母と三女の関係について語った。

長女:「母との絆は深く、献身的な姿勢はまねできなかった。私は父を『お父さん』と呼べなか

った。妹をうらやましく感じました」

次女:「三姉妹で妹は一番母に似ていました。いつも二人は一緒。密度の濃い関係に映りました」

被告は真っ赤になった鼻にハンカチをあてた。涙が落ちるのを防ぐかのように天井を見上げた。

二人の姉は「介護に対する不満、愚痴は一切聞かなかった」と口をそろえた。

2014年9月ごろ、母は寝たきりの状態に。父も仕事の傍ら、入浴や排泄(はいせつ)の介助をか

いがいしくしていたという。被告は法廷で父について「一家の大黒柱。大きな存在でした」と

語った。

だが、2015年9月ごろ、父が頸椎(けいつい)圧迫により体調を崩した。徐々に症状は悪化し、

11月に入ると新聞配達で使うバイクの運転が難しくなった。食事やトイレも、一人ではできな

くなり、11月12日、退職。一家の収入が途絶えた。

5日後、被告は市に生活保護を申請した。検察側によると、受給が認められれば月20万円弱が支

払われ、母の介護支援や父の医療扶助なども受けることができたはずだ、という。

だが、翌日、父は言った。「死にたいんだけど、一緒に死んでくれるか。お母ちゃんだけ残して

もかわいそうだから3人で一緒に死のう」

検察側は被告人質問で当時のやりとりについて尋ねた。

被告:「すぐに『いいよ』と答えました」

検察官:「止めようとは思わなかったんですか」

被告:「あまり自分自身、死への恐怖心がなかったんです。当時は死にたがっていたんだと思い

ます」

検察官:「説得しようとは思わなかったのですか」

被告:「全然考えませんでした。お金の関係は何とかなるという認識でした」

検察官:「父も手術すればよくなるはずだし、心中しなくても大丈夫と思うのが普通だが?」

被告:「よくなるとは思えないくらい症状が悪かったんです。父も手術しても寝たきりになるか

もしれないと言っていました」

検察官:「なぜ心中しようと思ったのか?」

被告:「父は、すべてがなくなって解放される。楽になる。体調悪化の苦しみ、生活保護の調査

を受けたこと、母の介護。すべて込みで楽になる。私については……わかりません。今は、父

に(心中を)言われなければ死ぬつもりはなかった、と思います」

検察官:「母を死なせたことについては?」

被告:「私と父が(死んで)楽になり、残された母が施設に入っていじめられたらかわいそう。

家族だから一緒じゃないと意味がない、と父に言われました」

惨めで、死にたい気持ちが高まった

「懇願」の翌19日、市役所の職員が自宅を訪れた。生活保護に関する面接だった。生い立ちや

家族の状況について聞かれた、と被告は説明した。

被告:「今までの人生、高校を中退し、仕事を転々としました。親子で同じような人生を歩んで

いるなあと思った。惨めで、死にたい気持ちが高まりました」

心中を言い出した父は「(手術を受ける予定の)30日までに心中できれば」と言っていた、と

いう。しかし被告は「行くのを早めるよ」と言った。

被告:「死ぬのを早めたのは私です」

事件当日の21日。なお「明日にしよう」とためらう父に被告は往生際が悪いと腹を立て、「そ

んなんじゃ置いていくよ。死ぬ気あるの」などと迫った。昼過ぎ、両親を車に乗せ、以前家族

で行ったことがあった群馬県の草木ダムへ。

被告:「ダムへ車でダイブできればそこでもよかったんですが、適当な場所がなくて。父は『列

車に突っ込もう』とも言っていましたが、遺族に巨額の賠償が請求されるって聞いていたので

、やめました」

自宅近くの利根川付近に戻り、暗くなるまで待って、川へ。直前、父の「ごめんね」という声が

聞こえた。車ごと川に入ったが、水深1.1メートル付近で車が前に進まなくなった。足元から水

が車内に入ってきた。

被告:「母は『冷たいよ、冷たいよ』と何度か言っていました」

被告は運転席側のドアを開け、母、父の順に外へ引っ張り出した。

被告:「母は『死んじゃうよ、死んじゃうよ』って手足をバタバタさせました。私は『ごめんね

、ごめんね』としか言えなかった」

父とはいつの間にか離れてしまった。

被告:「父には突き放された感じがしました。周りが暗くて、探せなかった」

両親の命は失われた

母だけは離すまいと服を強く握った。すると、動きが止まった。自分の口にも水がどんどん入っ

てきた。苦しい。吐く。楽になる。また、苦しくなる。流されるうちに、右足が浅瀬をとらえ

た。一人でうずくまり、空を眺めたり、歌を歌ったりして夜を明かした。両親の命は失われた。

被告人質問の終盤、裁判員や裁判長から質問が続いた。

裁判員:「事件の結果についてどうお考えですか」

被告:「父は具合が悪くなる一方で、自分を惨めに感じているだろうなと思っていた。父が死に

切れたことはよかったと思っている」「申し訳ないですが、私と母が死んで、今ここ(証言台

)にいるのが父だったら、その方が残酷だった。生き残ったのが私でよかったと思います」

裁判長:「重大な行為をした自覚はあるのか」

被告:「生き残ったが故に、この罪に問われていると思います」

6月21日の論告求刑公判。

検察側は「他に取り得る手段があり、犯行を思いとどまる機会もあった。事件の重大性に向き合

っていない」と懲役8年を求刑。

一方、弁護側はこう訴えた。「心中のきっかけは経済的な面ではない。生きる支えを失った父の

姿を見て、被告は死んだ方が幸せだと思った。母を巻き込んだのは、大事に大事にしていたこ

との裏返しだ」。執行猶予付きの判決を求めた。

最終の意見陳述。被告は時折嗚咽(おえつ)を漏らしながら、声を絞り出した。

「今思えば、私と母は相似形の親子でした。父も含めれば三位一体の関係だった」

「いつの日か世間に出て、『あのとき一緒に死んでいればよかった』と思う場面があるかもしれ

ないが、何があっても生きていくことが、両親への供養になると思っています」

「これからもどうか見守っていてください」

「姉の証言がありましたが、私も実際、父を『お父さん』と呼んだことはありません。きょうは

両親の月命日で……私のわがままなんですけど……」

涙で鼻がつまる。一呼吸置いて、こう言った。

「お父さん、お母さん、こんな私ですけど、これからもどうか見守っていてください」

6月23日の判決は懲役4年の実刑。「社会的な援助を受けて生きることもできた。生命を軽視し

ていたと言わざるを得ない」。献身的な介護、深い親子関係を認めながらも、執行猶予は付けな

かった。

宣告後、裁判員と裁判官からのメッセージが告げられた。

裁判長:「仲良く暮らしたときのお父さん、お母さんの顔を忘れることなく、毎日を大切に生き

てください」

「ありがとうございました」。被告は深々と頭を下げた。

検察、弁護側双方とも控訴せず判決は確定した。

2016.8.5?(金子智彦)

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通電社員過労死、母の手記。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 電通による過労死は何度か言われてきました。

いつものように例外なく改善目標が掲げられます。

でも内容は変わってはいません。

人員の確保とオーバーワークは旧態依然として何ら変わってはいません。

娘さんを過労死で亡くされたお母さんの手記は述べられています。

 体が悲鳴を上げながらなおも働き続け、精神もやみ

事故コントロールもままならなくなって自殺した娘の無念を訴えておられます。

でも会社の責任能力はたったの50万円です。

労災認定は確かに勝ち取りは致しました。

でもこのように何度となく繰り返される労働条件

上司もゆとりのない環境かもしれないです。

でもこれに従っていたら体が悲鳴を上げる人が

異常かのようにランクされることは残念です。

私たちが働いていたころは、労組が活発に機能し

改善要求はしっかりできてもいましたしそれなりの働き甲斐が

あったのも事実です。

総理の働き方改革の大前提は

ワーキング環境を整えることではないのでしょうか。

労働者が安定的に働ける条件を整えることも

企業のなすべきスタンスです。

このような声は聞こえてはこないことが残念です。

まだまだブラック企業も多くあります。

いろいろな問題が提言されこれを市民レベルの問題として

大きな話題としていけないものかと思います。

高橋まつりさんの母・幸美さんの手記全文

手記    高橋幸美

2017年12月25日

娘の「まつり」がいない、2度目のクリスマスです。

毎朝目覚める時に、まつりが生きている世界に戻っているのではないかと、いまだに淡い期待を

抱き続けています。目の前にあるのは元気なまつりの姿ではなく、まつりが眠る赤い箱です。

労災認定されてからもつらく苦しく、まつりを思わないときはひと時もありません。まつりは

私の生きる理由であり、まつりを語るとき、その姿はあらゆるところでよみがえり生き続けま

す。

ちいさい頃から人生を自分の選択で懸命に生きたまつり。最後も最善の選択をしてくれると信じ

切っていました。まつりの尊厳を守れるのは私しかいない。まつりの後を追うことは許されな

い。必死の2年間でした。

電通は1991年に社員が亡くなられた後に、「不幸な出来事が二度と起こらないよう努力しま

す」と誓いました。しかしその後も電通は、改革を行うことなく法律違反やパワハラを続けて

、何人もの犠牲者を出しています。そして、まつりも長時間労働パワハラとセクハラの犠牲

となりました。まつりの死によって、不夜城といわれた電通のあかりは22時に消えることに

なり、会社は「労働環境の改革を2年でやり遂げる」と再び宣言しました。

立派な改革案が提案されていますが、いまだに電通社員は「自分たちは厳しい上下関係や深夜勤

務を乗り越えて成長してきた」という成功体験にとらわれていて、意識改革は遠く難しいと思

います。会社も社員も非常識な文化や成功体験を捨て、改革への意識を共有して、本気で実行

に向かわなければ、また不幸な出来事を繰り返すことになります。

今年10月、電通労働基準法違反により、刑事裁判で罰金50万円の有罪判決を受けました。

人のいのちがうしなわれているのに責任があまりにも軽すぎます。判決時に労基法違反による

過失致死として、罰則を強化してほしいと訴えました。

労基法違反により過労死を起こした会社名を公表し、罰則を強化するように法律の改定が必要だ

と思います。会社責任だけでなく、裁量が与えられてない部下を管理する上司の責任も重大で

す。労働時間の過少申告を指示していたまつりの上司が、刑事責任に関して不起訴処分になっ

たことは大変無念です。パワハラも、人のいのちを奪います。パワハラやセクハラは絶対に許

されるべきことではありません。

安倍首相が働き方改革を必ず成し遂げ、平日の残業の上限規制を1か月100時間未満にすると

約束されましたが、過労死ラインを超える長時間労働を認めることになり、たいへん疑問が残

ります。ヨーロッパ諸国のように、11時間の勤務間隔をあける勤務間インターバルの義務付

けこそが必要だと思います。労働時間規制の例外の拡大は絶対にあってはなりません。眠らな

いで生きられる人間などこの世にいるはずないからです。

電通の労働改善も、政府の働き方改革も、どうしてまつりの生きていた時にできなかったのでし

ょう。もしこれらが実現していたら、まつりは生きて自分の夢に向かって社会に貢献していた

でしょう。まつりの苦しみは消えることはなく、どんなことをしてもまつりは生きて戻ってく

ることはありません。大切なまつりを失った悲しみと苦しみは一生消えることはありません。

私たち親子の名前がこんな形で日本に知れ渡ることは私たちの望みではありませんでした。普

通の生活をして普通に幸せになりたかったのです。

私たちのような不幸な親子を増やさないために経営者や従業員、すべての人の意識を変えて、日

本の社会全体で働く人の命と健康を守ってほしいと思います。

2017年12月25日 02時02分

Copyright (c) The Yomiuri Shimbun

     読売記事より。