祖父母を殺害した少年のむねのうち・・・。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 いろんな記事に触れ、いろんな星々のもと

親を選べない運命に改めて運命を感じてしまう。

 親になれない未成熟であっても子供は生まれてしまう。

多くの子供たちが卒業後 希望をもって胸はずますことのできる

環境の整備は大人の責任として 一線を退いても活躍の場を見い出し

義務家庭の支援をいただけたお礼として

何かお礼の一つもできるとうれしいものである。

 此のたび祖父母を殺害し、お金の無心のため殺害した少年17歳は

母の命令によりじっこうしたとか・・・。

此の過酷とも言える環境に同情も集めているようであるが

少年にも責任は免れはしない。

全く判断能力がなかったかといえば疑問は残る。

母の行動が社会の一員として受け入れられる人格については

検証 判断能力もあるはず。

生まれてからの環境は選べないのではあるが、それを恨んだり悔やんでいたのでは一歩たりとも

前には進めない。

おかれた環境のもと、その環境を受容しながら生きていける

スキル個別に身に着けたいもの。

恨み節は、人を前には進めることはない。

 犯罪を起こした少年が、大人に対する不信感

だけを植え付けて育ったかのように論じられてもいるが軌道修正のみちびきとして、その存在が

受け入れられて、新たなる一歩が社会の中でかけがえもなく大切な存在でもあり

人の本木戸の出会いがあることを願わずにはいられない。

     東洋経済より。

社会に訴える「一歩踏み出す」ということ 指示され祖父母刺殺、17歳少年の苛酷な生活

「大人に対しては、疑う心しかありません。自分(少年)に対して得なことを差し出してくる時

は、その後、相手にはもっと大きな得があり、そのための小さな損をしているとしか考えられ

ない」

2014年、埼玉県川口市で祖父母を刺殺し、金を奪ったとして強盗殺人罪に問われた少年(事件

当時17歳)は、裁判で大人に対する絶望的なまでの不信感をあらわにした。幼いころから母親

らに金を得るための道具のように扱われ、虐待を受け続けてきた。

裁判を機に少年が育ったあまりに過酷な境遇が明らかになると、複数の大人が支援を名乗り出た

。少年は支援者に感謝しながらも、裁判や手記では「人を信じて裏切られ、傷つくのが怖い」

「どうせいつか関係が切れるなら、今壊したほうがいいという破壊衝動に駆られる」などと胸

の内を語った。長く続いた虐待は、少年から人を信じ心を通わせることの喜びを奪っていた。

少年が育った境遇の悲惨さ

少年は埼玉県内で生まれ、10歳のときに両親が離婚し母親に引き取られた。毎日のようにホス

トクラブに通った母親は、ホストを追って家を出たきり1か月間帰ってこないこともあった。

母親がそのホストと再婚すると、少年は両親に連れられ、各地を転々としながらラブホテルに泊

まり、生活費が尽きるとホテルの敷地内にテントを張ったり野宿したりする生活が2年以上続い

た。家も住所もなく、小学5年からは学校にすら行っていない「居所不明児童」だった。

少年はその間、両親から身体的、心理的、性的、ネグレクト(育児放棄)の虐待を受け、親戚に

金の無心を繰り返しさせられていた。16歳で義父が失踪すると少年が塗装会社で働き家計を支

えたが、すべて母親の遊興費に消えた。

母親の命令で給料の前借りを繰り返したが、それ以上、前借りができなくなって金が尽きると、

祖父母を殺害して金を奪うよう母親に指示され、事件を起こした。

私は、さいたま地裁での裁判員裁判で少年が育った境遇の悲惨さを知って衝撃を受け、当時、拘

置所にいた少年と面会や手紙のやり取りを始めた。

児童相談所などの公的機関や両親以外の大人とも接点があったにもかかわらず、なぜ誰も少年を

救い出すことができなかったのか。理由が知りたくて少年の足跡をたどる取材を始めた。その

過程でいくつか記事を書くうちに、ある「恐れ」を感じるようになっていった。

少年がやり取りを拒むことはなかった

それは、冒頭のように虐待の後遺症で大人に極度の不信感を抱く少年に対し、「自分が中途半端

に深入りすることで、さらに傷つけてしまうのではないか」という恐れだった。

少年との手紙は、主にこちらの質問に少年が答える形でのやり取りだった。普通にやり取りが続

いても、一つ記事が載るごとに、わざとこちらを怒らせるようなことを書き、自分から関係を

断とうとしているように感じることもあった。

まるで「必要な情報は得られたでしょう。ボクはあなたにとってもう利用価値はないですよ」と

言っているようだった。しかし、取材すればするほど明らかにしたいことが出てきた。もう少

し事件の背景を取材したいと伝えると、少年がやり取りを拒むことはなかった。

「恐れ」を感じつつも取材を続ける中で、ポプラ社から書籍化の話をいただいた。文字数に制限

がある新聞では書きたくても書き切れないことがたくさんあったため、ありがたい話だった。

しかし、その少し後に妊娠が分かったこともあり、本当に書けるのかどうか自問自答を続けた。

「必ず書き上げる」と覚悟を決め、少年に書籍化の話を伝えたのは、最初に話をいただいてか

ら10か月ほどが経ち、私が産休・育休に入る直前だった。

少年の答えは、「いいんじゃないすか?」という意外にもあっさりしたもので、少し拍子抜けし

た。出産してからは、子どもが寝た細切れの時間を使って少しずつ原稿を書きため、約1年かけ

て書き上げた。少年は私にさほど期待していなかったかもしれない。しかし今思い返すと、あの

とき私を動かしていたのは、「少年との『約束』を破って傷つけたくない」という一点だった

ように思える。

少年には、自分と同じような境遇の子どもたちを助けてあげたいという強い思いがあり、本には

、「一歩踏み込んで何かをすることはとても勇気が必要だと思います。その一歩が目の前の子

どもを救うことになるかもしれない」「やはりその一歩は重いものです。そしてそれは遠い一

歩です」という、少年の手記も掲載されている。

今回、少年を取材し本を書くという作業を通し、私は身をもって「一歩踏み出す」ことへの恐れ

や難しさを体験していたのかもしれない。踏み出すことで負う(負ったと自分が感じる)責任

はあるが、その先には思ってもみなかった大切な出会いや「気づき」があり、私を支えてくれ

た。

私は「一歩」を踏み出す前にあれこれ考えすぎて躊躇(ちゅうちょ)してしまう人間だった。今

回、私が踏み出したかもしれない「一歩」は、私がこれまで、心の中で「踏み出してみたい」

と思い続けながら、勇気がなくてできずにきた「一歩」だったように、今は感じている。

(文:山寺香)

安部政権低迷している今だからこそ、本領発揮。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 安部内閣の支持率は35%にまで低迷している。

こんな中で謝罪などされてもその言葉はすべて色あせて聞こえるのはなぜだろう。

 総理は今までいろんな矢を投げてこられたがこの検証はどうなっている?  経済の成長だよ

りに毎年100兆円以上の予算を計上しているが

この借金は総理がなくなられても返すことのできないほどの債務

誰がこの借金返済するのでしょう。

今では自民党内においてもポスト安部がささやかれてもいる。

もはや総理の求心力などあてにもできない。

だからと言って、その受け皿までもが危うい現状。

 総理の本領発揮ができるとしたら、この低迷状態の中

しっかり本領発揮していただきたく思います。

経済の成長はもう待ったなし。

    朝日コムより。

アベノミクス 国民の不安に向き合え (8月5日)

「最優先すべきは経済の再生」「(経済再生相には)アベノミクスをさらに加速させてもらいた

い」

内閣改造後の記者会見で、安倍首相はそう強調した。「またか」と聞いた人も少なくないだろう

が、ここは経済政策への基本的な姿勢を問いたい。

景気をよくすることは大切だが、国民が求めているのはそれだけではない。高齢化で費用が膨ら

社会保障を、先進国のなかで最悪の財政でどう支えていくのか。将来への不安の解消に努め

ることも、最優先で取り組むべき課題である。

安倍政権の経済政策「アベノミクス」は、デフレ脱却を達成し、経済成長を追い求めることが柱

だ。成長で税収が増え、財政再建社会保障の維持・充実も実現できると説明する。

首相は2012年に政権に返り咲くと、大胆な金融政策、機動的な財政運営、成長戦略の「3本

の矢」で「経済政策を力強く進める」と宣言し、国民の期待を集めた。しかし実際は、集団的

自衛権の行使容認や安保関連法の成立、さらには憲法改正と、自らの政治的悲願の達成に力を

注ぐ局面が目立った。

批判が高まると、そのたびに「次は経済」と唱える。目先の景気にばかり力を注ぐ姿勢は変わら

ない。社会保障の財源になる10%への消費増税は、「アベノミクスの成功を確かなものとす

る」(14年11月)、「アベノミクスのエンジンを最大にふかす」(16年6月)として、

立て続けに延期した。

この4年半で見えてきたのは、政策の行き詰まりだ。

物価上昇率は目標の2%に一向に届かない。20年度に基礎的財政収支を黒字化するという財政

再建目標の達成も絶望的だ。金融緩和も財政出動も余地が狭まるなか、毎年策定する成長戦略

は項目が積み上がるが、もともと短期間で成果を期待できる「魔法の杖」ではない。

首相は、そうした現状を認めるべきではないか。

女性活躍、1億総活躍、働き方改革ときて、今度は「人づくり革命」だという。こうしたかけ声

のもとで必要な改革がいくつか進んだのは確かだが、それぞれの総括を欠いたままでは、アベ

ノミクスの行き詰まりを取り繕うために目先を変えていると言われても仕方がない。

国民が求めるのは新しい看板ではない。暮らしがよくなったと実感できること、そして将来を安

心して展望できることだ。

人口が減るなか、22年には団塊の世代が75歳になり始める。無駄にできる時間はない。

全盲の弁護士夫婦、一点の曇りもないほどの青空のもとの幸せ感は、誰にも届かないほどの価値がある。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 一般社会にあって、全盲夫婦といえばどのようにユメージされるでしょう。

「わあー大変、何にもできないのに生活できるの」といったお声が聞こえてきそうですね。

でも普通に近い暮らし、何より幸せ感が普通以上に漢字、工夫次第で

家族仲良く楽しい暮らしがそこにはあります

 お互い不自由さは、阿吽の呼吸で理解もでき、思いやりとて

御人の何倍もあるのではないでしょうか。

き。

不自由さが多ければその何倍もの幸福感が得られるのではと想像します。

    東洋経済より。

2人で越えた難関の司法試験、結婚、妊娠・出産 全盲の夫婦が築く「見えなくても」明るい家庭

「結婚したら人生劇変!〇〇の妻たち」(TBSテレビ系)。人気番組「プロ野球戦力外通告」「

プロ野球選手の妻たち」を手掛けるスタッフが、夫を支える妻の姿を通して、夫婦の愛と葛藤に

迫るドキュメンタリーだ。

?

常時30件のクライアントを抱える売れっ子弁護士と結婚した大胡田(おおごだ) 亜矢子さん(42

)。女性なら誰しもが憧れる人気職業の妻だが、実は亜矢子さんには、体にハンディがある。視

力に障害があり目が見えないのだ。早産で生まれてきた際、未熟児網膜症を患い、生後まもな

くして視力を失った。

そんな亜矢子さんの夫である誠さん(40)。実は彼も視力を失い、目が見えない。そう、2人は

共に全盲の夫婦なのだ。

驚きの工夫で家事も育児もパーフェクト

そう聞くと、しんみりした話かと思いきや、そんなことはない。大胡田家の中は常にきれいに片

付けられ、亜矢子さんの手料理を子どもたちが頬張る。包丁さばきも見事。それもそのはず、

実は生まれたときから目が見えない亜矢子さんには20年以上の料理のキャリアがあり、18歳で

一人暮らしを始めたときから自炊をしてきた。

お米を炊くなんてお手の物。なんと危険度の高い揚げ物も自分で調理する。火がついたか、手を

かざして温度確認。揚がったどうかの確認は

「音です音。(最初は)ピチピチって凄く高い音がしてるんだけど、火が通ってくるとシンシン

みたいな音に変化してくる」(亜矢子さん)

実際、その料理の出来栄えは、とっても美味しそう。冷蔵庫の中も綺麗に整理整頓されている。

調味料を識別するのに頼りにしているのが…

「ソースの形って四角いですけど、最近のはソースの蓋に点字でソースって書いてある。マヨネ

ーズは蓋がボコボコしてボトルがツルツルしている。ケチャップは手触りがサラッとしている

材質で、しかもボトルにケチャップって点字がある」

そんな亜矢子さんにとって、選びづらい調味料は

「いちばん困るのがドレッシング!ドレッシングの“ドレ”って点字で書いてあるんだけど、何

の味かが分からない。じゃあどうしていくかというと、私が大好きなレモンのドレッシングに

は輪ゴムを付けています。(日常使うドレッシングは)あと2種類あるんだけど、最終的には蓋

を開けて匂いを嗅ぎます(笑)。そうやって、いろいろ工夫しているわけです」(亜矢子さん)

洗濯にも亜矢子さんなりの工夫がある。ちらかり易い靴下は、1つにまとめてから洗濯カゴへ。

亜矢子さんが決めた家族のルールは、安全ピンで留めて洗濯して干すこと。「そうするとバラ

バラにならない」(亜矢子さん)。安全ピンを付けたまま干された靴下は、しまう時に外して

整理される。

目の見えない両親を気遣う子どもたち

子どもたちも、幼いなりに両親の目が見えないことを理解しているようだ。今年小学校に上がっ

たばかりの長女・心(こころ)ちゃんは

「お肉ないかな」(亜矢子さん)

「しらたき取れてないよ」(心ちゃん)

「だってあんまり取るなって言ったじゃん」(亜矢子さん)

やんちゃ盛りの長男・響(ひびき)くんも、自分が使った踏み台をパパのために脇へ寄せる気遣

い。明るく穏やかな家族の日々。しかし、これまでの道のりにはさまざまな出来事があった。

亜矢子さんは静岡県出身。生まれながらに目が見えない亜矢子さんが、幼い頃から興味を引かれ

たのは音楽。歌手になることを夢見て、武蔵野音大の声楽科を卒業。見事、プロの歌手になっ

た。

一方、2歳年下の誠さんも、妻と同じく静岡生まれ。幼い頃は目が見えていたものの、先天性の

緑内障が進行し12歳で失明。完全に視力を失った。その絶望から立ち直るきっかけとなったの

が1冊の本。

「ぶつかって、ぶつかって」

著者の竹下義樹(よしき)さんは日本で初めて全盲で弁護士になった人物。さまざまな苦難にぶ

つかりながら、点字六法全書の作成に尽力するなど新たな道を切り開いたパイオニア。その

生き様に感銘を受けた誠さんは弁護士を目指すことを決意する。

TBSテレビ『結婚したら人生劇変!〇〇の妻たち』次回は8月7日(月)よる7時から放送です

とはいえ、その道はやはり険しいものだった。ただでさえ超難関の司法試験。これを点字にする

と、とてつもない量になる。誠さんは試験に何度失敗しても、めげずに夢を追い続けた。

そんな誠さんに、亜矢子さんが出会ったのは26歳の時。すでにプロの声楽家として活動してい

た亜矢子さんが地元・静岡で開いたコンサートに、誠さんが手伝いに来たのがきっかけだった。

「話している雰囲気と声と人柄に惹かれたんですね。いろいろと相談に乗ったりしているうちに

、そういうことになってですね(笑)」(亜矢子さん)

亜矢子さんのアプローチで交際を始めた二人。そして交際から5年。29歳となった誠さんは5回

目の挑戦で司法試験に合格。努力と共に歩んだ誠さんの半生は、後に書籍化され大きな反響を呼

んだ。そして、ほどなくして2人は結婚。誠さん33歳、亜矢子さんは35歳だった。

目の見えない2人が結婚、そして出産。亜矢子さんに不安はなかったのだろうか?

「何も別に無かったですね。初めての妊娠・出産・育児って、目が見える見えない関係なく皆不

安だし、皆大変じゃないですか。それを一個一個2人でクリアしていけば、別に良いんじゃない

かなって気持ちだったので、取り立てて不安は無かったです」(亜矢子さん)

ありのままに…心の声を伝える子育て

密着中にはこんな親子の出来事があった。この日は6歳の長女・心(こころ)ちゃんとオセロで対

決。そのゲーム中盤を迎えたときのことだ。負けそうになった心ちゃんが、突然、不機嫌に。マ

マを傷つける言葉を言ったのだ。

「とても1年生とは思えないようなその態度」(亜矢子さん)

「ママは大人とは思えません」(心ちゃん)

「どうして?」(亜矢子さん)

「見た目で。見た目で保育園、幼稚園、赤ちゃんぐらいですね。馬鹿な人だよね。変な人だもん

ね」(心ちゃん)

はずみで出た言葉とはいえ、ママを傷つける一言。すると…

「ママ、すごく傷ついた…」(亜矢子さん)

亜矢子さんは叱るのではなく、あえて悲しい気持ちだけを伝えた。

ママの言葉に、突然泣き出す心ちゃん。亜矢子さんはその様子を、何も言わずに静かに見守るだ

け。すると、心ちゃんがママのもとへ。

TBSテレビ『結婚したら人生劇変!〇〇の妻たち』次回は8月7日(月)よる7時から放送です

「ひどいこと言ってごめんなさい」(心ちゃん)

「『バカだね』とか『変な人』とか、ここちゃん言われたらどう思う?」(亜矢子さん)

「悲しい気持ち」(心ちゃん)

「ママも1年生とは思えないねとか言っちゃったからゴメンネ」(亜矢子さん)

これが亜矢子さん流の子育てだ。家事に、育児に、とにかく明るい亜矢子さん。彼女にとって、

結婚とは?

「1人だったら絶対に得られない経験をたくさんできています。自分の人生の中で主人と子ども

たちがいちばん大きい」(亜矢子さん)

ほどよいほねやすめに・・・。

 井上様、お世話になります。

 当地は暴風雨です。

山口も今日歩くことは無理なのでしょうね。

足摺岬を北東に進むことになるのでしょうね。

今日はどうか骨休めにしてくださいませ。

あの蒸し暑かった日から、少し解放されたみたいです。

大型台風5号にご用心。

     ご機嫌いかがでしょうか。 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 大きな台風5号が九州方面に上陸するようだ。

台風までも遠隔操作で消滅することができたらどんなにうれしいことでしょう。

大きい台風がエネルギーを蓄えて日本列島大暴れだけはどうかさけてほしいとねがう・・・。

台風も大きく海水温の影響を受けている限り

温暖化対策は避けられない課題。

   

  台風に関する引用文。

<台風のエネルギーは海から湧き上がる>

台風は南の海で発生し、次第に勢力を強めながら北上してきます。

日本近海で発生することはめったにありません。

これは、台風にエネルギーを与えているのが海水の持っている熱エネルギーだからです。

もっと具体的に言うと、海水が蒸発するときに水蒸気が持ち出す「気化エネルギー」です。

海水の温度が高ければ高いほど水蒸気は容易に発生しますから、気化エネルギーもたくさん、台

風に持ち込まれますし、台風の移動中も海水が温かければ温かいほど、台風の勢力は強まりま

す。

日本の周りには黒潮対馬海流などの暖流があり、これが温かい南の海から暖かい海水を運んで

きますから、これの上に沿って上がって来る台風はエネルギーを吸い上げ続けます。

つまり、台風の中心部が暖流の流れる海の上にある限り、台風は勢力を強めるか、衰えさせるこ

となく維持し続けます。

上陸しないで日本の沿岸を舐めるように走る台風が甚大な被害をもたらすのはそのせいです。

<エネルギー充填中は速度も上がらない>

勢力の強い台風は速度が遅いものですよね、2014年の7月上旬に発生した台風8号など、瞬間最

大風速は75mに達するのではないかとさえ言われました。

実際には60m程度でしたが、それでも沖縄地方に停滞して甚大な被害をもたらしました。

どうして勢力が強いと速度が遅いのか?

それとも、速度が遅いから勢力が強いのか?

これは後者と考えていいようですね、つまり、「速度が遅い場合、勢力が強くなる」という関係

と考えていいようです。

では、なぜ速度が遅いものと早いものがあるのか?

こちらの理由を決めているものも海水の温度です。

台風5号、宇宙から撮影 JAXAが画像公開

http://www.sankei.com/life/news/170805/lif1708050022-n1.html

老いと娘。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

両親が高齢になると娘と手それなりの年齢にもなっている。

人に聞く話でもあるが、娘さんは一番距離感が近くて遠いい関係などともいわれている。

 両親も年を取り心細くなってきた団塊の援助とその理解は不可欠であると思うが

娘さんとの若いころからの人間関係の構築も大切な要因。

また、一社に生活していないことで、オイル理解も薄く子育てはしても

所有物ではないのだから、ある程度の甥対策と覚悟も必要な気がする。

また、ご自分の両親が老いた時、どの程度の接触を果たしてきたかも反省材料になりはしないの

だろうか。

きびしいかもしれないがおいての覚悟と自立心だけは備えておきたいものでです。

でも冷静な感覚で忠告してくれるのも娘あればこそです。

    産経より。

【川村妙慶の人生相談】訪ねてきてくれない娘…

相談

今年の4月、夫が意識を失いました。今も人工呼吸器を付けて延命治療を受けています。医師の

診断によると、回復の見込みはないそうです。糖尿病で通院治療を受けていた夫ですが、突然

のことで受け入れがたい現実です。これまでに2回心臓が停止しました。その度に心臓マッサ

ージを行い一命をとりとめましたが、昏睡(こんすい)状態のまま生命を維持しています。

私はときどき、娘の運転する車で病院に面会に行きます。物言わぬ夫を残し病院を後にするとき

はとても切ないです。私は少し足が悪いのですが、娘は私に配慮することなく病院で先に歩い

ていってしまいます。娘は私の所から歩いて15分ほどのところに住んでいますが、訪ねてき

てくれることはありません。1人で過ごす時間が増え、特に夜は時間を持て余し、さみしくて

仕方ありません。心細いのですが、娘は電話もくれず、話もしてくれません。(大阪府、70

代女性)

回答

ようこそお便りくださいました。

連れ合いさんの昏睡状態の状態が続いている中、どれほど寂しくも苦しい状態でしょうか? こ

んな時だからこそ娘さんには側にいてほしいですね。

娘さんも何か問題を抱えておられるような気がしてなりません。今の生活のことで余裕がないの

か? または、あなたとの過去のことで、何かわだかまりがある状態が続いているのか? 過

去に傷ついたことがあれば、何年も引きずってしまう方もおられます。

もし2人の間にわだかまりがあるのならば、あなたのほうから解消するきっかけをつくりません

か? つらいですが、相手に優しくしてもらいたければ、あなたが相手を理解していくしかな

いのです。

無量寿経(だいむりょうじゅきょう)に「心得開明(しんとくかいみょう)」「耳目開明(に

もくかいみょう)」という教えの言葉があります。耳が開かれ、目が開かれるという意味です。

耳が開かれるとは、相手の心の叫びを聞いていくということです。あなたが耳を傾けてこそ、相

手の言葉が素直に聞こえてうなずいていける、そこから心が通じていくのです。

どれほど努力しても変わらないのは「過去と他者」です。だったらあなたが目線を変えて「今日

は来てくれてありがとう。うれしかった」という言葉をかけてください。無意識の中で私は母

の中で存在するのだと思うでしょう。あなたも心配してもらいたい。しかし娘さんも心配して

ほしいのです。

私は師から「浄土は言葉がいらぬ世界であり、地獄は言葉の通じない世界である。人間の世界は

言葉の必要な世界である」と教えていただきました。

連れ合いさんとはお話しできませんが、手のぬくもり、気持ちの中では必ず通じあえています。

どうか娘さんと3人で手を握り合ってほしいと念じています。

回答者

川村妙慶 僧侶兼アナウンサー。52歳。ラジオのパーソナリティーとして活動するほか、ブロ

グの法話を日替わりで更新している。著書に『人生が変わる親鸞の言葉』(講談社)など。

相談をお寄せください

住所、氏名、年齢、職業、電話番号を明記のうえ、相談内容を詳しく書いて、〒100−807

8 産経新聞文化部「人生相談 あすへのヒント」係まで。

〈メール〉life@sankei.co.jp

〈FAX〉03・3270・2424

防災に寄せて。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 台風5号のニュースが報じられています。

九州方面の更なる災害がないことを念じていたいが

今までの災害で、地盤の変化には十分お気を付けくださいませ。

防災に関する思いは「大丈夫かな。」といった具合でわが身に迫ってこないと

まるでよそごときぶん!

防災の基本は「自助」次に「共助」それから控除」となっているが

その場に直面して初めて避難対策もあわてふためき、防災グッズすらなく

とんでもないものをもって非難しそうである。

  田舎においてもご近所の関係は昭和40年くらいまでは助け合うのが当たり前。

ご近所に行くにも玄関ではなくお勝手口から出入りするのが当然化のように

ご近所の関係、きづなも強かったと思うが、近頃では息子さんのお嫁さんでもわからないといっ

た具合で、お人の関係がまるで希薄そのもの。

これも豊かさからくる置き土産なのかもしれない。

田舎では、消防団組織もしっかりできていて、ある年齢に達すると

当たり前とされていたが、今では消防団に入団する若者も少ないという。

 ほとんど視力を失ったころ、冬の寒さ厳しい深夜、少し認知の入った夫婦が暮らしておられ、

山の中腹からおじいさんが「おーい、おーい」と叫んでおられ

ご近所の方々の耳にも届いていたはずであったが現場に出向く人など一人もなかった。

奥さんも認知が少しおありで、対処などできないことは近所でも知るところ。

 ミコばあちゃんも気がかりではあってもお声がけなどしずらい。

 だけど気になり棒きれだよりに険しい山に少し上りかけたが

私までも、お人のご迷惑になってはと

途中から引き返した苦い経験がある。

24時のころにはそのお声も聞こえなくなっていたので、誰か助けに行って下さったのだと正直

安堵もしていた。

 翌朝の8時過ぎ救急車が来たので聞いてみると

山にいたおじいさんが意識不明で病院に搬送されたが、心臓まひで

このように命に係わることまで、ドアを閉ざしてしまう関係

これを修復することなど300ねんはかかりそう・・・!

これが近所の実態。本当に自助の実が頼り。

 道徳心まではるかかなたのような気がして淋しい限りです。

市民力、近所付き合いから 地域住民の役割

http://www.asahi.com/articles/ASK703DF5K70PIHB004.html

http://www.asahi.com/articles/ASK703DF5K70PIHB004.html