令和は期待するものではなく作り出すもの!
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
子の令和に便乗し、この浮かれぶりは何だろう…?
今日は憲法記念日。
阿倍一政権で平和から戦いへの舵が切られようとしています。
子の令和の発表による経済効果は政府の思惑も的中し
経済効果は確かに功をそうしたようだ。
大正、昭和、平成,令和と生き続けている人の年齢は
「もはやわからん」のお年寄りもきっとあるはず。
市町村では新元号が使われることは数多くありますがこれを
西暦に統一されてよい、機会でもあったはずです。
新天皇が即位されたのも59歳であるならば
令和もそれに伴い30年余りと想像する。
西暦に統一されるべきでもあろう?
令和は、期待するものではなく我々一人一人の意識レベルの問題!
バブル崩壊からの企業の低迷。
さらに、日本がバブル崩壊後の景気低迷を脱することができない背景には、世界の潮流
の最先端を独占するような独り勝ちの企業が少なく、本来なら淘汰されるべき企業が数
多く生き残っている現実がある。
そうした中小企業の多くは、国際的に第一線に躍り出ていく研究開発費もなければ、海
外の有力企業をM&Aによって取り込んでいく、といった大胆な経営戦略や投資もできて
いない。もともと生き残れなかった企業に、そんなパワーもなければ、人材もいない。
長々続くデフレ経済。
決して喜べない長寿社会と社会保障問題。
それに伴う労働者不足。
GGPの230%を超える財政赤字。
四選を狙う安倍政権…?
長期政権の膿だけは除かねば
阿倍政権の巧言令色にどれほど騙されたことか?
財政赤字はとめどなく続く消費税20%はもはや遠くない。
西日本新聞からの引用。
令和の幕開け 弱き者に寄り添う時代に
5月の薫風が新しい時代を運んできた。皇太子さまがきょう、新天皇として即位され
、新しい元号「令和」が始まった。
「令和」はおおむね、好感を持って国民に受け止められているようだ。この2文字に
は「人々が美しく心寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められている」と安
倍晋三首相は述べた。
その通りなら、まことに結構である。だが、今の日本社会を見回せば、素直にうなず
けない。「良い」という意味で用いたという「令」は「命令」「巧言令色」、世代によ
っては「召集令状」を思い浮かべるという人も少なくない。
●「たが」が外れた
「令和」の考案者とされる国文学者の中西進さんは、「令」は「麗(うるわ)しい」
という意味だ、と説明する。麗しいは「整っている美しさ」。その整っている状態を次
の時代の目標とするのは、今が「野放図な時代だから」と言う。
野放図は、放っておけばどこまで脱線するか分からない様子だ。
30年に及ぶ平成の間に「たが」が外れて脱線してしまったものを整え、調和のある
姿につくり直す-。それが令和の時代に私たちがなすべきことではないだろうか。
野放図に膨らんだバブル経済がはじけ、長い不況にあえいだ日本は、国と地方の借金
もまた、野放図に積み上がっている。
「忖度(そんたく)」という言葉が飛び交った政官界の「たが」も外れてはいまいか
。森友、加計(かけ)学園を巡る疑惑の真相はやぶの中だ。防衛省の日報隠し、財務省
による文書の隠蔽(いんぺい)や偽造、経済政策の基となる統計データの不正…。出世
か保身か、権力者の歓心を買うためか。
政権幹部からも、震災被災者の心を傷つけたり、女性や少数者の人権を軽んじたりす
る発言が相次ぐ。大事故を起こした原発も、国民の理解を得ないまま、経済界の意向に
沿って再稼働を急ぐ。大震災の反省や教訓を忘れ、時計の針を巻き戻そうとするかのよ
うだ。
都合の悪いことは隠し、ごまかし、うわべを取り繕って言い逃れ、最後はうやむやに
する悪弊が永田町や霞が関にはびこっている。
1強長期政権の慢心と緩みは、政治に対する国民の信頼を大きく損ねた。国民の代表
である政治家や公僕たる官僚の「たが」はしっかりとはめ直さねばならない。
たとえ政治が劣化しようと、昭和から平成、そして令和へと引き継がねばならないも
のがある。
先の大戦の悔恨と反省から生まれた不戦国家の理念と、そのよりどころである平和憲
法だ。
安倍政権は、歴代内閣が堅守してきた憲法の解釈を変更して集団的自衛権の行使と自
衛隊の海外派遣に道を開いた。平和憲法の根幹を、国民的論議も選挙の審判も経ず一内
閣の独断で変えてしまうやり方は、野放図ではあるまいか。
私たちの周りでも「ゆがみ」や「格差」が顕在化した。
●格差に目を背けず
インターネットや会員制交流サイト(SNS)の普及で、誰もが意見を発信できる便
利な世の中になった。一方で、真偽ない交ぜの情報が飛び交う。偏向した意見や虚偽の
情報にあおられた「ヘイトスピーチ」が憎しみや怒りを増幅させ、社会を分断している
。
終身雇用、年功序列というかつての働き方は崩れ、非正規雇用が常態化した。「女性
活躍」の掛け声とは裏腹に、女性の賃金は低く、出産や育児と仕事を両立できる環境整
備は進まない。子どもや高齢者の貧困も見過ごせない。「経済的格差」は広がるばかり
だ。
ひきこもりやいじめが深刻な社会問題になった。性的少数者(LGBT)の権利も守
りたい。世間から孤立し、基本的な人権がないがしろにされる「社会的格差」からも目
を背けてはなるまい。
「巧言令色」のきれい事ではなく、真に「人々が心寄せ合う」社会をどう築くか-。
思いを巡らせれば浮かぶ光景がある。被災地に足を運び、膝を折って被災者に語り掛け
られる前天皇陛下の姿だ。
新陛下は、皇太子当時の記者会見で、平成を「価値観が多様化した時代」とし、「今
後は、この多様性をおのおのが寛容の精神を持って受け入れることが大切」と述べられ
た。国家と国民の安寧を祈り続けられた前陛下の意志を受け継ぎ、新時代にふさわしい
象徴天皇の道を模索されることだろう。
自然災害が相次ぎ、人口減少、超高齢社会という困難に直面する日本にとって必要な
のは、格差を生み出す強者の論理ではなく、弱い者やつらい立場にいる人に寄り添い、
多様な生き方を受け入れる寛容さだ。それこそが令和の「整った美しさ」ではないだろ
うか。
=2019/05/01付 西日本新聞朝刊=