だちから40年、明日が見えない壁。

      ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 横田恵さんが北朝鮮に拉致されて40年を迎え

記者会見されているご両親には もう体力的限界を思わせるご様子に

そのあまりにも長く絶望と,わずかな希望の明かりにすがるように

生きてこられたであろうご様子に涙がほろほろととどまることがありませんでした。

お母さんの息があるうちに意識があるうちに「恵ちゃん」と

声をかけてあげたいと会見を締めくくっておられました。

お父さんは言葉が伝えられないとのことでした。

あまりにも長く苦しく期待と絶望の繰り返しに

よくぞ今日までご無事であったと思わずにはいられませんでした。

政府にも期待しては裏切られの連続にどれほどの涙を流されたことでしょう。

新潟の海岸から連れ去られて40年あまりにも不条理の時が流れすぎです。

安倍総理就任の時には、これは自分が解決しますかのよう

な発言も聞かれました。

いろんな言葉を軽々にお述べ頂く総理には、家族の期待値はどれほど

高かったことでしょう。

そして家族は何度となく政府に失望されてこられましたか知れません。

横田さんのお父さんのご様子をどのような思いで拝見されたのでしょうか?

総理が北朝鮮に出向くくらいの発言もほしいものです。

家族はお悦びになると思います。

40年片時もあきらめることなく春化秋冬街頭に立ち続けてこられた

ご家族に思いを寄せるにつけ

旨がかきむしられるほどの思いがこみ上げられます。

どれほどの壮絶な言葉をもって表現しようとしても

その言葉に遭遇することなどできはしません。

 当たり前であれば孫を囲まれたすてきな一家だんらんが

日々お過ごしであったと推察されます。

40年笑うこともなく、おそらく食事も味を感じることなどない

長井松田家の生活でしかない状況です。

これは日本が行動しないと解決には迎えることなどあり得ません。

ご家族に心の届くお言葉の一つもあってよいと思います。

総理が被害地を何度となくご訪問されておられますが

被害者からの心の通う「ありがとう」のお言葉をどれほど

現地で拾うことができたでしょうか。

総理がしてこられた実を結ぶ政策の数々は

ばらまき予算と、積みあがるほどの赤字予算だけです。

人間性が全く伝わることがないのがあまりにも残念です。

あまりにも長い時間にわずかな希望のもと、頑張っておられるご家族に

一日も早い朗報が届きますようにとお祈りするばかりです。

     朝日コムより。

 に拉致されて

【主張】拉致40年 母の悲痛な思いに応えよ

新潟の中学1年生、13歳だった横田めぐみさんは、クラブ活動を終えての下校途中、工作員

拉致され、北朝鮮に連れ去られた。昭和52年11月15日のことだった。あれから、40年

がたつ。

両親は長く悲しく怒りの日々を送ってきた。14日は父、滋さんの85歳の誕生日でもあった。

40年前の拉致前日も、家族で父の誕生日を祝っていた。誰もその後の悲痛な歳月を想像する

ことなどできなかった。

母の早紀江さんは本紙に連載中の「めぐみへの手紙」に14日、こう記していた。「拉致を解決

できないのは国の恥です」

国には、この母の思いに応える責務がある。何が何でも被害者を取り戻さなくてはならない。

平成14年、当時の小泉純一郎首相が訪朝し、金正日国防委員長が初めて日本人の拉致を認めて

謝罪した。蓮池薫さんら5人の拉致被害者が帰国したが、めぐみさんら8人は一方的に「死亡

」と伝えられた。早紀江さんらは信じなかった。送りつけられた「遺骨」は鑑定の結果、別人

のものだった。あれから、15年がたつ。

26年にはストックホルム合意で北朝鮮拉致被害者らの再調査を約束したが、あれから3年を

過ぎても事態は何ら進展していない。その都度、家族らは失望、絶望の淵に追い込まれてきた。

いずれも、例えようのない残酷な年月である。

めぐみさんの両親のみならず、肉親の帰りを待つ家族の高齢化が進んでいる。拉致被害者自身も

同様である。

北朝鮮をめぐる情勢は緊迫している。核実験、ミサイル発射を繰り返して国際社会を恫喝(どう

かつ)し、緊張を高めている。

北朝鮮に対する最大限の圧力強化を求めてアジア各国を歴訪したトランプ米大統領は、最初の訪

問国日本で早紀江さんら拉致被害者の家族と面会し、「安倍晋三首相とともに、母国に戻れる

よう尽力したい」と述べた。

米大統領の理解と援護は心強くありがたいが、これをどう拉致問題の解決に結びつけるかは、日

本政府の取り組みにかかっている。拉致被害者全員の帰国を実現するには、日本自身が主体的

に動くほかない。

拉致問題の解決なしには国の未来を描けないのだと、北朝鮮に分からせなくてはならない。

日中会談の扉が開かれようとしている。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 来年は「日中平和協定]が結ばれて40年になるとか・・・。

鎖国時代から多くの知恵を授かってきています。

料理も多くが国民の馴染み伴っています。

食料品と言わず日常雑貨もろもろと、いまや中国なしでは

我が国の生活は成り立たないほどです。

 安部総理就任以来日中関係は効率いたままです。

ここに来て、「習主席」との交流の扉が開かれようとしている。

中国からの歩み寄りにはなんだか不可思議な行動を

感じざるを得ないが注力を注ぎつつ話し合いのテーブルが

用意されただけでも前進と考えなければならない。

まずは中国で企業展開している関連者は胸をなでおろされたことであろう。

 日中問題歴史認識に始まり多くの過大が

話し合われることを額面道理にまずは歓迎すべきであろう。

安倍首相の言葉を引用すると、「アジア太平洋からインド洋を経て中東・アフリカに至るインド

太平洋地域は世界の人口の半分以上を擁する世界の成長センターです。自由で開かれた海洋秩

序の維持、強化はこの地域の平和と繁栄にとって死活的に重要である」(2017年11月7日の共同

記者会見)、あるいは「日本は太平洋とインド洋、アジアとアフリカの交わりを、力や威圧と

無縁で自由と法の支配、市場経済を重んじる場として育て豊かにする責任を担っている」(201

6年8月27日の第6回アフリカ開発会議での安倍首相の基調演説)と説明している。

具体的には日米両国のほかインド、オーストラリアの4カ国が連携して、他のアジア諸国を巻き

込んで地域的な連携の枠組みを作る構想だ。その場合のキーワードが、自由主義、民主主義、

市場経済基本的人権の擁護、そして法の支配という「普遍的価値」の共有である。

安倍首相は第1次内閣でも似たような構想を打ち出した。それは「自由と繁栄の弧」というもの

で、やはり自由や民主主義、市場経済などを掲げ、北欧からバルト三国中央アジア、インド

、そして東南アジアをつなぐ弧の形をした地域の各国にさまざまな支援をして政治的、経済的

安定を促進するとしていた。「インド太平洋戦略」も同じような発想から生み出されている。

二つの戦略に共通しているのが「冷戦的発想」である。「自由と繁栄の弧」が中国とロシアを、

「インド太平洋戦略」が中国を強く意識した、ある種の包囲網を作るという発想であることは

言うまでもない。日米同盟関係を基盤に、そのほかの国々との連携を強化し、アメリカを中心

に作られている現在の国際秩序や経済システムに挑戦する勢力に向き合おうという発想である。

日本政府は、中国が打ち出した「一帯一路」政策の狙いを、単に経済だけでなく政治や軍事的に

も中国がインド洋からアフリカ地域まで影響力を強めていくことと分析している。特に中国が

重視しているのが軍事的側面だとみている。南シナ海サンゴ礁を埋め立てて軍事基地化した

ことと連動して、インド洋沿岸国、さらには中東やアフリカの海に面した国々との関係を強化

して、この地域に強い影響力を持つ人民解放軍の「外洋艦隊」(Blue Water Navy)を構築する

ことを目標としているとの認識だ。

そのためにはインド洋につながる国々との関係強化も不可欠であり、途上国のインフラ整備など

を前面に出している「一帯一路」政策は中国の安全保障政策を補完する重要な役割を担ってい

るとみている。ゆえに、中国のこうした戦略に対抗する必要があるとして、打ち出したのが「

インド太平洋戦略」なのだ。

総理の言葉はなんと抽象的きであろうか

言葉一語にも化粧されつくしている。

総理よりも演作家に向いておられるのではと感想を持つ。

     朝日コムより。

安倍首相と習主席は相互訪問へ準備を

安倍晋三首相はアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議のため訪れたベトナムで中国の

習近平国家主席と会談した。続くフィリピンでの東アジアサミットの際は李克強首相とも会っ

た。北朝鮮の核・ミサイル問題が深刻ななか、日中首脳間の頻繁な意思疎通を歓迎したい。

 習主席は共産党大会で権力基盤を固め、トランプ米大統領の訪中など自らが主導する外交に力

を入れている。安倍首相も衆院選の与党大勝で腰を据えて外交に取り組む環境が整った。

 2012年秋、沖縄県尖閣諸島の国有化を契機に中国で反日デモが起き、日本企業に深刻な被

害が出た。中国公船の領海侵入は今も続いている。安倍首相がこれを念頭に「東シナ海の安定な

くして真の関係改善はない」と指摘したように、今後も警戒は必要だ。

 とはいえ習政権の5年間、激烈な反日デモは起きていない。習主席は歴史・台湾問題では原則

的立場を表明したものの、日中関係が急激に悪化するリスクは以前より小さくなった。双方は

この機会を生かすべきだ。日中間には北朝鮮問題のほか「海空連絡メカニズム」の早期運用開

始など緊密に意思疎通すべき課題が山積している。

 世界2、3位の経済大国である両国の経済関係は強まっている。安倍首相は先に中国が主導す

新シルクロード経済圏構想(一帯一路)に協力する用意があると表明した。習主席との会談

では第三国で日中が協力してビジネスを展開するよう提案した。

 日本としては、トランプ米大統領がアジア歴訪で表明した「自由で開かれたインド太平洋」と

いう理念を共有しつつ、中国との経済を中心とした連携も探るべきだ。それは日中双方の利益

になる。

 中国国家主席の訪日は08年の当時の胡錦濤国家主席以来、途絶えている。来年は1978年の日

中平和友好条約の締結から40周年に当たる。首脳相互訪問の復活にはまたとないチャンスだ。

まず序列2位の李克強首相が出席する日本での日中韓首脳会談を実現させたうえで、トップ同士

の往来を探る必要がある。

 安倍首相はまず自らが適切な時期に訪中し、次に習主席も訪日する案を提起した。習主席は首

脳往来を含む関係改善に前向きな姿勢を示している。今こそ日中関係の新たなスタートに向け

た準備をすべき時だ。

学びにしたい昭和の良き日。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 昭和の秋はなんだか遠く感じます。

昔であれば、おばあちゃんが枯れ葉をかき集めては学校に投稿する前

毎日のように「とんど」たき火で一通りあったまり、焼き石をもって

集団登校したものです。

まさにこの時期です。

今では、田舎においても枯れ葉が荒れ狂ったかのように、あちこちの道路を

埋め尽くすほどです。

野菊のうたも田舎の風景そのものです。

故郷に山河あり、故郷はすべての自然がいつの日も静かに迎えてくれます。

でも土手の風景は護岸工事のためなくなりました。

火花のぱちぱちと耳に心地い音が脳裏に焼きついております

山里は「焚火の歌は煙が黙々と立ち上がり

まぶたを閉じれば原風景に出会えます。

 山里の風景は山々も木々はすっかりスリムになり

今の人は枯れ葉を掃く人を見かけるこ都も少なくなりました。ふとの山はいつも変わらぬ重みを

ピラカンサナンテンの垢意味が彩をたたえ

重く垂れこめた厚い雲の鉛色の空に

ヒューヒューと風が舞い

山茶花の花がほほ笑みかけてくれてます。

山里の風景はすっかり色をなくしています。

故郷の山々はどんな時でも静かに懐深くただただ見守ってくれています。

昭和の農家の家々には、吊るし柿がどこの家にも、柿の連のように

つるされていたものです。

子供たちといえば、家にとどまることなく寒さの中、そりーをした利、

缶蹴り,けんパにま利付などに疲れ果てるまで遊びまわっていました。

 山に入り、木の葉を竹かごいっぱいにかき集めることは

子供の大切な仕事でした。

山にはこの身、アケビなどのおいしいおやつにも出会えたものです。

秋のキノコは一杯にかごの上に乗せて帰り

これを干したものが味噌汁のグザイとして

食卓に上っていました。

 味噌、醤油多くのものが手づくりでした。

昔の味噌汁のおいしかったことときたら言葉にならないくらいです。

近所の家で昼食を食べたり、お釜ま一杯に蒸したさつま芋がおやつでした。

 夕食は貧しい食卓ではあったけれど

全員そろってにぎやかな食卓を囲むことのできた幸福なひと時でもありました。

本当に幼いころは、ほんわかとした人の真心の中で過ごすことのできた

良き時代でもありました。

     産経より。

【きのうきょう】落ち葉

横浜市青葉区 大石みどり 60 主婦

秋も深まり寒い日が増え落ち葉の量もひどく増えた。毎朝、隣のお宅から落ちてくるたくさんの

落ち葉の掃除に追われている。今年引っ越ししてきた家主は落ち葉の存在に気づかないようだ

し、文句を言うつもりはない。

ただ、色とりどりの葉っぱを掃きながら遠い昔を思い出した。

私の子供時代、秋になると隣のおばさんは朝早くから割烹(かっぽう)着姿で周囲の家々の迷惑

にならないよう丹念に落ち葉を掃いていた。その姿を見て、私もずっとそうしてきた。

その落ち葉を集めて燃やし、焼き芋をしたこともある。珍しいお菓子をもらったり、季節の料理

を作ったときはお裾分けしたり。そこには静かで優しい気遣いがあった。近隣に住む人々に気

遣いすることは愛の発露である。それに比べ、現代社会は何と他人に無関心であることか。

落ち葉掃きをしながら、町内のみなさんの顔を知っていた昭和の秋をなつかしんだ。

名門校の人間教育にエールです。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 名門校において生き方授業に力をつくされていることに、感心させられました。

教育は人間力こそが基礎体力と考えます。

基礎体力もなく、学力だけが詰め込まれていても、社会の波に取り残されるひ弱な人でしかあり

ません。

人のつながりを通し学ぶことは無限大です。

その入り口に差し掛かれるだけでも大きく抵抗力の差を感じます。

人と共同作業を通じて人との空気間までも知ることも可能なのではないのでしょうか。

社会における空気管は生き方にも大きく左右することにもなります。

また協調性もしっかり培ってほしい個々の財産として・・・。

議員さんの暴言と叱責も優秀であっても基礎体力不足が招いた

負の遺産となってもいます。

このような人も一握りの人として取り上げられていますが、企業においてもこのような人は少な

からず存在します。

逆風の中でも大地に根差すことのできる人間性の向上は社会で常に求められていることであるこ

との理解もほしいもの。

毒舌を図れることは社会にあっては、当然化のように起こります。

忍耐強い社会人が社会で活躍される時代を楽しみにできればと思います。

名門校の取り組みに大賛成です。

引用文です。

我慢力、実行力、逆光に立ち向かえる体力も社会では求められます。

教師たちが込めた受験勉強よりも大事な教え 名門校「君たちはどう生きるか」を問う授業

中高生のうちに中高生だからこそ学ぶべきこと

こちら

これまで16回にわたって、名門校の白熱授業を実況中継してきた。折り紙やレゴを使った数学

の授業、演劇や替え歌の中に自己を投影する授業、どろんこになって体で学ぶ授業、卒業して

から意味がわかってくる授業……。いろいろな学びの姿があった。

生徒たちは皆、受験勉強よりも大事なことを学んでいた。取材を通して私も多くのことを学んだ

。大人になって忘れかけていた大事なことを思い出す場面もあった。

ある記事の掲載後、「この描き方はフェアではない」という主旨の真剣なクレームを生徒から直

接受け取ったこともある。私もできるかぎり真剣に向き合った。どこか似ていると感じた2つの

授業を行う別々の学校の2人の教師が、実は大学の同級生だったことが発覚し、大きくひざを打

ったこともある。中高生たちと一緒に真夜中の山道を約8時間歩いたダメージは、その後1カ月

ほど尾を引いた。

開成、筑駒、灘などと聞くと、いかにも青白き天才が集い、毎日受験勉強漬けの生活を送ってい

るのではないかと誤解している人がいるかもしれない。しかし実際は、名門校と呼ばれる進学

校ほど、受験勉強以外の教育により多くの時間を割いている。受験勉強もやらねばならぬが、

それだけで学校生活を終わってしまうのはもったいないというスタンスが共通している。

かといって、はやりのプログラミングや欧米人顔負けのプレゼンテーション、ネーティブに迫る

英会話を教え込み、エリートビジネスマンの促成栽培をしているわけではない。中高生のうち

に、中高生のときにしかできないことをすべきであるというスタンスも共通している。

では、何を教えているのか。一言で言えば、どんな時代になっても生きていけるための基礎力で

ある。

ユニークな授業の裏に隠された深い意図

時代が急速に変わっているのだから、教育も変わらなければいけないとよくいわれる。確かに時

代は急速に変わっている。しかし人間の本質はそんなに変わっていない。『万葉集』を読めば

、古代の人の心情が伝わる。『論語』を読めば、2500年以上前の異国の人々の知恵に感嘆する

。変わっているのは人間ではなく、社会の仕組みである。

新しい仕組みに対応することは必要だが、その前に人間としての足腰を鍛えておかなければどん

な時代だって生き抜くことはおぼつかない。足腰さえ鍛えておけば、時代がどちらの方向に揺

れ動こうが、自分の足でしっかり立つことができる。最新の世の中の仕組みを知っていても、

足腰が弱ければ転んでしまう。

これらの授業で学んだことは、一流大学に進学し、一流企業に就職し、人生が順風満帆のときに

はさほど必要がないものかもしれない。むしろ人生に逆風が吹いたとき、あるいは先行きが見

えない五里霧中の状態になったとき、そのありがたみがわかるはずだ。

授業見学後の教師たちとの会話では彼らが授業に込めた思いを存分に聞かせてもらったのだが、

文字数の関係で、この連載ではその大部分をカットせざるをえなかった。

そこで、本連載に授業のあとの教師とのやり取りまでを加筆して、1冊の書籍にまとめることに

なった。〈『名門校の「人生を学ぶ」授業』〉(SB新書)である。いわば本連載のノーカット

完全版である。これを読めば、16のユニークな授業に込められた、教師たちの深い意図までが

明らかになるはずだ。

名門校版「君たちはどう生きるか」

16の白熱授業の中で、名門校の教師たちが生徒たちに共通して問いかけていたものを煎じ詰め

ればこの一点。「君たちはどう生きるか」である。

吉野源三郎によって同タイトルの名著が書かれたのは1937年。多感な時期の青少年が立ち向か

うべき問いは、戦前から変わっていない。その問いに真剣に向き合うことなく、エリートビジネ

スマンのまね事のようなカタカナのスキルばかりを身に付けたところで、荒れ狂う時代の波の

中で自分の足で立ち続けるかどうか、おぼつかない。

今、その名著が漫画になってリバイバルし、ブームになっているのもうなずける。あまりに変化

が激しく、無自覚のうちに時代の波にのみ込まれかねないこんな世の中だからこそ、自らの進

むべき方向性を見失わないために、その問いが重要なのだ。簡単に答えの出せる問いではない

。それでいい。その問いを問いとして抱え続けることさえできれば、ひとは自由になれる。

自由とは、つねに「君は何を感じるんだ?」「君は何を考えているんだ?」「君はどこへ行きた

いんだ?」「君はどうしたいんだ?」と尋ねられ続けることである。言うなれば自由とは、そ

れ自体が無限の問いの集合体である。問いを問いとして抱え続ける力がなければ、自由には耐

えられない。

その問いかけ自体は名門校でなくともできる。社会を通じて大人たちが子どもたちにつねに問い

かけなければいけない問いだ。みんなが『君たちはどう生きるか』の主人公コペル君にとって

の「おじさん」にならなければいけない。そのためにはまず、大人たちこそがその問いから逃

げてはいけない。いやむしろその問いは、大人にこそ向けられているのである。

名門校の教育から、大人こそが忘れかけていた大事な何かを学べるのではないだろうか。

窃盗にも「クレフトマニア」なる精神疾患もあるという。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 スーパーなどにおいて主婦が何でもないものを盗んでしまうことは

どこのスーパーにおいてもよく聞く話になっています。

これが窃盗ではなく疾患として実証されていることには驚かされました。

 ニュース記事のお方は、新婚当初からこの疾患を発症し、獄中生活も何度か体験されておられ

る中、ご主人の献身的な思いやりに感心させられました。

普通離婚してもおかしくありませんよね。

でもまだこの世にご主人のような素晴らしいお方もおられることに

心丈夫にも思わせていただきました。

 人間ってお人の出会いで、人生観が大きく変わることを実感させられることも

よくありお人のことながらうれしく思える瞬間でもあります。

 ご主人は奥様のために、これは病気であると気づかれ、良きdoctorとの出会いのおかげ

で、奥様の病に行きつかれたことに敬意を表します。

どうか奥様もお優しいご主人のもとご病気治療なさいますようお祈り申し上げております。

どうぞおしあわせに・・・。

    産経より。

この店、万引きできちゃうな… 窃盗症女性、衝動が襲う

衝動を抑えられずに万引きなどの窃盗を繰り返す「クレプトマニア」(窃盗症)と呼ばれる精神

疾患がある。群馬県渋川市の赤城高原ホスピタルは、その治療の先駆的な病院として全国的に

知られている。再犯は防げるのか。病院の取り組みなどから考える。(三浦淳

〈おせちも孫への贈り物も万引きで「頭と体が違う感じ」〉

頭に回路ができている――。万引きをやめられない埼玉県の50代女性は自らの「症状」をこう

説明する。

買い物に行くと、つい、確認してしまう。店員はどこか、防犯カメラは何台あるか。「万引きで

きちゃうな」という衝動が襲う。

20代後半から万引きを繰り返した。結婚したばかりの2004年からは1年半ほど刑務所に服

役した。

出所後、「新婚生活を取り戻そう」と仕事を始め、家計を管理した。夫には、弁護士費用などで

負担をかけた。食料費などを浮かせようと、スーパーやコンビニで食料品を万引きするように

なった。

見つかれば、土下座で許してもらった。夫から「おかしい」と言われ、自分も「誰かとめて」と

思った。

精神科に通った。多重人格、解離性健忘症……。病名は付いたが、症状は「ひどくない」と言わ

れ、病院を10軒以上「たらい回しにされた」。だが、万引きはとまらなかった。

8年前に逮捕され、留置場で自殺を図った。夫が調べて行き着いたのが、渋川市の赤城高原ホス

ピタルだった。クレプトマニア(窃盗症)と診断された。

赤城高原ホスピタルの竹村道夫院長(72)によると、クレプトマニアは病的な常習窃盗を指す

経済的利益や「どうしても欲しい」という目的よりも、衝動が主な理由。国内の診断基準は

あいまいだが、米国では1千人に3〜6人が病気にかかっていて、女性と男性の比率は3対1

程度という調査もあるという。

ホスピタルと関連施設では08年以降、症状が疑われる1600人以上を診てきた。竹村院長は

「酒や薬物の依存は物質依存だが、クレプトマニアは万引きという行為に依存する。負けるの

にやめられないギャンブル依存症に近い。きっかけは失意体験や家庭問題などがある」と分析

する。

国会運営は二代政党としての時間配分を・・・。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 国会が正常機能するためにはせめて6対4の割合の時間配分が求められる。

これは政府のチェック機能としての役割もあるはずです。

総理が強引とも思える選挙の強硬が必要であったための大義もいったはず。

表看板よりかいけんをすすめるたいぎのためであろう?

重要案件が討議することもなく強行採決の運び自体正常国会とは言えない。

自民党では核保有の話も公のように飛び出してもいるが

数の驕り発言としか解釈しようがない。

国防軍を目指し、防衛費の膨大な予算計上も

すでにスケジュールとして契約の運びとはなっていないのか?

政府が計上しなくてよいお金の使い道もはっきりしていただきたいものです。

 幼児教育の無償化は、皇都職者のためだけの出費となるだけのこと。

幼稚園、保育所の受け皿の不足こそが優先される問題ではないのですか。

見切り発車は混乱を生むだけのこと。

 二代政党としての連携も不可欠です。

野党も万年野党ではなく、じせだいをになえるかくごで

責任ある質問と方向性の指針をきちんと提示してほしいものです。

     中国新聞より。

「多弱」の野党 対抗軸となる政策示せ

2017/11/12

希望の党国会議員を束ねる共同代表におととい、玉木雄一郎氏が選ばれた。衆院選を機に民進

党が分裂して「多弱」となった野党各党の態勢が、やっと固まったことになる。今後は巨大与

党に、どう立ち向かっていくかが問われる。

 野党勢力政権交代を目指すのなら、「多弱」のままでは難しい。数の上で大きな塊をつくる

必要があるだろう。

 しかし衆院選公示前からのどたばたを経て短期間で、希望の党立憲民主党無所属の会、参

院議員を中心とする民進党の新体制が生まれた経緯がある。

 希望の党の玉木共同代表は統一会派の結成には否定的で、まずは挙党態勢を築く考えだ。安全

保障関連法や憲法9条改正など党内でばらばらの見解についても合意を得て、いまだはっきり

しない党の理念や政策を具体化させるのが先なのだろう。

 立憲民主党枝野幸男代表も野党再編には距離を置く。国民の目に「永田町の数合わせ」と映

れば支持は得られない、と考えているようだ。

 確かにあくまでも「再編」は手段にすぎない。野党に求められているのは、巨大与党に対抗し

得る政治の理念や政策を国民にしっかりと示すことである。「安倍1強」政治のほころびが見

えているからだ。

 日本経済の緩やかな景気拡大が続いているとはいえ、アベノミクスの行き詰まりは明らかであ

る。日銀による異次元の金融緩和は4年半が過ぎてもなお、2%の物価上昇目標に程遠い。財

政再建の道筋も見えない。少子高齢化が急激に進み、人口が減少する社会の処方箋が示されて

いるとは言い難い。

 野党は安倍政権の政策の一つ一つを批判するだけでは足りない。この先、どんな社会を目指す

のか、総合的に示す必要がある。参院議員中心の新執行部が発足した民進党も含め、各党は骨

太の理念と政策を練り上げてほしい。その上で重なり合う方向性が見いだせれば、統一会派

将来の再編がおのずと視野に入ってくるのではないか。

 一方で、これまでも目立ってきた安倍政権の強引な国会運営に歯止めをかけるための連携は急

いでもらいたい。衆院選後も驚くような提案が自民党からなされているからだ。

 国会での質問時間の配分についてである。現在は衆院予算委員会などで「与党2対野党8」と

なっているが、おとといは自民党が「与党5対野党5」を提案。野党側が突っぱねた。

 そもそも「2対8」は、民主党政権時に野党だった自民党も要求して慣例化したものだ。また

与党は、法案の事前審査で意見を反映させることができる。国会での質問時間を野党に傾斜配

分するのは、監視を強める上で必要なことだ。

 与党には、森友・加計学園の疑惑をこれ以上追及してほしくないという思惑があるのか。野党

は連携を深め、これまで通りの質問時間を確保するとともに、特別国会では森友・加計疑惑に

ついて、国民が納得できるまで問いただしてほしい。

 これまで野党に頼りない面が目立ってきたとはいえ、国民の側もそれを批判するばかりでいい

のだろうか。健全な民主主義には、政府・与党と対峙(たいじ)する勢力が必要だ。私たちも

、その視点を忘れないでおきたい。

問われるべきは学校現場。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

生まれつきの地毛につき、高速枠を無理やりにはめようとすることには

無理があるのではなかろうか。

当然ながら職員会議においても議題に上ったはずのこの事柄が

職員の反対意見も出なかったことは憂うべき現状です。

規律、校則にがんじがらめにしておけば職員は一安心と考えておられるのでしょうか。

 色素の問題であったり、国際結婚もあってもこの黒の規則にはめなければならないのでしょう

か。

学校教育の中にあっては情操教育も教育の一部と理解したいものです。

このような頽廃てきな学校現場はどうなっているだろうと頭をかしげたくもなります。

この世の中においては自分で選ぶことのできない誕生の相違があります。

これを認め合うのも学校現場であってほしいと思います。

学校の対応について、裁判の場でしか認め合えない環境にこれでは

人の在り方について、いろんな意見も交換できないと思いますし

教育現場の職員の資質が問われなければなりません。

教育の無償化に暴走だけを目標とする前に

学校現場の意識調査であったり、職員のあるべき姿がもっともっと問われるべきです。

 子供たちの環境を整えることこそ

専権事項と言えるのではないのでしょうか。

職員は昔であれば聖職とされてもいました。

学校現場こそが無償化よりも問われる近々課題です。

学力低下は、世界ランキングからは、低下の一途をたどってもいます。

     東洋新聞より。

「茶色の地毛を黒に染めろ」指導は正しいか 「頭髪指導で不登校」になった女子高生の悲劇

髪の毛は生まれつき茶色

「頭髪指導に従えないなら授業は受けられない。黒染めするか、学校をやめるか選べ」

昨年9月、大阪府立懐風館高校(羽曳野市)の教諭は当時2年生のA子さんに告げた。教諭からの

度重なる頭髪指導にストレスは限界だった。

「もう嫌や!?黒染めはしたくない!?地毛が茶色いだけで、なんでこんな目にあわなあかんの!

?」

それ以来、A子さんは学校に通えないままだ─。

生まれつき髪の毛が茶色かったA子さんに学校は「ルールだから」と、写真撮影日など入学式の

前から黒染めを強要。度重なる頭髪指導で精神的苦痛を受け、不登校になったと、大阪府に対

し裁判を起こした。

慰謝料など約220万円の損害賠償を求める訴状を今年9月、大阪地裁に提出、第1回口頭弁論が10

月27日に開かれた。府側は「学校の指導は適切」と、請求棄却を求め、全面的に争う姿勢を示

している。

代理人の弁護士がA子さんの母親が頭髪の件で学校に配慮を求めていたにもかかわらず、入学前

に複数の教諭が「髪を黒く染めろ」と迫った。入学後には頭髪指導のたびに黒染めを強要され

、A子さんは髪を黒く染め続けたことを明かした。

A子さんは訴状の中で当時の心情を振り返る。

「黒染めをしなかったら学校に通えない、大学に進学できないと思った」?

こうした指導はA子さんだけに限らない。同校の頭髪指導は厳しくて有名だった。

「母子家庭だから茶髪にしている」と暴言

黒染めを繰り返した結果、A子さんの頭皮は薬剤の影響でかぶれ、髪の毛もボロボロになった。

代理人は憤慨する。

「生徒の健康を害してまで、これは指導と言えるのか」

学校側が黒染めを強要し続けたのはなぜか。

「A子さんは中学のころも髪を黒く染めていた、地毛は茶色でも1回でも黒染めをしたら黒染め

を続ける、それがうちの学校のルール。それに黒染めが落ちてくるとみっともないから、その

つど染め直させる」

と、学校側は理不尽な言い訳を代理人に伝えた。

そして、指導はさらにエスカレートする。

「母子家庭だから茶髪にしてる」と暴言を吐き、「黒染めが不十分」と呼び出し、「黒染めをや

り直すまでは出さない」と授業に出ることも禁じた。文化祭や修学旅行など学校行事への参加

も拒んだ。

一方で、訴状への府側の反論文の中では、「A子さんから学校に来ないと言った」「修学旅行の

参加を禁止したわけではない、参加しなかったのは彼女の意思」と責任を否定。

昨年8月末、A子さんは「髪が色ムラになっている」と4日に1度、頭髪指導を受けた。染め直す

ものの、教諭たちは「アウトー」「足りない」などと発言、追い詰めた。

「これは先生たちが学校という組織ぐるみで行った指導という名のいじめ」(代理人

学校が生徒の黒髪にこだわるのには日本人ならではの事情があるという。ファッションや化粧の

文化に詳しい甲南女子大学米澤泉准教授は、

「生徒は黒髪でベージュの肌をした日本人しかいないと思っており、それ以外は“排除する”と

いう学校現場の意識が強すぎます。色素の加減で髪の毛が茶色く見える人は少なくないのにそ

れを黒にするというのは行きすぎた管理教育、人権侵害です。例外を認めず、髪の色だけでそ

の人を評価すること自体がおかしい」

そもそも、同校は「髪は黒がルール」と言い続けてきたが校則には書いていない。

本誌が同高校の高橋雅彦教頭に取材すると、「学校では染髪や脱色については禁止していますが

、本来の色を否定して黒くしろというルールは示していません。本来の色で生活してほしいと

考えています」と言い切る。それどころか、

「地毛が茶色い、赤っぽい生徒もいます。みんな真っ黒だったらそれは明らかに染めさせている

じゃないですか」?

なぜA子さんに対し、何度も指導を強要したのか質問すると、「係争中のため答えられない」と

回答を拒んだ。

学校に行くと席がなかった

学校側の仕打ちにA子さんが我慢の限界に達したのは今年の6月のことだ。

3年生になったA子さんが学校を訪ねると、生徒名簿にあるはずの自分の名前がない。それどこ

ろか、4月に聞いていた出席番号には別の生徒の名前。教室には席もなかった。

学校側の言い分は、

「名前や席がないのは不登校を目立たせなくするため。変な噂が広まらないように」

そんな理屈が通るのか。代理人弁護士は憤る。

「学校は、司法の判断にまかせるが、裁判に負けない限り謝罪はしないと話しています」

校則に詳しい、千葉・浦安市立小学校の塩崎義明教諭は、「今回の事件は子どもの自由や権利を

ないがしろにした行為」と指摘。学校に子どもを守る大人がいなくなってしまった、と話す。

「最近の教師は子どもたち同様、決まりに縛られて何も言えないのが現状です。生徒の髪を黒く

染める指導に疑問を挟む余地がないのは、教師自身も規則に縛られているということの表れで

す」(塩崎教諭)

A子さんは心に深い傷と大人への不信感を持ったまま。『ルール』を重視するあまり教師は大切

なものを見失ってしまったのではないだろうか。文化祭も修学旅行も、友達との時間も……。

かけがえのない時間は裁判が終わっても戻ってこない。