学びにしたい昭和の良き日。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 昭和の秋はなんだか遠く感じます。

昔であれば、おばあちゃんが枯れ葉をかき集めては学校に投稿する前

毎日のように「とんど」たき火で一通りあったまり、焼き石をもって

集団登校したものです。

まさにこの時期です。

今では、田舎においても枯れ葉が荒れ狂ったかのように、あちこちの道路を

埋め尽くすほどです。

野菊のうたも田舎の風景そのものです。

故郷に山河あり、故郷はすべての自然がいつの日も静かに迎えてくれます。

でも土手の風景は護岸工事のためなくなりました。

火花のぱちぱちと耳に心地い音が脳裏に焼きついております

山里は「焚火の歌は煙が黙々と立ち上がり

まぶたを閉じれば原風景に出会えます。

 山里の風景は山々も木々はすっかりスリムになり

今の人は枯れ葉を掃く人を見かけるこ都も少なくなりました。ふとの山はいつも変わらぬ重みを

ピラカンサナンテンの垢意味が彩をたたえ

重く垂れこめた厚い雲の鉛色の空に

ヒューヒューと風が舞い

山茶花の花がほほ笑みかけてくれてます。

山里の風景はすっかり色をなくしています。

故郷の山々はどんな時でも静かに懐深くただただ見守ってくれています。

昭和の農家の家々には、吊るし柿がどこの家にも、柿の連のように

つるされていたものです。

子供たちといえば、家にとどまることなく寒さの中、そりーをした利、

缶蹴り,けんパにま利付などに疲れ果てるまで遊びまわっていました。

 山に入り、木の葉を竹かごいっぱいにかき集めることは

子供の大切な仕事でした。

山にはこの身、アケビなどのおいしいおやつにも出会えたものです。

秋のキノコは一杯にかごの上に乗せて帰り

これを干したものが味噌汁のグザイとして

食卓に上っていました。

 味噌、醤油多くのものが手づくりでした。

昔の味噌汁のおいしかったことときたら言葉にならないくらいです。

近所の家で昼食を食べたり、お釜ま一杯に蒸したさつま芋がおやつでした。

 夕食は貧しい食卓ではあったけれど

全員そろってにぎやかな食卓を囲むことのできた幸福なひと時でもありました。

本当に幼いころは、ほんわかとした人の真心の中で過ごすことのできた

良き時代でもありました。

     産経より。

【きのうきょう】落ち葉

横浜市青葉区 大石みどり 60 主婦

秋も深まり寒い日が増え落ち葉の量もひどく増えた。毎朝、隣のお宅から落ちてくるたくさんの

落ち葉の掃除に追われている。今年引っ越ししてきた家主は落ち葉の存在に気づかないようだ

し、文句を言うつもりはない。

ただ、色とりどりの葉っぱを掃きながら遠い昔を思い出した。

私の子供時代、秋になると隣のおばさんは朝早くから割烹(かっぽう)着姿で周囲の家々の迷惑

にならないよう丹念に落ち葉を掃いていた。その姿を見て、私もずっとそうしてきた。

その落ち葉を集めて燃やし、焼き芋をしたこともある。珍しいお菓子をもらったり、季節の料理

を作ったときはお裾分けしたり。そこには静かで優しい気遣いがあった。近隣に住む人々に気

遣いすることは愛の発露である。それに比べ、現代社会は何と他人に無関心であることか。

落ち葉掃きをしながら、町内のみなさんの顔を知っていた昭和の秋をなつかしんだ。