安楽死の議論も進められてもよいのでは…?

   ご機嫌いかがでしょうか。

視界ゼロのみこばあちゃんです。

 せみ時雨も、この頃はめっきりその勢いもおトロへ

心なしかその舞台を 秋の虫に引き継ごうとしているかのように

なんとも物悲しく聞こえる昨今です。

 我が家で認知マダラのおばあちゃんを預かったその人が

お盆の折に息子が待つ天国にと召されていきました。

 このお方は、お元気なころからしばしば延命処置だけは

してほしくないと家族にも意思表示されていました。

 その家にはお嫁さんと孫が残り、病院で、延命処置の有無の判断を

尋ねられ、「嫁として、延命治療放棄の決断はできなかった。」と

      泣きながら胸の苦しいうちを話されていました。

そのお方は胃ろうから20年足らずをしゃべりの大好きだったその人は

植物状態を長く家族により強いられても来ました。

 ふと夜空の元、鎮守の森を見上げると

お元気なお姿そのままの丘を二は

ほほえみすら感じられるお姿で、「みいちゃんありがとうね」と

感謝の言葉がいただけたような気がしております。

雨の降りしきる中を 我が家目掛けて一目散に来られたあの時

お嫁さんに思いのほか叱られたとき

シルバーカーから駆け込むようにして来訪されたあの時

おしめのったっぷり重くなった排泄物を

我が家のタンスに入れてあったあの時…

やめることなく歌い続けた同様メロディ…

 まるで走馬灯のようにまぶたを駆け巡る。

 人生よく頑張ったねと亡き幸美さんに一言添える。

 終末医療がtabooとされなくなった今だからこそ

国会においてその選択が議論されるべき時ではなかろうかと思います。

スイスでは現在唯一国において安楽死」が許可されています。

日本からも、余力を持っていきたいと

スイスに向かう安楽死希望者も旅立っている現状からも

日本議論が欲しいものです。

安楽死制度を考える会 基本理念

日本では、現在、安楽死制度は認められておりません。また「死」については、繊細な問題であるためか、議論すること自体、一般的にタブー視されておりました。皆さん安楽死制度には反対でしょうか。安楽死制度の賛否の世論調査では安楽死だけでも国民の7割以上の方が、尊厳死も含めると8割以上の方々が「賛成」しているにも関わらず、日本社会ではタブー視されており、政治家は一切口にしない。よって国会でも議論すらされない状況です。最近は「終活」という言葉が聞かれるようになり、誰にでも必ず訪れる最終局面としての「死」について、世間でも少しずつ口に出せるようになりました。

国会でも誰か一人でも勇気を持って言い出せば賛同する議員は相当数になると思います。安楽死制度を考える会では是非国会で勇気を持って安楽死制度の議論の提案がしたいと思っております。

私は医療関係者ではありません。そのため、どのような場合でも、人命救助を第一義として患者と向き合う医療者の方とは違い、人間の死について国民の多くが感じている率直な意見を述べることができます。そして、中立的な立場からしっかりと問題提起ができると思っております。生を受けたからには、必ず誰もが「死」という局面を迎えます。そうであれば、尊厳のある生き方をし、尊厳のある死を迎えられる安楽死制度という、人生の一つの選択肢があっても良いのではないでしょうか。

私どもは10年前から、海外では年々認められておりますこの安楽死制度の必要性を訴えてまいりました。しかし、10年が経過致しましたが、未だ法整備もできていない状況にあります。そのため日本では安楽死は認められておらず、スイスなど自国に住んでいない外国人の安楽死を受け入れている国へ渡航し、安楽死を受けている現象が起きています。スイスの団体によると、年々日本人の団体への登録者数が増え、実際利用している人数も増加しているようです。この現状を鑑み、今回、「安楽死制度を考える会」に改名し、皆様方と一緒に日本でも真剣に安楽死制度の必要性を考え、議論を今一歩進めてまいりたいと思っております。

人間には生まれてきた時から、多様な価値観や考え方などがあります。一日でも長生きしたいと思われる方々も沢山いらっしゃると思いますし、またその一方で、人生の最後を自分自身で決め、その最後に向かってやり残すことも無く、尊厳のある生き方と尊厳のある死を迎えたいと考える方々もいらっしゃるのではないでしょうか。

安楽死制度は、自分自身の決断で実行するか否かを決定するものであり、決して、強制されて実行されるものではありません。生き続けるという権利があるように、死を迎える時期を自分自身が決められるという権利があっても良いのではないかと考えます。安楽死制度は、自分自身の終末をどのように迎え、どのような時に、どのように処していくのが良いのかを考え、自分自身で決めておくことができる権利を認めようとする制度です。例えば、将来、寝たきりとなり、喜怒哀楽も感じなくなってしまった時に実行できるようにと、事前に自分自身で自分自身の終末を決めておく権利を認めて欲しいのです。勿論、それを決めるのは、家族でも他人でもなく自分自身であって、強制されることはあり得ません。そこで、現在、安楽死制度を使いたくない方々でも安楽死制度自体の意義にはご理解頂きたいのです。人は生きていくにあたり、自分の居場所や拠り所が必要だと言われております。それは物理的な場所だけでなく、心の在処も同様だということです。人生を送るにおいて安心感や安らぎはとても大切なことであり、誰しもが欲することではないでしょうか。生きる自由もあり、いつ死を迎えるかを決める自由があることこそ、本当の意味での安心感や安らぎを伴った生き方に繋がるのではないでしょうか。そして、安楽死こそが、安心感と安らぎを与えることができる制度であると考えております。

【日曜に書く】安楽死とも向き合う時代 論説委員・河村直哉

https://www.sankei.com/life/news/190818/lif1908180025-n1.html