昭和の日。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

 昭和の時代も、団塊の世代が80歳を超えるころには

もはや明治、大正の時代と同じように語られる日も遠くない

 この素晴らしい晴天の日、祝日の朝のスタートは

どこの家々にも日本国旗が風に揺れていた。

 昭和はまさにこの上もなく激動期そのもの!

世界恐慌時代における金融封鎖などの経験からお金に対する危機意識も生まれ

やがて戦争に突入し「勝つまではほしがりませんいつまでも」の

言葉を胸に南京、サツマイモが主食の日もあり

やがては芋ずるさえも食べられなくなり、重湯に接する機会も恵まれず

ひもじい日は長く続いた。

大切な若者も次々に天皇陛下のためにと大切な働き手を

戦地へと次々にいろんな思いを託し

命をささげて戦地にと散りゆくしかなかった。

 広島、長崎に原爆が投下されてから敗戦を迎える。

 敗戦後は、火事で焼け野原となった各地には

親を亡くした孤児たちがあふれかえるほど

食べるためにいろんなことを経験しながら暮らしてきた。

 そんな時代を象徴するかのような歌に「ガード下の靴磨き」がある。

食べるためだけに生きたもうそれだけが精いっぱいでもあった。。

 孤児となった子供の中には、おじや叔母の家を転々としこの上もないくらいのいじめ

の中を生きるために耐えざるを得なかった。

 暮らしの安定期から成長期を実感できるようになったのが

東京おりんぴっくのころであろうか

そのころには家にテレビはあたりまえの暮らしとなった!

 それからの目覚ましいほどの経済の発展には驚くばかりです。?

発展の過程には公害、水俣病に代表される公害病にお苦しむ人も

あちこちで叫ばれるようにもなった。

バブル期も経験し、低迷期を抜け出せなかった時代も長く続いた。

 昭和は食べられない、もうほしくないまで経験氏

そんな国造りの土台の歴史は長く伝えられるべきかと思います。

 団塊の世代の人の中には、南京、芋だけは

欲しくないと語る人もあるくらいです。

     家庭には、ちゃぶ台だけがあればよい。

 昭和は三大同居は当たり前

このように家族が寄り添えきづなは確かなものであった。

 今では防衛機器の装備は当たり前

自衛隊も軍隊化されようともしています。

 今一度、昭和の草も生えないとも言われた広島が

復興に向かって邁進したエネルギーに立ち戻る機会もあってよいのではと思えます。

そんな昭和の日を少し顧みたいものです。

     産経より。

【主張】昭和の日 時代の意義を伝え続けよ (2018年4月29日 05:01)

 「ああ昭和食えない食える食い飽きる」。平成17年の本紙「テーマ川柳」欄に載っ

た句で、昭和時代における国民の食生活の激変ぶりを、動詞の活用をなぞるような形で

見事に捉えている。

 ことほどさように昭和は、歴史上まれにみる激動の連続だった。これほど明確に印象

づけられた時代がかつてあったろうか。

 昭和の幕開け早々には世界恐慌に直撃され、やがて戦時色を強めながら先の大戦へと

突入し、敗戦に至る。直後の荒廃と窮乏からみるみる復興を果たすと、高度経済成長に

よって世界有数の経済大国へと発展した。「昭和元禄」の呼び名に象徴されるような平

和と繁栄を享受したのである。

 昭和天皇崩御で平成を迎え、30年がたった。昭和以前の生まれはおよそ4人に3

人となったが、その人たちが今でも特別の感慨をもって昭和時代を語るのは、戦争によ

る甚大な犠牲や戦後の国民の努力が現在の日本の礎となっているからに違いない。

 「昭和の日」には、あらためてそのことを深く胸に刻みたい。

 一方で、昭和が遠ざかっていく寂しさを感じることも多いのではなかろうか。来年4

月30日の天皇陛下の譲位に続き、5月1日には皇太子さまが即位され、平成に代わる

新しい元号が始まる。昭和への郷愁がいやがうえにも増し、あの時代の空気を今一度吸

ってみたいとの思いにも駆られよう。

 町の路地には子供らの遊ぶ声が響き、ときに近所のおじさんの厳しくも優しい一喝が

交じったりした。漫画のサザエさんの世界のように近隣が助け合い、地域で子供を見守

る温かさがあった。家庭内では、ちゃぶ台を囲んでの団欒(だんらん)の光景がごく普

通にみられた。

 たとえ時代が移り、生活スタイルが変わろうとも、昭和時代の温(ぬく)もりは懐古

や郷愁を超えていつまでも大切にしたいものである。

 戦後の復興、高度成長とともに歩んできた団塊の世代の誰もがまもなく70歳代とな

り、新しい元号の時代は彼らの孫の世代も加わって創造していくことになる。

 物心ともに豊かな日本であり続けたいと、夢や期待が日一日と膨らむこの頃である。

そんな次代への教訓とするためにも激動の昭和を生きた人たちはぜひ、昭和という時代

の匂いや悲喜こもごもの経験、さまざまな意義を、後の世代に伝え続けてほしい。