新政策パッケージ、だれのためのオーバンぶるまいか??

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

強い発信をし続けている安部のミクス5年目。

世界経済の成長にけん引される形で日本経済も風邪をひきながら恩恵に浴しているに

過ぎないことだけは事実である。

保育の環境を整えることを掲げる前に無償化がいつも先行当市される。

これは今までの経緯でもある。

税金は大切に大切に使われなければなりません。

 そうりはしゅけんしゃの多くの信認をいただいているとは言われますが

その丁寧の一語は、国税のオーバンぶるまいがそれに答えを出しているのでしょうか。

必要なところに適格に投資しなければ、その効果は半減と借金の山になるだけのこと。

無償化には、それなりの納得の答えが必要です。

 先行投資の必要なのは、第4次産業の担い手を社会に送り出すことです。

それがない限り企業の停滞と出し渋りはこれからも続くことでしょう。

生産性ある労働者の算出のための方向性こそが緊急課題です。

 私学の教育内容に踏み切る前に入学金の無償化までとはあきれ返ります。

そうであるならば良心の病気に寄り添う人間性を育成することこそが課題ではないのでしょうか。

 我が親も我が子も国税に頼るのであれば、我が国の衰退しかありえないように思います。

 両親が働いているとのことで、貧しい食卓に終始したり

親たる背中を見せることのできない親を生み出す結果になることこそが恐ろしい。

少し悲鳴を上げつつ苦労重ねることで、労働者としての気構えまでも

身についていくのではと考えます。

     日経より。

成長と財政両立の姿が見えない新政策

政府が「人づくり革命」と「生産性革命」を内容とする新しい経済政策パッケージを決めた。問

題が多い、といわざるを得ない。

 日本経済の最大の課題は潜在成長力の底上げと、先進国で最悪の財政の立て直しの両立だ。そ

の姿が見えず、もちろん「革命」の名に値しない新政策だ。

 人づくり革命では、消費税率を8%から10%に上げて増える税収を、教育や保育の無償化に

あてるのが柱だ。予算規模は、企業の拠出金3000億円を加えて総額で年2兆円となる。

 無償化は、3〜5歳の幼稚園や保育所費用、0〜2歳児を持つ住民税非課税世帯の保育所費用

が対象だ。私立高校の授業料の実質無償化や、低所得世帯の大学の授業料や入学金の免除も盛

り込んだ。

 わたしたちは教育無償化より待機児童対策を優先せよ、と訴えてきた。仕事と子育てを両立し

やすくして足元の人手不足を和らげるとともに、子どもを産み育てやすい環境をつくることは

少子化対策にもなる。

 政府はいちおう2020年度までに32万人分の保育の受け皿を整える計画だが、本当にそれで十

分といえるのか。不安が残る。

 高所得世帯を含めて無償化で大盤振る舞いするために、20年度に国と地方の基礎的財政収支

を黒字にする目標を先送りする必要があったか疑わしい。費用対効果の視点から、真に支援が

必要な人を絞り込む作業を怠ったのは残念だ。

 企業は過去最高水準の収益を上げている割に、賃上げや設備投資の動きは力不足だ。「生産性

革命」の名の下で、政府が減税により賃上げや設備投資を下支えしようというのは理解できる。

 企業統治を強化できれば、潤沢な現預金を攻めの投資に振り向けやすくなる。問題は補助金

どの予算措置だ。例えば、一過性のバラマキで無理に中小企業の情報技術投資を支援しても、

過剰設備に終わってしまう懸念がある。

 自動走行や遠隔診療の指針などをつくるというが、具体性に乏しい。焦点の規制改革では、裁

判所で解雇無効の判決が出た後に金銭で労働紛争を解決する方法の結論をなお出せずにいる。

 財政規律への配慮も、構造改革で潜在成長率を上げるという視点も乏しいのが新政策だ。成長

と財政よりも、分配に過度に偏るならば、安倍晋三首相の経済政策「アベノミクス」に危うさ

は残る。

核兵器と人類は共存できない。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

今年の ノーベル平和賞にicanの団体が受賞し

被爆者でもあるカナダ在住の(さーロー節子)は代表として

「人類と核兵器は共存できない」とあいさつしている。

日本からの被爆者の参加者もあった。

「ICAN受賞悔しかった、でも…」 授賞式に被爆者は

広島で被爆した岩手県花巻市の斎藤政一(まさかず)さん(93)は、オスロ市中心部の会場で

ノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の関係者

や日本から一緒に訪れた被爆者たちとともに、大型画面に映し出される式典の様子を見守った

。斎藤さんは、NGO「ピースボート」が主催した被爆者ツアーの参加者では最高齢だ。

〈特集:ノーベル平和賞にICAN〉

 「核兵器と人類は共存できない」

受賞者を代表して登壇した被爆者のサーロー節子さん(85)=カナダ在住=が講演で訴えると

、斎藤さんは目を閉じたまま「うん、うん」と何度もうなずき、目頭を押さえた。

広島の爆心地から1・8キロにある陸軍の兵舎で被爆。閃光(せんこう)を見たことは覚えてい

る。気がつけば、崩れた建物の下敷きになり、はい出すと全身はやけどして血まみれになって

いた。多くの仲間が亡くなった。

1カ月間の治療を受け、故郷の岩手に帰った。しかし、やけどの後遺症は残った。「原爆はうつ

るから、その人と話しちゃいかん」と差別も受けた。

核廃絶運動に長年携わり、現在は、岩手県原爆被害者団体協議会で名誉会長を務める。結た」。

信されるのを見て、自分たちがやってきたことも認められた気がした。今日のことを多く

「Yes! I can!」

被爆者ら現地でパレード

平和賞授賞式の後、オスロ市内では10日、現地の平和団体主催の記念のトーチライト・

トラル駅を出発。目抜き通りを約1キロ進み、授賞式で講演をしたICANのベアトリス・た。

2人がバルコニーから姿を見せると歓声が湧いた。

オーストラリアで核兵器の廃絶に取り組むジェニー・モーズリーさん(66)は「広島とがあり

、環境にもダメージを残している」と話し、今後、さらに核兵器廃絶運動を進めてドに加わっ

ていたのが印象的だった。国を越えて、活動が受け継がれていくことを確信で   

 日本は被爆国でありながら、核兵器批准条約に加盟していない。

被爆国としての平和を訴える役割りもあるはずではないのか??

今では日本も核兵器保有も視野にあることは残念だ。

     東京新聞より。

週のはじめに考える 「核には核」ではなくて

今年のノーベル平和賞が、核兵器禁止条約実現に奔走した国際NGO(非政府組織)に贈られま

す。核兵器に対する見方は変わっていくのでしょうか?

受賞するのは、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))。今年七月に国連で採

択された、核兵器を違法とする核兵器禁止条約の成立に、「主導的役割を果たした」というの

が理由です。

この条約は、核兵器の製造、保有、拡散、さらに核兵器を使った「脅し」まで、どの国に対して

も幅広く禁止しています。

◆授賞式に欠席する理由

ノーベル平和賞の授賞式は、ノルウェーオスロが舞台となります。筆者も以前、取材に行った

ことがあります。

この時期のオスロは日が短く、朝九時ごろ外が明るくなり、午後三時ごろにはもう真っ暗に。そ

んな中、たいまつを持った市民が静かに祝賀の行進をします。

各国の大使も授賞式に参加しますが、今年は、異例にも世界の核兵器保有国の大使の大半が欠席

するのだそうです。なぜ、そんな大人げない振る舞いをするのでしょう。外交官はマナーを重

んじる人たちですよね。

欠席の理由は簡単。核保有国が一貫して唱えてきた「核を持つ理由」を、この条約が真っ向から

否定したからです。

保有国の言い分を要約すると、こうです。核兵器は確かに問題だらけで減らすべきだが、世界

の安全を保つためには欠かせない。いわば「必要悪」だと。

多くの国が、それを信じてきました。しかし、そもそもおかしいと思いませんか。最も悲惨な結

果をもたらす兵器が、世界を平和に保つ。そんな「理屈」は、いつか破綻します。

◆核禁止条約の変える力

実際北朝鮮は、核の世界秩序に挑み、朝鮮半島に危機的状況をもたらしています。

もちろん、国際社会の制止を振り切って核実験を重ね、さらに、弾道ミサイルの実験を強行する

北朝鮮の行動は、とうてい許されるものではありません。

しかし、あえて北朝鮮の主張に耳を傾けてみると、核を巡る矛盾も見えてきます。

朝鮮半島の分断を決定的にした朝鮮戦争(一九五〇〜五三年)で、米国は、北朝鮮、中国の連合

軍の抵抗に手を焼きました。

中朝の国境地帯を分断し、戦況を一気に挽回するため、核兵器の使用を検討したのです。当時の

米国の司令官は、有名なマッカーサー元帥でした。

彼は、朝鮮戦争を終わらせるため、旧満州地区に二十発以上の原爆を投下し、強烈な放射線を出

す物質である「コバルト60」のベルトをつくる。そうすれば「六十年間、北方から(兵士が

北朝鮮に陸路で入ることができなくなる」と語ったと伝えられています。

その後も米国は、北朝鮮との緊張が高まるたびに、核使用を検討しました。米国の機密文書から

明らかになっています。

北朝鮮の核・ミサイルへの執着は、長い間、米国の核攻撃の脅威にさらされたことも原因です。

世界は日本の被爆者の体験を通じて、核兵器の非人道性を学んできました。ところが、その日本

政府は、核兵器禁止条約に参加しないと明言しています。

まずは保有国が核兵器を減らした後、「核兵器廃絶を目的とした法的な枠組みを導入することが

最も現実的」(河野太郎外相のブログから)。

それがうまくいっていれば、新条約を作る必要はなかったでしょうね。核兵器保有、非保有

の「橋渡し役」になると宣言しながら、苦しい説明を繰り返す日本政府には、「条約に参加せ

よ」と注文が相次いでいます。

ここでちょっと、大国による植民地支配について考えてみましょう。植民地は、現在の核兵器

ように、国際社会で認められていた時代があります。

◆植民地をなくした宣言

植民地が放逐される決定打となったのは、国連が六〇年に採択した「植民地独立付与宣言」でし

た。植民地が「基本的人権を否認し、国連憲章に違反する」と認め、「無条件で消滅させる必

要がある」と宣言しました。

植民地を持っていた米、英、仏などは採決を棄権しましたが、この宣言に勇気付けられたアフリ

カの国々が独立を宣言し、植民地は世界の地図から次々に消えていったのです。

核兵器禁止条約に核保有国は参加していませんが、「植民地独立付与宣言」と同様に、常識をひ

っくり返す可能性があります。

これまで核兵器を持つことは国際社会での「力」を意味しましたが近い将来、「非合法な兵器」

に変わるかもしれませんし、変えねばなりません。

密漁船には、工作員も・・・?

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 此の寒風の中、3千キロ近い距離を命を懸けて

北朝鮮の木造船が続々と漂着している

密漁船とは言っているけれど国名を受けての漂着。

この中には当然のごとく工作員も到着しているはず。

いろいろな観点からこの現象はとらえなければならない。

天然痘に罹患した工作員北朝鮮が送り込んでいる可能性も

否定しきれないとも底流では報道されている。

また化学兵器であるサリンなどで威嚇の恐れもある。

警護に当たっていただいているお方の無事を願わないわけにはいかない。

あらゆる方向性から密漁船は分析されなければならない。

北朝鮮であれ、日本人であれ命はかけがえがありません。

     よみうりより。

北朝鮮船漂着 密漁や上陸へ警戒を強めたい

武装漁民の侵入など不測の事態に備えるには、政府全体で警戒態勢を強化し、水際対策に万全を

期さねばならない。

北朝鮮籍とみられる木造漁船が、日本海沿岸に相次いで漂着し、保護される漁民も急増している

。関係当局は、事実関係を調査し、明らかにすべきだ。

11月下旬、秋田県由利本荘市で上陸した男性8人と、乗ってきたイカ釣り漁船が見つかった。

北海道の松前小島では、10人が乗る漁船の接岸が確認された。船には「朝鮮人民軍」と書かれ

たプレートもあった。北朝鮮では軍人も漁業に関与しているという。

看過できないのは、無人島の松前小島で、漁協が管理する小屋や灯台施設から、家電製品などが

持ち去られた形跡があることだ。

警察は、窃盗容疑も視野に捜査している。法に基づく厳正な対処が欠かせない。沿岸地域での防

犯態勢の見直しも急務となろう。

漂着船は青森、山形、新潟各県などでも発見され、1月からの累計で70件を超えた。日本海

波が高くなる11月以降に急増した。見つかった遺体も約20体に上る。

海上保安庁は、航空機による哨戒活動を拡充した。3万キロにも及ぶ日本の海岸線すべてを監視

するのは困難だが、国民の不安を考慮すれば、船の接岸や乗員の上陸は極力阻止することが望

ましい。

政府全体で情報を共有し、海保や警察、自衛隊、自治体、漁協などの関係機関の協力体制を構築

することが重要だ。監視活動に、情報収集衛星や小型無人機などを活用することも有効ではな

いか。

北朝鮮は、日本の排他的経済水域EEZ)での違法操業を強行している。核ミサイル開発に対

する国際社会の経済制裁が続く中、金正恩政権が食糧不足対策として奨励しているとの見方が

強い。

海保は今夏、イカやカニの好漁場である能登半島沖の「大和(やまと)堆(たい)」で、延べ約

820隻を強制退去させたが、密漁は後を絶たない。取り締まりの徹底が求められる。

水産庁の取締船が漁船から小銃を向けられたこともあった。日本側の安全確保も怠れない。

政府は、朝鮮半島有事で北朝鮮から日本に多数の難民が押し寄せる事態を想定し、対処方針を検

討している。当然の対応である。

工作員やテロリストが紛れ込んでいる恐れも否定できない。港での厳格な審査や難民の一時収容

施設の設置などが重要だ。

疫病や生物兵器の対策を含め、様々なシナリオに基づく対応策の具体化を進める必要がある。

2017年12月09日 06時08分

Copyright (c) The Yomiuri Shimbun

人生負の連鎖はどこにだってある。

      ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 我が従妹の養子「婿殿」も今から振り返ると

アスペルガーではなかろうかと妄想してしまう。

 従妹は4人兄弟の末っ子で、家の事業を継ぐことにあまり前向きではなかったけれど

良心が気づいたものをあきらめることにも躊躇を感じ

その当時は私学の高校の教員として勤務していたが

母親は私学に努めるくらいならやめてほしいといつも口癖のように言っていた。

 お寺の仲介でお見合いするも、気に入らなかったけれど暮らすうちに

お互いに気づけるものもあるのではといった短絡的な思いで結婚し

家業を全面的に支援してきた。

男の子が2歳足らずの時、いとこが少し目を離して事務をしているとき

その子が一人でお宮に出かけ、柵のない池にはまり水死した。

それからの家族は本当に悲しみの中に打ちひしがれていたが

お腹に小さな命が誕生し、その子が女の子とあって

誰もがその子の誕生を心待ちにしていたが死産での誕生にまた悲しみに襲われた。

従妹の父親が会社の切り盛りをしていたが、「婿殿」は仕事に前向きではなく

お金を持ち出しては船を買ったり遊び放題で

いくら言っても聞き入れることもなく

父親の心労もピークとなっていたのではと思う。

我が家の夕食時のテーブルにいつも浮かぬ顔で座っていた。

当時は勤めもしていたので早く後片付けもしたかったが

叔父の思いのままに過ごすことで気が休まればと

そっとしていた。

叔父の癌の末期を知らされ驚いたがそのまま叔父の言葉だけに寄り添うことしかできなかった。

叔父はその年の暮れ、わずかな入院ののち旅だった。

養子を返すこともできなかったのであろう。

それからの経営は急転直下のごとく倒産に転げ込んでいった。

もうそうなると人は後ろ向きとなり誰の支援も受けることができず

兄弟とミコばあちゃんが母親がどこにも行きたくないとのことなので

我が家に来てもらい、いとこ夫婦は不渡りを出す前に夜逃げをした。

 兄弟が従妹に夫婦別れすることで借金の返済は引き受けることにしたが

子供が二人いて「婿殿」を一人にすると野宿もできず死んでしまうのではと兄弟の申し入れに逆

らって働かない「婿殿」を介護の仕事で支えた。

「婿殿」は父の2年後に病死で若い命を天国へと旅立った。

 従妹は今が一番幸せと語る。

そんな従妹もリンパがんと闘っている。

暮らしは大変ではあるが愚痴ひとつ言わずに頑張りぬいた従妹の話し相手くらいに慣れたならと

思っています。

 不条理の連鎖は足元にもどこにだって転んでいる。

悔やみ悲しんでいても明日は来てしまう。

生ある限り太陽に堂々と向き合っていたいと思っています。

     朝日記事より。

お母さんの手を忘れないで 握り返した息子 なぜ奪った

ちょうど10年前の12月10日午後10時20分、自宅の電話が鳴った。

息子の護さん(当時51)が勤めていた書店の社長の家族からだった。「護さんが事務所で襲わ

れた。すぐに病院に来てほしい」

「窓」記事一覧〉

 磯島れい子さん(79)=神奈川県綾瀬市=は、急いで夫と病院に向かった。

幼いころから、息子は本が好きだった。出かけるときも必ず本を携えた。「本に関わる仕事がし

たい」。夢をかなえ、東京・代々木の書店の店長になった。

病院につくと、息子は管につながれ、ベッドに横たわっていた。何度、名前を呼んでも、返事は

ない。

警察の話だと、鈍器のようなもので頭を殴られたという。事務所内には争った跡があり、売上金

約10万円が奪われていた。話し好きで、仕事の合間にも親を気遣う電話をくれていた息子。

どれほど怖かったか。

13日間、一度も意識は戻らなかった。

「護、お母さんの手を忘れないで」。最期の瞬間、手を握り、呼びかけた。すると、爪の跡がつ

くほど、強く握り返してきた。

2日後、葬儀の準備を終えて帰宅した直後に、夫の良美さん(当時76)が風呂場で倒れた。息

子に先立たれた心労か。心筋梗塞(こうそく)だった。夫までも失った。

犯人はいまも捕まっていない。どこかで見られているのではないか。そんな恐怖で、ずっと外出

もままならなかった。

でも、昨年の12月、情報提供を呼びかける警察のビラ配りに、初めて参加した。未解決のまま

、10年目を迎えたくない――。

現場にも足を運んだ。事務所があったビルの階段を前にしたとき、息子の足音が聞こえた気がし

た。鳥肌がたち、涙がこぼれた。

今夏、外出先で転び、左足を骨折してしまった。3カ月入院し、家を空けた。

病院のベッドで、夢をみた。「どこに行ったの? 探しに来たよ」。息子が、語りかけてきた。

やっぱり、家を空けちゃいけないんだ。居間の本棚には、息子が愛読した太宰治川端康成の作

品がいまも並ぶ。仏壇に新しいお水をあげて、好きだったコスモスも飾らないと。

なにより、犯人につながる情報が、いつ寄せられるかわからない。

息子の手の感触は、いまもはっきりと覚えている。早く犯人の顔を見たい。そして直接聞きたい

。大切な息子を、なぜ奪ったのか。(力丸祥子)

磯島護さんが亡くなった事件は、警視庁が強盗殺人容疑で捜査を継続している。薄緑色の目出し

帽と灰色のジャンパーを着て現場から逃走する男が目撃されているが、その後、有力な手がか

りは見つかっていない。情報の提供は、原宿署特別捜査本部(03・3408・0110)へ。

普通とアスペルガ−症候群の狭間の人も沢山おられるはず。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

 漫画家の野波さんのご主人は「アスペルガーの経度障碍者

結婚後に診断されたという。

ご主人の日常を描いた漫画はすでに8巻を迎えているという。

会話においても言葉も普通とまるで変わりがないので普通と思って結婚されていたようだ。

所が暮らしとなると普通がわからなくなるほどである。

この漫画に共感している人はあまりにもたくさんおられる。

普通とアスペルガーのはざまで苦しんでいる人は少なくないはずである。

 我が兄も就職も普通にし、人付き合いもかなり広く

趣味も多く、御盆、樫木、しるじゃわんなど作り

漆に至るまで人には任せられないほどのこだわりでもある。

兄嫁の友達が来ても自作をとうとうと長時間にわたり話し続け

友の興味外であることなどまるで空気が読めない。

人を深く気づつけることも平気で言っておきながら

あくる日はケロッとしてまるで何もなかったようにふるまうため

当惑してしまう。

兄嫁が足が痛そうにしていても家のことは何一つしようともせず

掃除がしていなければご機嫌斜めとなり、ならば自分ですればよいのだが

それは全く守備がいのようなふるまいとか・・・?

母親が食事作りにはこだわって食卓を丁寧に暮らしていたこともあって

兄嫁の食事のまずさを平気でどこでも話姉をほめることなどまるでない。

相手を思いやる行為がまるでできず

随所でおかしいのではと思わされることはおおいい。

他人を ほめることがあまりにも少ない。

趣味のための道具を買いそろえたがり、姉からぼやかれてしまうと

 ミコばあちゃんのほうが申し訳なく思いついついお金を用立てる習慣がついてしまってもいる。

姉が悲鳴を上げるほどともに生活することが苦しくなったなら

引き受けたいと覚悟もある。

 だがおい夫婦に理解もあり兄も息子にだけは

どういうわけか一目もふたも雲おいていて素直に従うところが理解できない。

でも息子が兄を見てくれそうなので、経済援助はできないけれど

愚痴だけは聞いてやれたならと思っている。

人からはまるで変人ぶりがわからないため、苦労はするが

病気であると思えているだけでどこか救えたりもする。

でも実刑は医師の診断を受けたわけではない。

ミコばあちゃんも今では少し理解を示す努力もできるが

これはお互いに苦しんだことなのでしょう。

なんだか病に気づいた人はそこここにおられそうである。

「あらあの人も、この人も」といった具合で自分もお仲間なのかもと思ったりしています。今で

今では兄嫁もすっかりあきらめきってやり過ごし方の極意も板についている。

長年見てきて、目の前のこまっている人には手を貸すことはあるけれど

近所の人でも「こんな時はお困りだろうな」といった継続的な関わり合いができない。

初めから相談などできない人と思っていたので頼ることなどない。

今もって男嫌いは兄の影響のようだ。

せめて人に寄り添えることのできる人になってほしいのは願いでもありますが

これも神様のいたずらなのかもしれません。

何一つ相談などしては来なかった。

     産経より。

「旦那(アキラ)さんはアスペルガー」夫を描き続ける漫画家がみつけた「普通なんてどこにも

ない」

漫画家の野波(のなみ)ツナさんは、発達障害の1つ「アスペルガー症候群」の夫との日々を赤

裸々に作品に描いている。コミックエッセー「旦那(アキラ)さんはアスペルガー」シリーズ

(コスミック出版)で、すでに8巻を数える。描き続ける理由は何なのだろうか。

大切なことを共有できない

発達障害は、生まれつき脳の機能に障害があるために起きると考えられている。アスペルガー

候群はその発達障害の1つで、「自閉症スペクトラム障害」に含まれる。人との意思疎通や交

流が難しい、とされ、(1)社会性(2)コミュニケーション(3)想像力−に困難や障害が

あるのが基本的な特性だ。

性格や環境によって個人差はあるが「特定のものごとに強いこだわり」「場にそぐわない言動」

「他者の気持ちを想像できない」「規則や習慣にこだわる」−などの特性もみられる。

野波さんは、1994年、編集者だったアキラさんと結婚した。アスペルガー症候群だとは気づ

かなかった。

物事の優先順位が付けられず、思ったことをそのまま言ってしまうアキラさんの行動は、次第に

トラブルを引き起こすようになる。

自宅の購入は任せきりにされた。突然仕事を辞めた。将来のことを話し合いたくてもできなかっ

た。否定されるのが怖いのか、黙ってしまうからだ。知らぬ間に300万円の借金。結局、自

宅は売却する羽目に…。

「悩んだり、困ったりしているときに話し合いができなかった。大切なことを共有できない生活

に疲れました」

野波さんは振り返る。

「ほかにもいるはず」とエッセー漫画に

結婚から16年が過ぎた2010年、知人から宮尾益知(みやお・ますとも)医師を紹介された

発達障害に詳しい宮尾医師は、アキラさんがアスペルガー症候群だと診断した。

アスペルガーという言葉は知っていましたが、もっと特別だと思っていました。アキラさんは

普通の学校に通い、普通に就職していた。だから診断を受けて驚いたし、同じような人がほか

にも大勢いるはずと考えました」

だから、アキラさんとの日々を漫画に描いた。そして、11年1月に1巻「旦那(アキラ)さん

アスペルガー」が発売されると想像以上の反響があった。

「うちの夫のことかと思った」

野波さんのブログにも100通を超えるメッセージが届いた。その年の秋には2巻目を出版。そ

の後も、子供たちの視点から描いたり、アスペルガーの夫やパートナーを持つ女性の悩みを取

り上げたりと、さまざまな角度から描き続けて8巻まできた。

「メディアに取り上げられるのは、就労や人間関係に困難を抱える重篤な状態の方であることが

多い。だから、アキラさんのように発達障害でも仕事をしていたり、結婚をしていたりという

と、『たいしたことがない』と思われてしまいがち」

しかし、アスペルガーは、言語能力や会話能力に明らかな問題がないから発見されにくく、周囲

から「男の人ってそういうもの」「よくある話よ」と苦しみを理解されないがゆえに追い詰め

られてしまう家族も少なくないのだ。

発達障害の人と暮らす人がいる、ということを知ってもらえたら」

アスペルガーの夫との日々を描き続ける、切実な理由を語る。

短所が長所に…恋愛時代は気づけなかった

最新の8巻「アスペルガーと知らないで結婚したらとんでもないことになりました」では、さか

のぼって出会いから結婚までを描いた。

「どうして気づかなかったの?」

アスペルガーの夫やパートナーを持つ人がよく言われる言葉だが、「アスペルガーの人は恋愛時

期に魅力的に映るんです」と説明する。

最新刊では、「結婚前に分からないことがある、ということを言いたかった」。

流れに逆らわないアキラさんの生き方を、野波さんは「ガツガツしていない」と好ましく感じた

。披露宴では野波さんを「私の宝」と熱烈に表現してくれた。思ったことを迷わず口にするの

アスペルガーの特性だとは、後から知った。

「今なら気づくことがたくさんある。当時は何も知らなくて、思い違いをしていた。そのことに

向き合わなくちゃいけないのはつらい作業でもありました」

家族の記録…「誰も悪くない」と思えた

シリーズは8巻20万部と出版不況と呼ばれるなかで支持を集めている。今年になって電子書籍

版も発売され、新たな読者の獲得も続いている。

家族にも変化があった。11年の春にアキラさんと別居したのだ。おかげで関係は改善されたし

、これまでに起こったことを落ち着いて振り返る機会にもなった。

「『普通』にとらわれていたことに気づきました。普通の夫婦、普通の家族、と理想を追ってい

た。でも、普通なんてどこにもないし、よその家庭をまねする必要もない。よそと違うから不

幸でもない」

アキラさんに家族が振り回されたのは確かだが…。

「別居して、お互いにストレスから解放された。子供2人も良い子に育ってくれている。『普通

』の形にこだわって一緒に住み続けていたら、子供もストレスだったでしょう」

アキラさんの特性を理解することで責める気持ちも、自分を嫌いになることもなくなった。

「誰かが悪いわけではない、と見つめ直せたのが良かったですね」

しかも、お互いが過ごしやすくなるヒントも見つけた。

「私たちが日常で無意識にやっていることでも、できないことがある。アキラさんは『ごちそう

さま』とか『いただきます』とか言えなかった。ならば、ルール化すればいいだけ」

近所に住むアキラさんは、野波さんの家に子供を訪ねたり、突然お菓子を持ってきたりする。

新刊をアキラさんに見せ、「描いてほしくないことがあったら言ってね」と感想を求めると、「

4コマ漫画なのにオチが弱いですね」と返ってきた。「感想を聞いても、批評が返ってくるん

ですよね」と野波さんは苦笑いする。

「描き終えるたびに、これで最後と思うんですが、しばらくすると描きたいことが出てきます」

“家族”の記録は、まだまだ続きそうだ。(文化部 油原聡子)

アスペルガー症候群 人との意思疎通や交流が難しい「自閉症スペクトラム障害」(ASD)の

1つ。生まれつきの脳機能障害が原因とされる。「社会性」「コミュニケーション」「想像力

」に困難がある。言語能力や会話能力に明らかな問題がないため発見されにくい。幼少期に見

過ごされ、大人になってから「生きづらさ」を感じて気づくケースも増えている。大人の発達

障害専門外来も出てきている。

プロのボクサーが教壇に立ちたいと大学生となる。

     ご機嫌いかがでしょうか。 視界ゼロのミコばあちゃんです。

なんとプロのボクサーが引退後は教壇に立つ夢に挑戦しようとしている。

ボクサー付の人生に挑んだことで、中学卒業後は

アルバイトと、練習の日々に明け暮れた。

プロ時代もいろんな厚い壁に挑戦し「為せば成る為さねばならぬ何事も」

これを持論にやり切ったプロ時代。

此のプロ人生をリセットし第二の人生は教壇に立ち

やりぬくことの先に見えてくるものを厚く語りたいとまさに

そのための学生生活に挑んでおられる。

 現代っ子が学んでほしい忍耐、努力、あきらめない姿勢

これはまさに教育現場におけるランドマークそのものです。

どうか、強い精神力を、子供とともに大きく育てていただきたいと切望します。

     読売記事より

元ボクシング世界王者、教師へ転向…大学で学ぶ

〈「不可能を可能にしてきたボクサー人生が子どもたちの参考になれば」と語る高山さん(大阪

市北区で)〉

「不可能を可能にしてきたボクサー人生が子どもたちの参考になれば」と語る高山さん(大阪市

北区で)

プロボクシングのミニマム級元世界王者で、今年4月に引退した大阪市出身の高山勝成さん(3

4)が教師を目指して、大学で学んでいる。

中学卒業と同時にアルバイトをしながら選手生活を始め、海外の試合で受けた不利な扱いをはね

のけて、日本人初の世界主要4タイトルを達成した猛者だ。新たな夢である2020年東京五

輪出場を花道に、教壇に立ちたいと意気込む。

中学2年の7月、友人の誘いでジムを訪れ、ボクシングに出会った。「最低でも日本王者。世界

王者にもなる」と目標を立てて失笑された。だが、「初志を貫いて、プロボクサーとして勝負

する」と高校には進学せず、2000年に17歳でプロデビューした。

焼き肉店やガソリンスタンドなどで働く時間以外は、ボクシング漬けの毎日を、自らに課した。

中学のラグビー部で鍛えた動きで、相手のパンチに即応し、用心深く攻撃するスタイルで頭角

を現し、21歳と23歳で世界の2タイトルを制覇した。それだけで満足せず、さらに残る世

界2タイトルへの挑戦を決意したが、当時、国内のプロライセンスでは挑めなかったため、海

外に拠点を移した。

それから何度も、不利な戦いに悩まされた。試合会場や日程が直前に変更され、調整が万全でな

いままリングに上がることもあった。試合中にセコンドが会場の外に連れ出されたり、正確な

数値を示さない体重計に乗せられたりした。対戦相手がプラスチックを仕込んだグラブを使い

、苦しめられたこともあった。

「どんな状況でも対応しなければ、世界では勝負できないという覚悟が身についた。何より自分

が強ければ、必ず勝てるという信念があった」と振り返る。そして、13、14年と立て続け

に、目標の残る世界2タイトルを獲得した。

日本に戻り「夢を持ち、固い意志で自分の道を切り開くことが大切だ。ボクサーとしての経験を

子どもたちに伝えたい」と、教壇を第二の人生の場に決めた。30歳を過ぎて高校に入り、今

春、名古屋産業大(愛知県尾張旭市)で学び始めた。

プロ引退にあたり、「ボクサー人生の集大成」と東京五輪出場を目指すと宣言したが、また目の

前に高い壁が現れた。日本ボクシング連盟は規則で、引退から3年以上経過するなどの条件を

満たさない限り、プロのアマ転向を認めない。東京五輪までの規則改正を求め、関係者が署名

活動を行っている最中だ。

それでも、高山さんは誓う。「プロになると公言した時も、世界に挑戦する時も、みんなには無

謀だと思われた。けれど、すべてかなえてきた。東京五輪でメダルを獲得し、『無理だ』とあ

きらめる必要がないことを、教壇から身をもって訴えたい」(浦西啓介)

2017年11月11日 17時31分

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真珠湾攻撃から76年。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのミコばあちゃんです。

真珠湾攻撃からすでに76年もたってしまった。

ミコばあちゃんは歴史的背景は全くの無知です。

日本は負の歴史を認識すべきではなかったのであろうか。

戦線布告は単に経済封鎖によりヤモ植えなかったと理解してよいのか。

歴史的背景が教えることも多くある。

これからの学びもまた必要なように思える。

戦略戦争であったのだと理解する。

 韓国臥「慰め婦」から抜け出せないでいることにも

改めて学んでみたいと思っています。日本にとっての真珠湾攻撃での大勝利はどう、受け止めら

れたのだろうか。

やはり戦争だけはしてはならないように思っています。

いくら日本が迎撃機にこだわりを見せてみても

それには価値を見出すことなどできはしません。

     産経より。

真珠湾攻撃76年】米英、日本の軍事行動を予測、開戦誘導か ルーズベルトチャーチル

復電報

日本によるハワイの真珠湾攻撃から8日で76年。英国立公文書館が所蔵するウィンストン・チ

ャーチル英首相とフランクリン・ルーズベルト米大統領の往復電報によれば、ルーズベルト

開戦13日前に日本の「軍事行動」を予測していたことがうかがえる。チャーチルも返電で対

日譲歩に反対し、ルーズベルトが日本に最後通告の「ハル・ノート」を提示した後の開戦直前

に米英合同で事実上の“宣戦布告”を呼び掛けていた。米英指導者は戦争回避より先制攻撃す

るように日本を追い詰め、開戦へと誘導したとの見方が専門家から改めて示されている。

日米が戦争回避に向けて交渉を続けていた1941年11月25日午後1時20分に英外務省が

受信したチャーチルあての電報でルーズベルトは、日本側から20日、「南部仏印(仏領イン

ドシナ)から兵を北部仏印に引き揚げる代わりに米国側は通商関係を資産凍結前に戻し石油の

供給を約束する」暫定協定案が提出されたと伝えた。その上で、米政府が「日本が南部仏印

ら撤兵し、北部仏印の駐留兵を7月26日時点の2万5千人以下にすれば、米国は在米日本資

産の凍結を解除する」などの提案を作成したと報告。これは後のハル・ノートの原案の一つで

、幻の「暫定協定案」(日本が受け入れ可能な3カ月休戦案)と呼ばれる。

しかし、ルーズベルトは追記して「これは日本人に対し適正な提案と思えるが、諾否は実のとこ

ろ国内の政治状況による。あまり希望を持てない」と悲観的な見通しを示し、「われわれ(英

米)はすぐに起こるであろう本当の困難のためにあらゆる準備をしなければならない」と警告

した。

日本を挑発、追い詰めた

国立公文書館が所蔵するチャーチル英首相とルーズベルト米大統領の往復電報で明らかになっ

ルーズベルトの追記について、大戦中の米英関係に詳しいウォーレン・キンボール米ラトガ

ース大教授は、編著「チャーチルルーズベルト−完全な交信」で、「ルーズベルトは戦争回

避よりも戦端を開こうとしていたと解釈される。また日本との開戦危機を欧州戦線への入り口

に利用していたとの議論がある」と分析している。

■より厳しい協定案

中西輝政京都大名誉教授は産経新聞に、「暫定協定案を伝えて、日本が受け入れないだろうとい

うのは矛盾している。日本の軍事行動が差し迫っていることを予測していたことは明らかで、

チャーチルから最後通告のハル・ノートを出すことへの了解を取ることが目的だったのではな

いか」と指摘する。

米エール大図書館所蔵のスチムソン米陸軍長官日記には、1941年11月25日(米国時間)

ルーズベルトが軍事会議で「米国は来週月曜日(12月1日)にも攻撃を受ける可能性があ

る」と注意を促し、問題は「われわれ自身が過大な危険にさらされることなしに、日本に最初

の1発を撃たせるような立場にいかに誘導していくかだ」と発言したと記されていた。

ハル回顧録などによると、暫定協定案には中国が猛反対した。ルーズベルトはこれを放棄して翌

26日、日本に、より厳しい協定案、いわゆるハル・ノートを提示。中国、仏印からの軍撤退

など、日露戦争以降に日本がアジアで築いた権益の放棄を求めた。日本は「眼も暗むばかり失

望に撃たれた」(東郷茂徳『時代の一面』)ことで米国との交渉打ち切りを決め、戦争を決意

した。

チャーチルも呼びかけ

ロンドン大学経済政治学院(LSE)のアントニー・ベスト准教授は「ルーズベルトは日本がタ

イなどへ何らかの攻撃準備をしていることを把握していた」とした上で「チャーチルにも戦争

回避の意思はなかった。それより米国からアジア、欧州情勢での英国支持の確約を得るという

外交目標が大きかった」と分析する。

マレー作戦など日本の軍事行動を察知していたチャーチルは30日の電報でルーズベルトに、「

日本のこれ以上の攻撃(軍事作戦)は、ただちに最も深刻な結末に至ると(米英合同で)日本

に宣告すること」が残された手段であると提案しており、中西氏は、「チャーチルは対日戦に

米国を巻き込もうと事実上の宣戦布告を呼び掛けた」と読み解いた。

日米の開戦責任について、東京裁判の判決は、「米国の譲歩にもかかわらず、日本は戦争計画を

推進し、真珠湾の奇襲をはたし、強引に戦争に持ち込んだ」と一方的に日本に非があったとし

ている。しかし、往復電報は、「日本が和平交渉の最中に奇襲攻撃した」卑怯なだまし打ちで

はなく、「米英指導者が戦争ありきで日本を挑発して開戦へと追い詰めたことがうかがえる」

(中西氏)との解釈を裏付けている。(ロンドン 岡部伸)