敗戦から70年、天皇皇后両陛下の鎮魂の祈りの旅は永遠です。

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

沖縄鮮度復帰からわずか3年昭和50年の7月。

 当時における沖縄と言えば皇室に対する不信感は

国民としてぶつけることのできない無念さの吐けば伴っていたことも明らかであった。

 並々ならぬお覚悟のごほうもんであったとおもう!

 その覚悟の中の事件は

ひめゆりの塔)で起きてしまった。

 火炎瓶の投下により

陛下の2メートル先で炎上したという。

 その時の平価と言えば平然と驚くことなく

案内者の安否を気遣われたと記されている。

 このように激戦区ともいわれた沖縄に対する

敗戦後に対する思いは昭和天皇から引き継がれた

奥深い天皇としての思いの強さと

その後訪問の強いお気持ちが

高齢の激務の中からも見て取れます。

 戦争に対する陛下の思いは、国民の中にも

ひしひしと伝えずにはおられない思いが

深いところで感じさせていただけております。

 戦争だけはあってはなりません。

敵味方の多くを犠牲にしなければならない経緯からも

武器を、いくらでも豊富に用意することには反対です。

いつまでも、みずほの素晴らしい風景が残り続ける日本であってほしいとただただ、静

かな祈りを致すほかありません。

     東京新聞より。

天皇沖縄訪問 命とうとし平和を願う (3月27日)

 天皇、皇后両陛下が二十七日から沖縄県を訪問される。太平洋戦争では地上戦が繰り

広げられ、戦後も米軍の施政下に置かれた。在位中では最後の訪問となりうるだけに陛

下の強いお心が伝わる。

 両陛下には「忘れてはならない四つの日」がある。終戦の日、広島と長崎の原爆被災

日、そして六月二十三日の沖縄慰霊の日である。その日は沖縄戦で組織的戦闘が終結

たとされ、陛下は毎年欠かさず、黙とうしているという。

 それほど沖縄には格別な思いがある。昭和天皇も生前、「沖縄県に行くことはできな

いか」と漏らすほどだったがかなわなかった。それも重い事実としてある。

 陛下の沖縄訪問が実現したのは、皇太子時代の一九七五年のことだ。だが、慰霊碑の

ひめゆりの塔」の前で、活動家に火炎瓶を投げ付けられる事件も起きた。即位後の九

三年には歴代天皇として初めて沖縄県を訪れ、「ひめゆり平和祈念資料館」で、ひめゆ

り学徒隊の話をお聞きになった。

 近年では二〇一四年にご訪問され、学童疎開船「対馬丸」の犠牲者を慰霊した。太平

洋戦争中に米軍の魚雷攻撃を受けて沈められた船である。戦争の影が消えぬ地であり、

陛下もそれを忘れぬ思いが強い。そう感じられる。

 今回の沖縄訪問は、戦後七十年を迎えるに当たって訪れた一四年六月以来で、皇太子

夫妻時代も含め十一回目となる。

 初日は糸満市国立沖縄戦没者墓苑で、沖縄戦で亡くなった犠牲者を慰霊するほか、

二日目は与那国島を訪ね、日本最西端の碑や日本在来馬の一種「与那国馬」などを視察

する。

 これは退位の意向をにじませた一六年のビデオメッセージで島々への旅を「天皇の象

徴的行為として、大切なものと感じて来ました」と語ったことにも通じる。過去には伊

江島や宮古島石垣島久米島を訪問している。

 <みそとせの歴史流れたり摩文仁の坂平らけき世に思ふ命たふとし>

 皇太子時代の七六年の歌会始で詠まれた歌である。むろん、その前年に沖縄の摩文仁

を訪れたことを踏まえている。住民を巻き込んだ大激戦地である。県民の四分の一が犠

牲になったという。

 来年の四月末で退位する。その陛下が大事にされる公的行為として、沖縄の地を踏む

意味は一貫し、慰霊と平和を願うお気持ちに他ならないであろう。