after経済の指針。

   ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

今日も改正の太陽ご機嫌28度予定。

草刈り機の爆音が早朝から響き、草煙が広範囲に広がり

草の生々しい香りが飛び散っています。

日に日に伸びゆく雑草との戦いは田舎の風景…

昆虫もあちこちで活発な活動期となりこれらとの戦いもまた田舎のとある風景。

清楚に、そそと咲くつゆ草が朝露を浴びて、鮮明に

青色の花の風景はまぶたの中の風景でしかなく

そっと触ってみても、その息遣いさえかんっじることのない

冷たい感動は何とも言葉がない。

豊かな自然界は苦楽のオリジナリティ…

 総理の不用意な発言が46億円もの予算計上し、これが不人気でごみ化されるケースも

いくらあるのだろう?

コロナ対策費用は限りなく膨張し、102兆円もの予算計上だけの着地とは思えないほどの

バラマキ。これが借金国の現実かと思うだけでがっかり。

 経済の成長も不透明、コンパク化も容易に想像でき

日本丸の行方といえば燃料なしの航海かもしれない!

コロナのパンデミック(世界的流行)は公衆衛生上の危機として始まったが、これが経

済のサプライサイド(供給側)のショックとなり、サプライチェーン(供給網)の寸断

で供給と需要の接点が失われてしまった。もともと需要不足という状態ではなかったが

、感染拡大抑制のための行動制限によって需要も急激に落ち込んだ。

2008年のリーマンショックのような金融システムの危機ではなく、当時の経験を頼りに

できない。1929年からの世界恐慌の教訓も役に立たない、まったく別の顔を持った危機

といえる。

このパンデミックが厄介なのは、世界の人々の間に危機がある限り、全員にとっての危

機も終わらないということにある。世界のどこかで感染拡大が残っていれば、それが世

界経済全体が危機を脱するうえでの制約になる。日本だけが影響を受けないということ

はありえない。パンデミックが終息するという事態をどう捉えるべきか、その判断は非

常に難しい。

ソルベンシー軽視の市場に違和感

――国際通貨基金IMF)は「大恐慌以来の大不況」と表現しました。

IMFは毎年4月と10月に世界経済見通しを発表するのが決まりとなっており、まだコロナ

の影響に関するデータが少ない中で無理をして出した印象も否めない。

2020年の世界の実質GDP国内総生産)成長率はマイナス3%としたが、年後半からは回

復に転じるというのが今回のベースシナリオ。だが、このシナリオは必ずしも有効では

ないとIMF自身が認めている。先行きの不確実性は極めて強く、あまり思いわずらっても

仕方がない。

むしろ気になるのは、経済活動の実感と金融市場の動きが乖離していることだ。小さな

ニュースでも好感して株価が急騰する。(旅客が激減した)アメリカの航空会社の社債

が飛ぶように売れる。中央銀行流動性供給によって市場のマネーが増えていることが

背景にあるとしても、ソルベンシー(財務健全性)を気にしない投資の拡大には違和感

を覚える。この乖離はいずれどのような形であれ、収斂されていくはずだ。