死刑者 永山則夫の花嫁、
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロの御子ばあちゃんです。
1968年に 19歳の少年が起こした連続射殺事件。
この少年の裁判で死刑が確定した。
永山則夫は裁判もまともに向き合う姿勢などまるでなかった。
それは「どうせ死刑だから」と糸の元
罪に向き合う姿勢までもなく暴れまわったりと
事件を避けてみていたところもあったようだ。
一人の弁護士がある本を差し出したところ
この本に夢中になり態度を改めるきっかけとなり死刑も受け入れられるようにも
なっていったのである。
永山則夫が獄中結婚に至った奥さんとの出会いは
「ミミ」さんが日本に向かう飛行機の中で隣の席の人が
「無知と涙」の本を紐解いていた。
それを横からふれることとなり「ミミ」さんもこれを購入し
夢中に読んだことがきっかけとなりベストセラーにランキングされる作品まで生み出すに至って
いる。
この本が「無知と涙」であった。あなたは、こんなにも純粋に人を愛したことがありますか?
1968年、全国を震撼させた連続射殺事件。
捕まったのは貧しく愛を知らずに育った19歳の少年、永山則夫だった。
1審は死刑。控訴審で死刑が確定されると思われていた12年後の1980年、
永山が獄中で書いたベストセラー『無知の涙』を読んで、
アメリカから1通のエアメールが届く。
それは一つの「奇跡」が始まる瞬間だった。
処刑から20年。いま初めて公開される夫妻の愛の往復書簡。
「私は、殺人者のあなたをも受けいれています。
殺した罪は許せない。悪い、悪い罪です。
なのに、なのに、あなた自身を愛せているミミです」ミミ
本の構成は手紙のやり取りがその内容そのものである。
これはノンフィクションです。「ミミが初めてNに愛をおしえてくれた人なのです」ノリオ
ミミさんは今は青森の老人施設で過ごし認知症を発症。
漂うような暮らしの波の中で、いまなお
夢絵の中で「則夫、則夫ー」とその声は
魂を 揺り動かすかのように施設に
その声は悲しく確かにこだましている。「則夫、則夫」とのことである。
「永山則夫の花嫁」を読み進めるうちにいつしか夢中になり引き込まれ、
のめりこんだ本でした。
永山則夫、子の人が連続殺害者などとは
とても思えない心境にといざなわれる内容でした
この世の中にあって、真実の愛だけを求めることのできる人もおられるのだと
少し肩の力が落ちたようでもあり不思議な感情にとらわれたことだけは紛れもない。。
遠いい昔、永山事件獄中結婚は報道で知ることはできていました。
控訴審において「向き懲役」を勝ち取るが
差し戻し裁判で再び死刑が確定し「死刑が確定」した。
永山の中にも「死刑の確定」は想定外と受け止められ
精神の安定度を失いミミさんもこれを受け止められるだけの精神力がなくなり
離婚の道を選択したが、永山の遺骨を、生前永山が希望していた故郷である
網走においてミミさんによって散骨された。
みこばあちゃんは思う。
今なお、貧困がすべての諸悪の根源のように言われているが
貧しさはあってよいと感じています。
この世において誰か一人でよい。
よき理解者がいてくれたならと・・・。
誰かに傍らにあって、愛を受け入れることのできるヤドリギがあったならと。
飽食の真っただ中で生活している人が必ずしも健全な心が宿っているかと言えば
それもまた今の社会を反映しているかのように思えてならない。
乾ききった思いの中で孤独と向き合い
自問自答してみるがその答えは果てしなく不確かで遠いい。
神様、どうか不条理のお導きは出会うことが少ないことを
澄み渡った青空いっぱいの天空に深く深くお祈り申し上げます。
気持ちのやり場のなさを抱えた人がなんとおおいいことだろう
頭をかしげてしまいたくなる。
永山則夫の花嫁を読み進めるが
今においてこの高官文章に触れこの気持ちを表現するすべに出会えない。