元ハンセン病家族の訴え勝訴。
ご機嫌いかがでしょうか。 視界ゼロのみこばあちゃんです。
恨めしいほどの強い日差しの当地。
大空のもとに繰り広げられる人生は様々
神奈川県の海岸で見つかった女性の遺体は夫であった。
その動機は「妻の他人を見るような視線に耐えられなかった」と
語る犯人夫の憎しみは恨みしかなかったのであろうか…
このように人の気持ちは実に単純で心のブレーキまで失い
本当にさみしい限りです。
ハンセン病の戦いは実に長くて深く、患者お一人お一人に実にいばらの道を強いてきた。
またその家族に会っても、社会の偏見の目は
どこまでもとどまることを許してこなかった。
国の誤った判断一つで人の人生が割り振られた
差別と偏見は長く消えることのない歴史が
差別のすべてを語っているように思えます。
みこちゃんは、差別は永遠と感じている一人です。
ハンセン病に関しても、心ある人の実に長くて変わることのない
美しい心にも接することもあったように思います
偏見に関しても同様です。
色々な本に触れ本当に偏見は根深く
当事者の心のたくましさ 忍耐 強い精神力が何よりとも
感じるものでもあります。
アサヒコム寄りの引用。
「恥」だったハンセン病の父 葛藤も裁判も「長かった」
差別や偏見に苦しみ、国の責任を問うたハンセン病患者家族の訴えが、初めて認められた。原告や弁護団は「画期的」と評価する一方、原告全員の被害が認められず複雑な思いものぞかせた。「今日がスタート」。国が被害回復に本気で取り組むことを求めている。
ハンセン病の元患者家族が国に損害賠償と謝罪を求めた訴訟で、熊本地裁は28日、国に賠償を命じる判決を出した。
ハンセン病隔離政策、家族も被害 国に賠償命じる判決
判決を読み上げる裁判長を原告団長の林力(ちから)さん(94)は、まっすぐ見つめた。言い渡しが終わると深く息をつき、原告団の仲間と握手を固く交わした。
林さんの人生は13歳になった年の夏、父の馬場廣蔵さんがハンセン病療養所星塚敬愛園(鹿児島県)に入所したことで一変した。
隠れて泣きながら父を送った数日後、白い服に帽子、長靴姿の男性たちが家に上がり込み、「消毒」として白い粉をまいていった。近所の人は窓を閉め切って家にこもり、翌日から口をきいてくれなくなった。周囲の子に「くされの子」と指をさされ、母と一時、親類を頼って上京。名字も変えた。
だが、父の存在はその後もつきまとった。小学校教師になった20代の頃、同僚の女性を好きになった。駅まで手をつないで歩くだけで幸せを感じていた。だが、ある日、彼女は目も合わせてくれなくなった。その前日、見知らぬ人が自宅に来て、母に「父のこと」を問いただしていた。
次第に父をうとましく思うよう…
今日の人費が、足元の小さな幸せ感じられますように…。