気持ちが穏やかになれた 生活視力0の日。

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

12時近くにタオルケットのお世話になりました。

毎日まばら雨が降っています。

が みこちゃんが生活視力がなくなったのが62歳の頃でしょうか。

よくも そこまで頑張れたよねとほめてやりたいくらいです。

見えていた青空

透き通ったようなあの秋空の深さは心までも透明にしてくれるみたい…

見えなくなる不安との戦いはそれは壮絶な物がありました。

 白状を求めたときには ほっとした安ど感がありました。

【朝晴れエッセー】解夏・7月21日

解夏(げげ)」という映画を観たことがあります。「目が見えなくなってしまうとき、

そのときこそが見えなくなる恐怖から解放されるときである」。そのようなシーンがあ

りました。

私も年齢とともに目が見えなくなる恐怖と向き合っています。今まで見えていたものが

見えなくなるのは本当につらいことです。

でも自分がまだまともに見えていたとき、どれだけのものを本気で見ていたのでしょう

。どんな美しさを感じていたのでしょう。そして人の優しさにどれほど気づいていたの

でしょう。幼いときに見た夕暮れのあかね色の美しさ、両親と海に泳ぎに行ったときの

海の青さと空の青さ、近所の人たちの忘れられない優しさ、みんな私の思い出の中で輝

いている美しさでした。

大人になり人生の荒波の中で見たものはなんと色あせた風景だったのでしょう。定年を

過ぎ新たな人生を歩み出したとき、私の目は衰えましたが、心の目は幼い頃のあの目に

戻ろうとしています。

朝起きて何気なく歩いている道にも、アジサイたちが色とりどりにその命を輝かせてい

ます。野に咲く花一つひとつにもその彩りがあり、夏の暑さに向けみんな準備を整え頑

張っています。苦しんでいるのは私だけではなかったのです。これから見えなくなるだ

ろう私の目に映し出されるものは、幼いころに見たあの優しい風景よりもなお美しい心

の風景なのです。

明日の朝早く澄んだ空気の中で私が見るものは、その貴重な時間とともにずっと私の心

の中にしまっておく宝物なのです。

三島一郎(64) 大阪府高槻市