父の思い出。
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
おはようございます。
今日は霧雨の中です。
バックには「myウエイ」が流れています。
連日雨の日も来るのでしょうか…
愛情表現の苦手なお父さんはどこにもいるのかもしれない。
ドロドロした人間関係はどこにも存在するのかもしれません。
みこちゃんも 口も利かないままで一生終えたらどうしようと不安もありました。
長い認知の末に お互いに必要とするようになったことで木綱が埋められたことは
あの世で出会えた時おとうさんをうけいれられるようになったし
【朝晴れエッセー】父と「シェルブールの雨傘」・5月30日
父が亡くなったのは東日本大震災の年の初秋のことであった。眠そうな父はベッドの手
すりを何回もつかんでは離すを繰り返していた。「お父さんだるいの?」と聞きながら
、さすった手は冷たかったが、まさか数時間後に息をひきとるとは思わず「また明日来
るね」と言って帰省していた息子と交代した。
短気な父は愛情表現が下手で、いつも気難しそうに見えた。思えば父と私はきちんとし
た会話はほとんどしたこともなかった。だが、孫には喜怒哀楽こめて全身で愛情をかけ
ているようで傍目にもくすぐったく、それで帳尻があっていると納得した。父は5歳で
生母と生き別れをしたから愛情のかけ方を知らないと母は同情していた。
青年時代を神戸で過ごした父は、結婚して田舎に住んでからも一人娘の私をつれて町の
映画館に通った。西部劇、ターザン、イタリア名画など、私に分かったのかどうかは別
にして、私の記憶の引き出しから「鉄道員」などの一シーンが、今でもこぼれ出てくる
ことがある。
中学生ともなると私は父と同じ気難しい少女となり、父との映画もなくなった。それが
どういういきさつか、大学1年の夏、2人で映画を見た。それも私の希望の「シェルブ
ールの雨傘」を。隣の席の父は照れくさそうに、でもまんざらでもなさそうであった。
雨の季節になるとふと思い出すことがある。色とりどりに花開いた雨傘と父の横顔を。
お父さん、今、とても会いたいです。