クリミアの併合派なぜ起きたのか?

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこっばあちゃんです。

おはようございます。

 バックには「明けの明星」が流れています。

希望をもって 今日を楽しみたいものです。

クリミアから来られた20名の人に戸惑わない善き日となりますように…

寒い空気が金曜日から暑い日にと変わるみたい。

気温の適応も体力が一番。

 クリミア併合の歴史はロシアの統合も見えてきたりもします。

 プーチンの支持率は83%も理解できそうです。

話し合いなど 成立はできなかった背景が戦争斧始まり…

クリミア併合に何の意味があったか知ってますか ギデオン・デフォー

を著したギデオン・デフォー氏。同書より、存続期間1日の滅亡国家「クリミア共和国」

を取り上げます。2014年、ウクライナ領のクリミア半島が突如独立を宣言し、「クリミ

ア共和国」樹立を宣言しました。そして翌日、自ら望む形でロシアに併合されます。当

然ながらウクライナはこの独立・併合に異議を唱え、国際社会もロシアを強くバッシン

グしますが、現在にいたるまでロシアが実効支配を続けています。

この半島をめぐる攻防は現在のウクライナ侵攻の前哨戦とも呼べる出来事だったわけで

すが、そもそもクリミアには征服と再征服が繰り返されてきた歴史があります。

なぜ1つの半島に多数の国家が執着し、奪い合うのでしょうか。背景にあるのは、ある「

地政学的特徴」です。

クリミア半島を囲む珍しい「凍らない海」

クリミアは、落雷で炎上する海に囲まれています。海底の不毛帯から可燃性の有毒ガス

が湧き出しているためで、この地政学的特徴が何世紀にもわたる「征服されては支配者

が変わる」クリミアの歴史を形成しています。

古代ギリシアの歴史家ヘロドトスによると、最初の入植者はキムメリオス人でした。そ

の後スキタイ人に侵略され、彼らのあとにギリシア人、続いてタウリア人、ゴート人、

キプチャク人、アラン人、ルーシ人、ハザール人、アルメニア人、モンゴル人、そして

ジェノヴァ人と支配者が次々に入れ替わります。

これはひとえに、クリミアが高緯度地域に珍しい「不凍港」だったから。やがて半島は

ロシア皇帝の手に落ちます。ロシアにとって、クリミアは海水浴をしても顔が凍りつか

ない珍しい場所で、当初はリラックスできる別荘地として重宝されました。そして次第

に軍用港としての重要性が高まっていきます。

第2次世界大戦の独ソ戦で、クリミアは一度ナチスに占領されます。残忍な傀儡政権が樹

立され、多くの人が犠牲となりますが、枢軸国が敗戦するとクリミアはスターリンの手

に戻ることに。

しかし、先住民クリミア・タタール人たちは、「ソ連復帰」でさらなる憂き目を見るこ

とになります。スターリンはこの地にロシア系移民を大量に送り込み、クリミア・タタ

ール人たちを強制収容所へ送還したのです。半島内でのロシア勢力を強化し、自分の意

のままに操れるよう地盤固めを行ったのです。

一方、スターリンの死後、指導者となったフルシチョフは何を思ったか、クリミアをウ

クライナへと割譲します。とはいえ、当時のウクライナは巨大な「ソビエト連邦」の構

成国の1つ。いわば「ソ連からソ連への贈り物」で、当時この割譲が騒がれることはあま

りありませんでした。

あまりに怪しい「国民投票」で独立したクリミア

しかし1991年、そのソ連が崩壊すると、ウクライナは正式に独立国として世界から認め

られ、西側諸国との距離を詰めはじめます。クリミア半島を連れての西側への政治的放

浪に、ロシアが黙っているはずありません。

ロシアにとって何より大きな問題は、クリミア半島の都市セヴァストポリがロシアの利

用できる貴重な不凍港であるという点です。柔道の有段者で、数々のプロパガンダを打

ち出しては自分が「世界最強のリーダー」であることを印象づけてきた武闘派プーチン

が、大事な港が自分の監視下から逃れるのを黙って見ているわけがありません。

2014年3月16日、クリミアで突如「独立」の是非を問う住民投票が行われます。その結果

ウクライナからの独立と「クリミア共和国」の樹立が発表されました。もっとも、ロ

シアに飛び込む1日前のまったく説得力のない独立で、3月17日にクリミア共和国が誕生

すると、翌18日にクリミア共和国が「望む」形でロシアに編入されることとなります。

この編入劇の裏には、ソ連復帰直後にスターリンが行った「ロシア人送り込み」政策が

効いています。

ある国が他国に侵攻する際、必ず必要になるのが「理由」です。なかでも移民を送り込

み定住させることは、「自分たちの同胞が虐げられている」「同胞が望んでいる」と主

張できるため、時間はかかるものの体のいい理由を作れます。

勝算のある「投票」そして「地元民が望んだ形」

現在のウクライナ侵攻でも、当初ウクライナ東部の「親ロシア派」が独立騒動を起こし

、ロシアは同胞を守るため独立を承認したことを覚えている人も多いのではないでしょ

うか(東側なのは、ロシアと近くて移民を送りやすいから)。

世界滅亡国家史

事実、クリミアの独立をめぐって住民投票が行われた際、半島の多数を占めているロシ

ア人の多くは、祖国と運命をともにすることに賛成しました。スターリンが大量にロシ

ア人を送り住まわせたからこそ、勝算のある「投票」、そして「地元民が望んだ」とい

う形をとることができたのです。

クリミア共和国がたった1日で独立を終え、ロシアとの合併を選んだことを考えると、明

らかにプーチンの影がちらつく独立です。

しかし、この半島の地政学的運命とこれまでの歴史を考えると、クリミアが新たな支配

者の手に渡るのはこれが最後と決めつけるのは早計でしょう。国家や国境が人工物であ

る以上、ちょっとした出来事や思わぬ理由で国の形は変わります。クリミア半島の場合

、「凍らない海」という自然の産物に人間側が歴史上常に動かされ、支配国が変わって

います。まさに今、地政学と歴史を学ぶ意義が高まっているのではないでしょうか。

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