障碍者の正しい理解も…

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

 まだまだ 朝の寒さは続きます。

 沖縄では25度という。

まだ、虫は出向いてほしくはありませんけど…

 ウクライナでは350人の死者も出ています。

ウクライナから50万人もの避難民が出ていまインドの大学生も砲撃に命をなくしています。。

これは子供と年寄りです。

本当に起きてほしくはありません。

 障碍者雇用促進法が法リツカ

されていますがこれが正しく機能しているとは言えません。

障碍者理解が雇用の一歩と考えます。

半身不随に絶望した男が障害者の為に起業した訳 姫野 桂

増本さんは右半身にマヒがあって動かないため、名刺交換の際は左手で「片手で失礼します」と言われたが、そのほかはほぼ違和感がなく普通に歩けて普通にしゃべれていた。ちなみに利き手は右手だが、右半身が動かなくなってしまったので利き手交換という訓練をして、現在は左手で文字を書いたり食事をしたり、車の運転も左手でハンドルを操作し、車を改造して左足でアクセルを踏めるようにしているという。

「就業先の六本木のミッドタウンで倒れたのですが、そこから病院に運ばれ、医師からは48時間以内に出血範囲が広がったら、おそらく脳死状態になる可能性が高いだろうと言われて、実家の両親も長崎から飛んできてある程度の覚悟を決めていたほどです。しかし、2週間の意識不明から奇跡的に目覚めました。

でも、しゃべろうとしてもあーとかうーとかしか出てこない。看護師さんに『奥さんの名前言えますか?』と聞かれ、うちの妻はノリコと言うのですが、なぜか『ルミちゃん』と答えてしまい、周りからは浮気を疑われたという(笑)。ルミというのは姉の名前なんです。高次脳機能障害が残ってしまったため、妻のノリコという名前がわかっているのに混乱して姉の名を言ってしまって」

増本さんには右半身のマヒと高次脳機能障害が残った。両親はもう自活は無理だろうと何度も感じ、地元である長崎に連れて帰ることも頭をよぎったが、両親も高齢で裕司さんの介護なんてできない。看護師さんからは気の毒そうな目で見られたという。また、医師が研修医をゾロゾロと連れてやってきて「これが半身マヒというものだ。よく見ておけ」と説明していて、見せ物にされたように感じた。

「入院していたある日、回診の先生に『僕はもうダメなんですか?』と聞いたら、おどおどされながら『人生終わったけど頑張ってください』と言われました。彼に悪気はなかったと思うのですが、ああ、終わったのかと思いわんわん泣きました」

暇すぎて1日8時間もリハビリに励む

そこから増本さんはリハビリに励むようになる。本来なら1日20分すればいいものを1日8時間もやった。なぜそんなにリハビリを頑張れたのかと問うと、暇でやることがなかったからだという。リハビリははっきり言ってつまらなかったが、逆につまらないことを必死でやったらどうなるのだろうという思いもあり、毎日長時間取り組んだ。その懸命なリハビリを4年間続けると、何とか杖を使わずに歩くことができるようになった。また、リハビリ中は働けないので障害年金で過ごした。

リハビリをやった4年間、東京都多摩障害者スポーツセンター(東京都国立市)に通い、障害者の友人ができた。この施設は障害者が無料で利用できる。ここで、さまざまな障害のあるいろいろな人に出会った。身体障害者もいるし知的障害者もいるし精神障害発達障害の人もいる。

その人たちと会話をしていると、障害者というものが大まかにひとくくりにされていて、理解が及ばず誤解されている面がたくさんあるのではないかと強く感じた。そして、いつかその問題を解決できるような「事業」を自分の手で作りたいと思った。しかし、具体的な案もお金もなかったため、とりあえず障害者となった自分が社会で働いてみようと思った。

そして、なめらかに会話ができるように後遺症の失語と吃音のリハビリに取り組み、倒れる前の半分くらいの感覚まで戻せたと感じた時期にスーツを新調し、結ぶ必要のない、ループタイのような仕組みの片手でつけられるネクタイをつけて障害者雇用枠で就職するための「就活」を始めた。

そこで彼は想像よりはるかに、障害者の就職が困難である現実を知る。面接を何十社と受けても受からないのだ。障害者になる前は某有名企業の営業企画部で数々のプロジェクトを成功させた経験があることを面接で伝えても落とされる。

障害者雇用で60社も落とされる

障害者雇用と言っても、ほとんどの会社は障害者のことについてまったくわかっていないんです。例えば発達障害でもADHDASD、LDなど特性の種類があるのにそれらを知らない。合同面接会に行っても、とりあえず『これやれる?』と聞かれるのみ。僕自身について、例えばどんな障害なのか、どんな業務の経験があるのかといったようなヒアリングをされることは皆無でした。企業が法定雇用率の2.3%をクリアしないとペナルティーが与えられるのを避けるために、とりあえず『働けそうな』障害者の頭数をなんとなく『そろえるだけ』の場所、という世界でした」

何とかアルバイトでの障害者雇用に採用されたが、会社に行ってデスクに座っていても何も言われない。仕事を与えられないのだ。そこで、上司に「何をすればいいですか?」と聞くも「君は何もしなくて座ってればいいから」と言われてしまった。障害者になったとしても自分は働くことができる、経験やナレッジを生かして会社に貢献ができると当たり前のように思っていたのに、そうは扱われないことに悩んだが、バイトを辞めるにしても最後に一泡吹かせてやりたいと、昔勤めていた会社でお世話になっていた知人に相談しに行った。

すると、「僕は君のスペックを知っているから君に仕事を与えてあげよう。絶対できるから」と言われ、アルバイトの身ながら5つの案件で4200万円の受注をもらうことができた。そして、ちょうどこの時期に、長い間連絡を取っていなかった昔の友人と再会する機会があり、自分の現状と将来やりたいことについて話すと「俺、手伝うわ!」と起業をサポートしてくれることになった。4200万円の案件を会社に持っていくと、口には出さないものの明らかに「え??障害者雇用のアルバイトがなんで?」と困惑気味な雰囲気になったので、少しだけ気持ちが晴れた。

障害者雇用のいびつな現実を目の当たりにした僕は、それを解決するために障害者のためのコンサル事業を立ち上げようと、サポートしてくれることになった友人にアドバイスをもらい、1年かけて、企業がペナルティーを避けるために数合わせで雇用するのではない、ちゃんと働く意味のある就職や、仕事も含めたQOLが向上する手助けをするための会社の設立に向けて準備を勧めました。しかも、得意だったITを使って。

まず、日本の身体障害者手帳は上半身何級、下半身何級、しかなく、僕のように右半身マヒというものがないんです。身体障害者の約半数が実は脳血管疾患で右半身か左半身のマヒなんです。そこで、体のいろんな部位、例えば脳、目、口、右腕、左腕、右足、左足など、細かく20カ所以上に分けて障害を文字ではなくイラストで表した障害者特化属性情報の『ブイくん』というキャラクターを作りました。

このブイくんでさまざまな『部位』の障害をイラストで指定し、わかりやすく可視化することができます。さらにこの仕組みとマッチングアルゴリズムをかけ合わせることにより、その人の障害に合わせた最適な情報が提供されるというもので、特許も取得しています。精神障害と言った時点で、こいつは人を刺すんじゃないかと思われたり。障害者と言っても身体障害、知的障害、精神障害発達障害の4つの種類があるのにまったく認知されていません。

それをITで解決できないかなと思って作ったのが『障害者翻訳』です。商標も取りました。これは障害者の個別の症状や、それに対してどのようなケアや対応が必要なのかを伝えるシステムで、就職サイトに『障害者の方はこちら』というページを作ってクラウドサービスに飛んで応募できるものを今、設計段階です。

僕自身が障害者のカテゴリーを経験したうえでのこのシステムになったけど、『それは増本さんの考えであってエビデンスがないじゃん』とよく言われるんですね。だけど、『エビデンスがなかったとしてもよくできている、これを市場に投下するとどえらいことになる』というのはみんな言ってくれるんです。『そうしたら、エビデンスは私たちがつけます』とある医療系の大学が言ってくださって。現在その大学と提携して、きちんとソースが出せる環境が整いつつあります」

障害者就職エージェントもまったくわかっていない

会社は2015年に立ち上げ、現在社員数は6名。障害者雇用に関することと障害者のQOLを向上させること。この2つを軸に活動を続ける。増本さん自身、障害者就職エージェントに登録したがことごとく落とされてしまった。エージェントも障害者のことをまったくわかっていない現実にぶち当たっている。

増本さんの話を聞いて、障害者は社会から抜け落とされていることを実感した。余談だが、増本さんのIQは149もある。身体能力については限界を感じる場面もあるが、考える力、ひらめく力は高いのだ。今後、増本さんがさらに障害者が生きやすい世の中にしてくれることを期待している。

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