挙げるのではなく「いただいていただく」にギアーチェンジも

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

バックには「大きな古時計」が流れています。

お腹がすいたのでお雑煮をしているところです。

霜を踏みしめて歩くとサクサクと冬の音がする。

万両はおいしくないのか、小鳥も見向きもしない。

 みこちゃんもよくお金を上げて苦労させられますが

それも迷惑なのかもしれない。

 稲垣恵美子さんといえばシンプルライフのお手本のような生き方です。

おさいせんの一円たりともいただいたことなどありません。みこちゃんは相手が欲しが

お金など欲しがらない人はそれなりの人格者です。ものをあげるのが一番と考えていま

す。

モノをあげたい人が「やりがち」な残念なミス 稲垣 えみ子

何でもかんでもお金で買わねば手に入らないと思い込み、お金がいくらあっても足りな

いキョーフの人生100年時代に怯えて暮らす人生よ、永遠にさようなら!?なぜなら私は

生活に必要なものを「あげたりもらったり」して暮らす方法をがっちり身につけたのだ

から!?オーホッホッホ……。

……とあなたも必ず言えるようになる生き方のコツについて、何度かにわたってお話を

させていただいてきた。ざっと復習すると、まずは「あげる」ところから始めること。

あげるのはモノでなく言葉でもオーケーなこと。モノをあげる場合は、相手をよーくよ

ーく見ること。ここまでくれば、そろそろあなたもこの「お金が足りない」時代を安心

して生きるコツが7合目ほどまでわかってきたと認定してもいい感じである。残りはあと

ちょっと!?なのであともう少しお付き合い願いたい。今回のテーマは、モノを「あげる

」際の心構えについてである。「あげる」こと自体は、前述した注意事項さえ守れば難

しいことではない。何よりも、あげるものに事欠くことはほぼないであろう。モノ余り

の時代であり、あなたの家にもちょいと探せばとんと使わぬまま押し入れやクローゼッ

トの奥で埃をかぶっているモノがいくらでもあるに違いない。「あげる」候補となるモ

ノは、今や誰だって少なからず所有しているのである。そのまま抱え込んで部屋をごち

ゃごちゃにし続けるよりも、誰かにあげたほうがスッキリするというものだ。そうなれ

ば、流行りの「断捨離」もできてしまう。断捨離が難しいのは、いくら使っていないと

はいえ、それなりに愛着のあるものを「捨てる」となればどうしたって心理的抵抗は免

れないことなんだが、誰かに「あげる」となればその抵抗を免れることができる。一石

二鳥とはまさにこのことではないか。だがここに、大きな落とし穴がある。いくら使わ

ないとは言っても、長年大事に取ってきたものにはそれ相応の理由があるものだ。よく

ある2大理由が「ほとんど使っていない」「高かった」ってやつ。つまりは「よいもの」

であるということですね。だからこそ使わないとわかっていても捨てられず、長年大事

に取ってきたんですよね。お気持ち、よーくわかります。でもだからと言って、それが

他人にとって「よいもの」であるとは限らないということをゆめゆめ忘れてはならない

。何度も書くが、ものが余っているのはあなただけではない。今や金持ちかそうでない

かにかかわらず、日本国民のほとんどがあふれるモノに苦闘しながら生きていると言っ

ても過言ではない。つまりは、誰もがモノを「あげたがっている」のだ。「もらいたが

っている」人を圧倒的に上回る人が「あげたがっている」。この事実を忘れてはならな

い。何かを喜んでもらってくれる人というのは、今やダイヤモンドのように貴重な存在

なのである。30万円した毛皮のコートも「ゴミ」かもしれないつまりはですね、それが

いくら良いものであろうが、例えば30万円もした毛皮のコートであろうが、誰もが欲し

がっているわけではない。っていうか、おそらくはほぼ誰も欲しがっちゃいない。いく

ら高いものでも、似合わなかったり、すでに似たものを持っていたりすれば、それはも

う単なるゴミなのだ。そんな中で「欲しがってくれる貴重な人」を必死になって見つけ

出して初めて、あなたの「あげる」行為は意味を持つのである。ここを疎かにして、安

易に人に押し付けるようなことをすれば、あなたは単に迷惑な人、困った人である。さ

らに言えば、もし欲しがってくれる人を見つけたとしても、そのお方に「30万もしたも

のをタダでくれてやる」というような態度で接することは、もう絶対に絶対に厳禁であ

る。なぜって、たとえ欲しがっているように見えたとて、本当に心からめちゃくちゃ欲

しがっているってことはほとんどないと考えたほうが良いからだ。この何もかもが信じ

られないほど安い値段であふれまくっている時代の中、洋服なんぞ、本当に気にいった

ものを選んで買うほうがドライでうれしくて安心なのである。そもそもね、なぜあなた

がその30万もしたコートを「着なかった」のかを考えて欲しい。それは、値段とは関係

なく、どこかに「着ない理由」があったに違いないのだ。デザインがイマイチとか、重

いとか、でかいとか、大げさとか、それは案外小さくない理由のはずである。30万もし

たのに着なかったんだから、よほどのマイナスがあったのだ。それを、わざわざ喜んだ

顔までして「もらってくれた」人が現れたのである。まさに神である。そのことの恩義

を忘れてはならない。その人のおかげで、あなたは「無駄なものを買って、それをゴミ

箱に捨てる」という悲しさや情けなさを逃れることができたのである。ものを無駄にす

る良心の呵責からも逃れることができたのである。「もらって頂く」という気持ちを忘

れてはいけないつまりはですね、人様にものを差し上げるときは、それがどんなもので

あれ、「あげる」のでなく「もらって頂く」という気持ちを絶対に忘れてはならないの

であります。その気持ちさえあれば、前回書いたように、あげたことがかえって迷惑に

ならぬよう、相手をよく見て、相手が本当に必要としているものを想像し、さらには念

のため「これこれのものをもらっていただけますでしょうか」と確認してから差し上げ

ることはもちろん、その際には「なんだか押し付けちゃってすみません!」とか「もら

っていただいてホント助かります!」などの一言を添えるといった行動は、ごく自然に

出てこようというものだ。それができるようになれば、その相手との関係は長く続き、

なんだかんだとお互いにあげたりもらったりして幸せに暮らしましたとさ……という結

末が必ずや待っているであろう。……と、たかだか一介のアフロにすぎない身で、この

ように説教めいたことをクドクドと書いたのには理由がありまして、私は実際に「ダメ

な例」を少なからず目撃したことがあるのだ。つまりはですね、これは案外、少なから

ぬ人が「やりがち」なミスなのである。主な舞台は、うちの近所にあるとても趣味の良

いカフェ。そこの店主は、常人にはゴミにしか見えないものの中にもこのうえない美を

見出す天才とも言える方で、店の超絶素敵なインテリアはほぼすべて、拾ってきたもの

やもらったものばかりという偉人である。なので私もこの店には散々世話になっていて

、いろんなものを「もらって頂いて」いる。だってですよ、わが家で使いこなせず不遇

を囲っているモノたちが、ここへ持ってくれば見違えるようにイキイキと輝くのだ。無

能な持ち主としてはこれほどうれしくありがたいことはない。なので店主の好みに合い

そうなものを自分なりに考えて持って行くのだが、それでも、おそらくその何割かは「

やや迷惑なもの」も含まれているに違いないと自覚はしている。なのに毎回笑顔で受け

取ってくれる店主様はまさしく現代における神である。なので当然のことながら、毎回

「もらってくれて誠にありがとうございます!」の気持ちを忘れたことはない。なぜか

「おじさん」に多い残念な人たちこんな素晴らしいお店なので、私と同様に何人かの人

がその恩恵に預かり店主様にモノを引き取っていただいているのだが、残念なことに、

その中には数人の「ローゼキモノ」がいるのである。いろいろと持ってくるのは良い。

それは私も同様である。だが店に来るたびに、「これは俺が持ってきてやった」「あれ

も俺が持ってきた」と自慢を繰り返す人がいる。また汚れたものまで持ち込み、さすが

の店主にも断られた人がいる。さらには、いったん持ってきたものをだいぶ経ってから

「返してほしい」と要求する人がいる……。いずれも悪気があるわけではないのだろう

。ただこの人たちが決定的にダメなのは、「あげる」人がエライのだと思い込んでいる

ことである。何度も言うが、そんな時代はもう何十年も前に終わったのだ。なのにその

ことに気づいていないのである。そして私が気になったのは、これがすべて「おじさん

」の所業だったことだ。私の知る限り、女性にはこんな人はほとんどいない。なぜおじ

さんにはこういう人が多いのだろう?それは実に興味深いテーマであるように思える。

なぜって、こんな行為をするということは、そういう時代認識でいるということにほか

ならないからだ。世の中にはいつの間にやらモノがあふれかえっていること、みんな不

要なものの処分に頭を悩ませているということ、ひいては大量生産大量消費の社会に巻

き込まれていくことにうんざりしている人が少なくないことに気づいていないのである

。今も相変わらず誰もかれもがモノを欲しがっているのだという大前提とともに生きて

いるのである。で、おじさんといえば、世の中の経済を動かしている中枢にいる方々な

のである。なんかね、日本経済がうまくいかない理由がここに凝縮されているような気

がするのでありました。生活をしてない人が多いのかなと思う。お金を稼ぐことには長

けていても、生活をしていないと「お金の使い方」はわからない。となれば、ものの本

当の価値もわからないし、時代感覚も生まれないし、世の中とどう調和して生きていけ

ば良いのかもわからなくなってしまう。案外深刻な問題なんじゃないかと思う今日この

頃であります。稲垣 えみ子さんの最新公開記事をメールで受け取る(著者フォロー)