自分に出会うひと時。

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

バックには『幸せの黄色いリボン』が流れています。

オムロン株は爆発的な広がりを見せてもいます。

東京ではわずかな雪のおかげでけが人も続室とか…

 今年の寒さは尋常ではないけれども寝るしかないのだろうか

やがて死にゆく年齢には答える。

経済の停滞はどれほど続くか出口まで見出せそうにない。

ドル高による経済効果も未知数…

余剰人口はばくはつてきなきぼでふえにふえ

政府はこの人口予想も予想してこなかった付けは大きく受け止めなければならない。

政府は先送り政策の付けが、どこに現れるか予想してほしいもの

お金もわくほど日銀がふてわくほど印刷もできている。

信じられない政府はコロナが教えてもいる。

  みこちゃんにも幼児期は同じように経験もしてきた。

さいころは鎮守の森で、チャンバラごっこ ラムちんで一日よくも遊んだもんだ

ゴムと美 圏パはご自慢の遊びともなっている。

我が家のわずかなものを持ち寄り家での経験も楽しんだ。

雪は深々と降りその孤独を意欲路埋めたもんだ

雪をそっと救って砂糖とともに食べても来た

家でおとなしく過ごすタイプとは違ったのも竹馬の友が優しかったのだと思う。

セピア色の思い出は数限りなく心の傷口さえも埋めて余りある。

70の都市になろうとは4歳児には考えもできなかったが今老婆となって

ここにある。やがて消えていくのだろうけど予測もつかない。

職業にも恵まれ、食べるに困った経験はしてこなかった。

【家族がいてもいなくても】(717)雪降る日の自分探し (2022年01月07日)

新しい年を迎えた。

しかも、久々に雪に覆われたお正月で、冷え込み方も際立っていた。おかげで、積もっ

た雪がさらさらしている。

それを踏みしめて歩くと、キュッキュッと音がする。

その音を聞いていると、北海道生まれの私としては、気持ちが高揚し、さらに果てしな

く、どこか遠くまで歩いていきたくなる。

でも、痛めた腰が…、とか歩けば左足が痛くなる…、などと思って、部屋にこもって窓

から風に舞う雪をひたむきに眺めていた。

雪が際限もなく風に舞いながら落ちてくる光景に浸っていると、昨日のことのように遠

い昔の光景ばかりが浮かんでくる。

猛吹雪の中、冒険家になったつもりで、あえて一寸先も見えない向かい風に一人で向か

っていく、幼くも勇敢な自分の姿とか。

昔の親は、基本的に日々子供をほったらかしにしていたので、どれほど私が危険なこと

をしていたかは、つゆ知らずだった。

女の子なのに裏山の奥に自分の秘密基地を作っていたし、毎日、どれほど一人で、好き

勝手に行動していたことか。

とくに冬の危険な一人遊びに、私はいつも熱中していた。

一度、物置き小屋の屋根から積もった雪の中に飛び降りて遊んでいて、雪の吹きだまり

にすっぽり埋まってしまったこともあった。

その時のなすすべもない思いも、蘇(よみがえ)った。

たまたま、この時は、近くにいた2歳違いの兄が気づいて、救出してくれたのだが、そ

んなことまでも思い出した。

おかげで、「そうか、兄は私の命の恩人だったんだ」と、今さら気づくことにもなった

ともあれ、降りしきる雪を漫然と眺めながら、子供の頃から、やることなすことがあま

りに無謀だった自分にあきれてしまった。

子供に無頓着な親からは「素直でいい子」と言われていたけれど、実はそうではなかっ

た自分を発見した思いだ。

自然の中で暮らしているせいなのか、年齢を重ねたせいなのか、一人でいると、なにか

の拍子に思いがけない記憶がセピア色の映像を伴って不意に蘇る。

考えてみれば、晩年に至って新たな自分に出会い直しているわけで、この際、「私って

なんなの? どういう人?」としみじみ思索してみるのも悪くない。

降りしきる雪は、私にとって、新年に向けての意味深長な贈り物だったような気がする

。(ノンフィクション作家 久田恵)