童話は考える一歩化も

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

比一日と日照時間も長くなり心も晴れ晴れ!

門松も失礼しているのだから

神様は見向きもしませんよね。

母は神様をとっても大切にしていました。

 また従妹も神様を大切にします。

 それだからか何だかわかりませんが

あれだけ死を恐れていた叔母が

昼食に、畑から帰りばたんと倒れるようになくなったことはそのためかしらとも想像し

ています。

母は みこちゃんはどんなに忙しくても本の読み聞かせを

毎日してくれたことのお話は全部覚えています。

考える思考能力は乏しいけえれど

いろんな角度からの見方もあると本から学んだような気がしてもいます。

童話が「いろんな角度で考える力」を育む理由 石原 健次

』を執筆した放送作家石原健次さんが、矢部太郎さんの挿絵とともに、その理由を解

説します。きっかけは加藤浩次さんの言葉だった

放送作家になって20年以上経ちますが、最近、番組づくりで意識しているのは、物事を

一方向から見て「こうだ!」と決めつけないことです。

そのきかっけは、昔からお付き合いのある極楽とんぼ加藤浩次さんの言葉でした。

あるとき、ぼくは加藤さんに、「朝の情報番組でむずかしいことはなんですか?」と聞

いたのです。

すると加藤さんは、なにかニュースを伝えるときに、いろんな人の立場になって話すこ

とがむずかしいと答え、そして、すべてのケースに当てはまるわけではないけれど、「

正義の反対は、相手の正義」なのだと言いました。

しびれました。まさに、今の時代に必要な考え方です。

この言葉をどうにかしてみんなに伝えたい、そう考えたとき、ぼくの頭に真っ先に浮か

んだのが、童話を教科書にすることでした。

『3匹の子ブタ』『さるかに合戦』『鶴の恩返し』『泣いた赤鬼』……。

童話には、つねに正しい教訓がありますよね?

わかりやすい悪者が出てきて、最後には必ずやっつけられて、めでたしめでたし。

でも、本当に“めでたしめでたし”でいいのでしょうか?

人にはそれぞれ立場や考え方によってちがう正義があり、誰もが自分を正義だと信じて

います。

大切なのは、自分ではない誰かの立場で考えること。

その「物事をいろんな角度から考える力」が、想像力をのばし、違う考え方を理解でき

るようになり、思いやりの心を育みます。

それって、これからの世の中を生きるのに、いちばん大切な力なのでは??とぼくは思い

ました。

たとえば『3匹の子ブタ』には、オオカミの都合や正義が、いっさい話の中に出てきませ

ん。

でも、オオカミだって、生きなくてはなりません。

ひょっとしたら、群れにお腹を空かせた子どもが待っているのかもしれない。だからこ

そ、エントツから家に入ろうなんて無茶なことを考えたのかもしれません。

こうして考えると、子ブタ側の視点だけでオオカミを悪だと決めつけるのは、今の時代

にはとても危険な考え方ではないでしょうか。

自分の身を守ろうとした子ブタも正義、でも、オオカミにもまた、オオカミの正義があ

ったはずです。

こうして、『3匹の子ブタ』をちがう視点で読み解くと、正義の反対は悪ではなく、「も

う1つの正義」だと学べる話になります。

その視点を取り入れることで、誰かと意見が違ったときに、なぜそう考えるのか、どう

してそんな行動をとるのかを想像することができるようになる。

ぼくはそう思います。

『裸の王様』は“空気”の持つおそろしさを問う話

『裸の王様』は、“バカには見えない服”を「見える」と言ってしまった王様が、最後

に裸でパレードをする話です。

でも、王様が見えない服を見えると言ったのは、「バカだと思われたくなかった」から

だけでしょうか?

ぼくは、そこにもう1つ理由があったのではないかと思います。

それは、“空気”です。

最初にその服が「見える」と言ったのは大臣でした。そして、その言葉につられてほか

の家来たちもみんな「見える」と口にしました。

ぼくは、そこには同調圧力が働いていたのではないかと思います。

「みんなが見えると言っているのだから、見えるのだろう」「ここは見えると言ってお

こう」

そんなふうに、つい大勢の意見に合わせて、空気を読んでしまうことって、現代でもよ

くありますよね?

『裸の王様』は、視点を変えると、権力を持った王様でさえ逆らえない、“空気”のお

そろしさの話になります。

空気を読むことは必要なスキルでもありますが、あまり人の意見に同調しすぎてばかり

いると、自分で何も決められなくなってしまう。

大切なのは、空気を読むべきときと、自分の意見をつらぬくとき、そのタイミングを見

極める力なのだと、この童話から学ぶことができます。

『ウサギとカメ』のウサギは、ゴール前で油断して寝てしまったばかりに、コツコツ歩

き続けたカメに追い抜かれてしまいました。

では、もしウサギが寝なかったら?

カメが勝ったのは奇跡。ウサギが寝るというラッキーが起こり、ぐうぜん勝っただけで

す。

もともと身体能力に圧倒的な差があるウサギに対して、カメは本当に無謀な勝負を挑ん

でしまいました。

問題は、ウサギに「のろまなカメ」とバカにされたとき、カメが挑発に乗って勝負を挑

んでしまったことです。

そんなときは冷静になり、「足は遅いけど、泳ぐのは得意さ」と返したり、あるいは「

人をバカにするヤツのことなんか真に受けなくていい」と受け流したりしてもいいでし

ょう。

自分ができないことをバカにされるなんて経験は、人生で誰にでも起きること。

『ウサギとカメ』の話からは、そのたびにカッとなっていたら、取り返しのつかない大

惨事に巻き込まれてしまうという教訓を得ることができないでしょうか。

大切なのは、自分だけの読み解きを見つけること

こんなふうに、誰もが知っている童話を別の角度から見てみると、まったくちがうスト

ーリーが見えてきます。

そこで覚えた驚きや気づきが、「物事をいろんな角度から考える力」を育てます。

そして、何より大切なのは、自分の頭で考えて、自分だけの答えを見つけられるように

なることです。『10歳からの 考える力が育つ20の物語』を読んでくれた子どもたちが、

こんなコメントをくれました。「もう1つの正義とは、もう1つの考え方ということ。読

者は主人公の目線で本を読むのでその反対側は悪いと思うけれど、本当はその悪に見え

るキャラクターにも理由があって、すべて悪いわけではないと学んだ」(13歳・女子)

「ブルースの読み解きがすごかった。思ってもみないことだった。正義がたくさんある

なぁと思った」(9歳・女子)「考え方1つで人を深く傷つけてしまうこともある。この

本を読んだ子どもたちが、人の感じ方や考え方が違うことを理解し、1人ひとりが個性を

大切にして自分らしく生きてほしい」(15歳・その他)物事をいろんな角度から見る力

。この力は、とくに今の時代は、大人にこそ必要なものだとぼくは思います。年末年始

の休みは、ぜひ、親子でよく知る童話を読み直してみてはいかがでしょうか。「こんな

ふうにも考えられない?」と、お互いの「ちょっとちがう読み解き」を披露し合えば、

新年に向けて、頭と心をリセットするいい機会になるはずです!石原 健次さんの最新公

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