農家のご苦労…
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
おはようございます。
1時ごろより雨模様となりました。
寝具を厚めにしたため眠れなくなりました。
青い鳥に触れていることでますます眠気が消え去りました。
この作品は映画化されたことで皆の関心っ時ともなりました。
いじめ問題もぐろーずアップさせられ吃音賞の教師が思いやりの一億も担ってもいます。
秋たけなわは気温、最低気温12度予定とか…
残暑にうんざりしていた今日までとは、「困ったもんだ」です。
これからはストーブ代金が家計を圧迫します。
動きたくても手が冷たいと抑制されます。
母は、戦時中、大阪にいて結婚まで決めていましたが
父親に戦時中、食べることが一番との短絡的意見により
結婚を断念し、兄嫁の勧めにより農家に絵と次ぐことになり
農作業もしたこともなく、働きながらの農作業は大変な思いを 過ごす中
姑はいなかったけれど
それなりに苦労続きでした。
貧乏など体験したこともありませんでした。
でも母の背中をいつも見つめて育ったことは
人間としてのたくましさが持ち合わせていることに
これ以上の官舎はありません。貧乏にも強く 我慢は当たり前のように育ったことで我
慢
性格と優しさに感謝あるのみです。
きれいづくしゃのの性格から、畑には、草も生えていませんでした。
それはそれは多忙を極めたことでしょう。
あの世において、大好きだった人とともに幸せに過ごしてほしいと
妄想するのみです。
【朝晴れエッセー】秋に想う・10月16日 (2021年10月16日)
秋になると必ず思い出す姑(しゅうとめ)の言葉。
その頃、農業と全く縁のない私は、公務員の夫の農繁休暇に合わせ、舅(しゅうと)が戦
病死した後に本家より3反ほど譲られた田を、一から習った米作りをしていた姑の手伝
いに田舎へ出かけていました。
生まれて初めて野良着に身を固め、使ったことのない鎌で稲を刈り、束ね、リヤカーに
山積みし、夫の引く後を押し実家の納屋へ何往復も繰り返し。疲れて体中がチクチクヒ
リヒリ…。
大学生だった夫の弟2人は全く手伝わず、田舎の長男の嫁の立場が身に染みて、重く重
く感じ、何も考えられないほどの数日でした。
しばらくして夫の給料日の翌日、当時の流行歌の文句通り、13800円ほどの中から
5千円を弟たちの学費の足しにと届けに行ったときのこと。
「アンタが来てくれたお陰で、今年はウチが米作り始めて30年、最高の収穫量だった
」と、姑が私に背を向け、仏壇に手を合わせ語った短い言葉。
複雑な心持ちで、帰りの電車の窓に流れ去る田舎から都会への収穫の秋の景色を一人眺
めながら、わけのわからない熱い涙が流れた。
この時季になると、今は亡き夫と義母のことを懐かしく想う。きっと今では大好きだっ
た人と結婚しているのではと妄想しています。