「だいじょうぶ」
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
おはようございます。
青空いっぱいの澄み切った空気は、今日も残暑の厳しさを予報しています。
今日も役割を 終えた田園はがらんとしたグレイゾーンで小鳥のさえずりの場所です。
新型コロナから、少しづつ日常もも動こうとしています。
おばあちゃんの優しい「大丈夫」の言葉はどれほど
孫の心を和らげるかしれない。
そういった相関関係がそこここで生まれることが
社会においても目標かもしれない…
【朝晴れエッセー】だいじょうぶ・10月10日
近くに住んでいる3人の孫たちが時々遊びに来る。長男の宿題アドバイザー、長女の子分役、次男の子守役、そして炊事方と、オバアチャンはとっても忙しい。
先日、食事をしながら長男がしんみりと語りはじめた。「おばあちゃん、跳び箱の前転、どうしたらうまくできるんかなあ。ゆっくり走ったら足が止まるし、スピード出したら跳び箱にぶつかって痛いし…」
このあいだ来たときは近所の公園で逆上がりの練習を一生懸命にしていた。努力はしているようなのだけど、どうも体育は苦手らしい。
私も体育はきらいだった。暗くなるまでお寺の境内にあった鉄棒で逆上がりの練習、家では布団の上で前回りの練習、ミシンの長椅子を使って跳び箱の練習…。
それでも、学校で「速く走って」「高く踏み切って」という先生の言葉を聞いても、跳び箱を前にすると、前転したら体が吹っ飛んで世界がひっくりかえってしまいそうで、怖くてしかたなかった。
結局見かねた友達が跳び箱の両側に立って体をささえてくれて、なんとか回転できたことを覚えている。
そんなことを思い出しながら、「おばあちゃんも、なかなか先生の言うようにはできんかった。何回もやったけど、怖かったわ。でもがんばるということが大事なんじゃないかな」と言うと、「よかった! ぼくの今の気持ちを理解してくれる人がいて」と大人びた言葉を返してきた。
苦手なことも嫌なことも、少しずつ乗りこえて大きくおなり。優しく思いやりのある大人に近づくために、無駄ではないよ。だいじょうぶ。おばあちゃんの役割もりもまだまだある。