サイレントおじいちゃん。
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
おはようございます。
朝市で深呼吸できる健康の幸せにありがとう…
バックには、「野崎参り」が流れています。」 昭和の激動の時代の直立不動にその思いを感じたものです。くすっとできる日はないけれど
メンタルの健康は何よりです。
みこちゃんは家族仲良く暮らせることが何よりと思っています。
じいちゃんばあちゃん家族はそれだけでほっこりさせられます。
年寄家族の子供はすぐにわかります。
ほのかな思いやりを感じるからです。
【朝晴れエッセー】サイレントおじいちゃん・9月29日
社会人になってから、無口さを指摘されることが増えた。「静かすぎてつまらないなぁ
」と上司にからかわれていると、毎度のごとく亡き祖父を思い出す。
祖父は無口な人だった。ボキャブラリーの90%を「そうか」と「よっこいしょ」が占
め、あまりの無口さに親戚一同から「サイレントおじいちゃん」という異名をつけられ
ていた。
小学校に上がる前は、そんな祖父と一緒にいるのが幼いながらも気まずくて、祖父母の
家に行く腰が重かったのをよく覚えている。
そんな祖父と唯一間が持ったのが、サッカーをするときだった。向かい合ってパスする
だけなのだが、延々と、無言で、何時間もひたすら蹴る。
誰にも支配されない約束された静寂が心地よく、毎回暗くなるまで公園にいた。
それが原因で夕飯に遅れると決まって祖母の説教が始まるのだが、祖父はもちろんサイ
レントを決め込む。その隣で真似をして、一緒に黙りこくっているのが毎回おかしくて
仕方がなかった。
そんな幼少期を過ごしたからか、私も祖父同様に無口な大人になった。
決して社会で有用ではないけれど、パス交換をして心を通わせ、2人で紡ぎ育んだこの
性格に、僅かだが愛着は持っている。
先日、墓参りの際に墓前で一杯やってきたのだが、祖父が愛飲していた日本酒を注いで
いると、急にとても懐かしい感覚に襲われた。
そよ風と虫の音の奥に潜む、身に覚えのある心地よい静寂。祖父と私の間に、言葉はい
らなかった。