布おしめの依頼にびっくり。

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

楚々と咲くしゅうめいぎくにはハデさははありませんが

その存在感にはどこか気品をたたえています。

大好きだった山ホトトギス、気が付けば、すっぽり抜かれて見る影もない

認知じいちゃんの仕業に許せなくて大声で怒鳴りつけていた。

あとで認知がさせていた行為に「じいちゃんごめん」と背中をやさしくさすっていた。

そんな日も懐かしい思い出となっています。

バックにはトンボがやさしさを誘います。

コロナは若年層にと波及を強めています。

10代の死者も公表され父系を驚かさせています。

重症者がコロナの敬風を変えようとしています。

どこか涼しげな空気がほっとさせてくれます。

 ピーマンの黒もあるという。

まだ食したことはありません。

ピオーネの改良版を頂きおいしく完食

一箱5000円くらいはするのではと想像しました。

幼稚園で布おしめの依頼があったとは驚きですが

個人が丹念にぬっわなくても店頭販売されていることにむしろ

驚かされもしました。

手間も取り大変トンは思いますが

このような幼稚園に感動もしました。

優しく包み込む布おしめはどれほど素晴らしいかと思えたものです。

【朝晴れエッセー】布おむつ・9月1日

初孫が、1歳を前に保育園に入園することになった。運よく近くの町立保育園に入るこ

とが決まって喜んでいた矢先、娘から悲鳴に近い電話がかかってきた。

「お母さん、保育園、布おむつ用意せなあかんのやって」「え、この時代に布おむつっ

て!」。私も驚いて叫んでいた。

世の中すっかり紙おむつ時代。それが保育園で、布おむつ育児を継続されているとは。

こりゃ洗濯する娘は大変だ、と思いながらもどこか温かい気持ちになった。

28年前、少しずつ大きくなるお腹を抱えて私はせっせとおむつを縫っていた。赤ちゃ

んの肌に優しいから手縫いがいいと教えられ、慣れない針を持って1枚1枚。

実家に布を持っていくと、亡くなった母の代わりに父が手伝ってくれた。縁側のいつも

の椅子に座って器用に何枚も縫ってくれた。義姉たちも応援してくれた。おむつはみん

なで縫うものよと言いながら。こうして縫い上がった50枚のおむつを洗濯し、籐の箱

にしまって出産の日を迎えた。

当時、紙おむつは布おむつを席巻し始めていた。しかし私は布おむつ育児を選んだ。晴

れた日に、たこの足型洗濯干しがくるくる回って、真っ白いおむつが風にはためく光景

が大好きだった。そしてふかふかに乾いたおむつを赤ちゃんのおしりに当ててやるのも

時代の流れの中、私はそんなことをすっかり忘れていた。切り捨ててきた面倒なものの

中に温かい思い出が隠れていた。

数日後、娘に頼まれておむつを買いに行った。お店の片隅にあった。縫い上がった布お

むつ。あ、縫わなくていいんや、と新米ばあばはちょっとほっとした。子供に思いを寄

せつつ人針筒縫い進める布おしめの味わいもあろうと思うけれど…