自然災害の恐怖

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

台地は雨を たっぷり含んだ台地がこれでもかと降り続く大地を

恐怖のもとに送り続ける様に手をなすすべもありません。

 あの真備町の災害から3年たちますが 避難勧告は2点3点都市

そのアナウンスも雨に蹴散らされ、悲鳴にも似た

予報に恐れしかありませんでした。

 そのような中今一度その豪雨が迫ろうとしています。

もうこのままいき時にしたいとは思いますが

お迎えが来れば、避難しなければと覚悟もしています。

日記に記した妻の「アッケない死」 被災後に体調悪化

 【岡山】西日本豪雨による県内の死者95人のうち、34人は災害関連死だ。この1年も新

たに6人が認定された。被災後の心身の負担などで亡くなる人は少なくない。

 真備町箭田の秋山忠明さん(85)は発災5カ月後に妻の保枝さん(当時79)を亡くし、

2019年6月に関連死認定された。

 脳梗塞(こうそく)や両脚の骨折を抱えていた保枝さんは18年4月、治療を終えて退院

。7月の発災直前には、高台の自宅までシルバーカーを押して一人で上がれるほど体力は

戻っていた。

 だが豪雨の影響で自宅が断水し、車で30分以上離れた長女の家に避難。約20日後に帰

宅したが、環境の急変からか徐々に体調を崩していった。

 8月には心不全などで2度救急搬送され、転院を繰り返した。その後の入院生活を忠明

さんは日記に書き留め続けた。

 9月8日 保枝、吐き気を一日中言う

 11月29日 ほとんど食べずに寝るのみ。終息か?

 12月2日夕、いつものように見舞いに来た忠明さんが帰ろうとすると、保枝さんが「も

う帰るん?」と珍しく寂しがった。「また明日来るけえ、元気になっとけよ」と返した

。これが最後の会話となった。

 12月3日 2時、呼吸停止。2:37、医師の死亡宣告。アッケない死

 保枝さんに寄り添い、最期をみとった。

 「保枝の病気や骨折が順調に治りかけていたときに水害が起きた」。国や自治体がも

っと治水に力を入れていれば、ここまで被害は広がらず、妻の犠牲もなかったのでは―

―。そんな思いは尽きない。

 保枝さんが元気だった頃、旅先で保枝さんの写真を何枚も撮った。「写真の中の保枝

はその時のまま。こっちだけが年を取っていく」。3年の月日を感じるたびに、もっと一

緒に過ごせたのでは、と思う。(中村建太)