人の評価は360度!
ご機嫌いかがでしょうか。 視界ゼロのみこばあちゃんです。
おはようございます。
今年は、暖房代に支出が拡大したシーズンでもありました。
これも身の程知らずといいようがありません
ビットコインで億万人になった人の生活は質素と言う
物欲を幸せと感じないライフポリシーにびっくり。だけれど、このお金の使い道がない
とも語る。
億万人にならねばわからない思考回路化も…
人の見方も360度の見方があるともいえるのでは…
小田信長といえばその性格「泣かぬなら、泣かせて見せようホトトギス」と
形用されますようにも冷酷無比が知られていますが
その反面家来からの信望も厚かったとか…
美濃と近江の国境近く、現在の関ヶ原町山中に「山中の猿」と呼ばれている体に障害の
ある男が街道沿いで乞食として暮らしていました。
当時、岐阜と京都を頻繁に行き来していた信長は、障害があるが故に普通の生活を送る
ことができずにいるこの男を度々見かけては哀れに思っていたようです。
1575年上洛の途中、山中村の人々を呼び集めた信長は、木綿20反を「山中の猿」に与え
「これを金に換えて、この者に小屋を建ててやれ。それから、この者が飢えないように
毎年麦や米を施してくれれば、自分はとても嬉しい」と村人たちに頼みました。
その信長の行動に本人だけではなく、その場にいた人々は皆涙を流したと伝わっていま
す。
それに加え、多くの文献の中に信長が庶民や武士などの身分に関わらず交流があったこ
とも書かれています。
元々、信長は母親が弟ばかりを溺愛したせいか「尾張の大うつけ」と呼ばれるほどで、
幼いころから奇行や奇抜な行動が多く、町の若者と遊んでいたようです。身分にはこだ
わらない性格だったのでしょう。
父信秀は室町から戦国時代にと先を見据えた教育に
長所を伸ばしコンプレックスをなくする教育にシフトし
信長が望むことには徹底的に教育を 惜しまなかったとか…
織田信長を生んだ父・信秀の独創的な教育方針 加来 耕三