昭和のがん患者。

  ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

この週末には、また寒波の襲来が予報されています。

乱高下を繰り返しながら来る春ごよみを待ちたいものです。

 国会が開かれていますが、これが実にむなしい響きでしかない答弁に

やるせない思いを抱いているのはみこちゃんだけでもあるまい。

 わが家系は100%の癌家系。 国民二人に一人と言われていますが

この日でもなく癌を視野に暮らす環境でもあります。

痛みに耐えがたいみこちゃん

全身、針山に乗っているようなと形容した医者もあるくらいの痛みに

耐えられる自身などまるでない…

 がんを 克服した人の言葉はあまりにも重い。

癌と知ったところで、この年齢

治療よりも安らかなる旅立ちをひたすら願うのみです。

 見送った血縁者はみながんの苦痛の先の旅立ちの経験者ばかりです。

 産経寄りの引用文です。

がんステージ4だった笠井アナ「私は昭和の患者だった」

 テレビ局を退社してフリーに転身した一昨年秋、血液のがん・悪性リンパ腫のステー

ジ4と告げられたアナウンサーの笠井信輔さん(57)。新型コロナウイルスの感染拡大に

翻弄(ほんろう)されながらも、治療が順調に進み、現在は仕事を再開しています。が

んを経験し「足し算の縁」に気付いたと語る笠井さんに、体験を伺いました。

悪性リンパ腫はどんな病気? 笠井アナ公表、年間3万人

 ――悪性リンパ腫と告知されたときの心境は。

 診断がつきにくい病気なんです。一昨年の春すぎからたまに体調がおかしく、やがて

頻尿となり、排尿時には激痛が走るようになりました。腰も肩も痛くなって、夜にトイ

レに立つのも厳しい。泌尿器科を2度、受診したのですが、「前立腺肥大、がんではない

」と言われました。病名が確定するまで、4カ月もかかりました。

 この病気の場合、そういう人は少なくないと、後から知りました。

かさい・しんすけ 1963年、東京生まれ。フジテレビのアナウンサーとして「とくダネ

!」などの情報番組を担当。フリー転身後、56歳だった2019年秋、悪性リンパ腫がわか

り、12月に入院。20年4月に退院し、著書「生きる力 引き算の縁と足し算の縁」(KADO

KAWA)で体験をつづった。

 ――体はかなりつらい状態だったそうですね。

 症状は悪化するばかりでした。あるときトイレが間に合わず、屈辱ですがオムツをす

ることにしました。痛みで起き上がるのが大変なので、介護ベッドを買うほどになり、

信号が赤になりそうだから走ろうと思っても、できなくなっていました。

 日本人の2人に1人はがんにかかると知っていましたよ。でも、自分は無縁と信じ切っ

ていたんです。だから、がんを告げられたときはすごいショック。備えておくべきでし

た。

 しかも全身に転移し、ステージ4なんて。死ぬのか、とうろたえました。

 ――情報はどうやって集めましたか。

拡大する取材中、涙ぐむ笠井信輔さん=西畑志朗撮影

妻は「間違っているんじゃないの?」

 妻の強い勧めでこの病気に詳しい医師を探し、セカンドオピニオンを依頼しました。2

度、「がんではない」と言われ、4カ月も判明しなかった末の診断ですから、「本当にそ

うなの? 間違っているんじゃないの?」と妻が言うのも分かります。

 ただ、私としては親身になってくれた先生(医師)に「別の病院で診てもらいたい」

と言うなんて、申し訳ない、言いづらいという気持ちでした。体も相当つらかった。「

この病院でいいんじゃない」とも思いましたが、先生は嫌な顔をするどころか、データ

をすべてセカンドオピニオンをお願いする先生に送ると言ってくれました。もう、そう

いう時代なんですよ。私が「昭和の患者」だったのでしょう。

 ネットで情報を調べるのは少しだけにしました。ネットは、不正確だったり、実はビ

ジネス、金もうけとつながっていたりする情報も多いと分かっていましたから。飛びつ

くのは危険ですし、読んでいるうちに気持ちがすさみ、心が病みそうなものもある。

 医療者や医療機関が最新の情報を説明していて、ビジネスとつながっていないサイト

ならば信頼できますが、とにかく何でもネットで調べる時代だからこそ、気をつけない

と。

 一方、経験者の話はとても参考になりました。治療や薬は日進月歩で、少し前の治療

でさえ古くなっていきますから、うのみはダメですが。

 ――がんが分かったのは、転身直後。さらに入院中にコロナ感染が拡大しました。

SNS・ブログで自分をさらけ出したら…

 入院は2019年12月で、フリーになって2カ月後。バラエティー番組にも出られるように

なった矢先ですから、なんて運が悪いんだと思い、キャンセルした仕事を数えて落ち込

みました。

 ただ、1回目の抗がん剤を投与したあと、すぐに排尿障害も痛みも良くなり、びっくり

しました。あんなに尿が出なくて苦しかったのに、あんなに全身が痛かったのに、あっ

という間に楽になった。薬の進歩はすごいものだと身をもって知りました。

 その後、新型コロナの感染が広がり、だれも見舞いに来られなくなり、一時は家族の

面会も制限されました。

 そんな中、励まされたのが、SNSでのやりとりやブログへの反応でした。苦しさやつら

さなど、無様なこともさらけ出して書いたら、「私も同じでした」「後に楽しい日々が

待っています」など、同じ病気の経験者や家族から、多い日は1千を超えるコメントをい

ただいたんです。ありがたいなあと思いながら、毎日読んでいました。

 実際、治療はきつかった。薬の副作用のだるさや食欲不振に悩まされ、髪の毛も眉毛

も抜けました。だけど、どん底でも光はあり、新たな出会いが必ずあるものだとつくづ

く思いました。がんが良かったとは言えない。でも「引き算の縁」だけでなく「足し算

の縁」もあるんですよ。

 ――ご家族との関係も変わったとか。

記事の後半で笠井さんは、がん治療をきっかけに変化した家族との距離感や、コロナ禍

でがん患者として生きる「恐怖」についても語ります。文末には、笠井さんご夫妻が登

壇するイベントの告知もあります。

 猛烈に働き、ずっと仕事ばかり…