三島由紀夫、割腹自殺から50年

   ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

今日も過ごしよい一日になりそう♪

 このような良き日においても、秋空の下では、生まれてこの方、生きるための命の治療に終始している家族のブログに接するたびに

胸詰まる思いがいたします。

そのような中でも、家族5人、病院から退院することもなく治療に専念している子供を真ん中に据え

家族が協力しながら明るく大切に過ごされている様子に

励まされてもいます。

きっときっと素晴らしい人が社会にと旅立つ日が待たれてなりません。

当地では秋祭りも中止され、子供神輿も残念。

 甥っ子の子供が、3歳児から備中神楽のけいこを重ね

今では正一として、子供神楽をしっかりえんずることができるようになり

楽しみにもしていた神楽がほうのうできなくなり残念無念。

 作家でもある三島由紀夫が自殺を遂げてから

早50年になろうとしていますが、三島の自殺の原因が図れ知れなくて「なぜに」の疑問

符ばかり…、三島作品からそれを探ろうとしても

わからないことだらけ…

 三島作品は、案外評価には乏しかった作品ではなかったろうか

自殺により、社会に「何をどのように訴えたかったのだろうか

 なぜにオリンピックでなく、この高度成長期であったのだろうか…?

政治的な思想背景が込められていたのであろうか?

高度成長期の真っただ中の割腹自殺にその意味を

問うことは困難なのかもしれない。

三島の空気管は社会の中で富勇氏続けているのではなかろうか

陸上自衛隊東部方面総監部に「楯の会」の一部会員とともに乱入した際、三島由紀夫

同会の会員に宛てた「遺書」(時事)

この事実は何を意味するのだろうか。1960年代、日本は高度経済成長を遂げ、三島も映

画に出たり、雑誌グラビアを賑(にぎ)わせたりして時代を謳歌(おうか)しているよ

うに見えた。しかし、それは見かけ上のことである。むしろ、日本社会が大衆化すると

ともに価値観が画一化し、自由なように見えて実は誰もが同じような生活感情を持つよ

うになる。三島は息が詰まる思いだった。小説家としても、1956年発表の『金閣寺』以

降、『鏡子の家』(1959)も『宴のあと』(1960)も、十分な評価を得られなかった。

老人となった繁邦が愚行を繰り返す『暁の寺』や贋の転生者が跋扈(ばっこ)する第4巻

のプランの暗い色調は、三島が見抜いた時代の実相と、そこに生きることの苦しさを正

確に反映している。

それでも、最後に真の転生者に巡り合って、繁邦が幸福な死を迎えるという結末案は、

三島がまだ生の回復可能性を信じていたことを示している。そうだとすれば、結末の逆

転は、三島がその可能性を見限ったことを意味するだろう。『豊饒の海』第4巻は、あり

もしない救済のヴィジョンを提示するのではなく、このおぞましい現実を、臆せずに描

き切るべきだ。三島はそう思ったに違いない。では、三島にそう決断させたきっかけは

何だろう。それは死の理由を問うことに等しく、幾つもの論点があって、いまここで論

じ切ることはできないが、見過ごしてしまいがちな一つの歴史的事実に触れておこう。

それは、1970年3月15日から大阪で日本万国博覧会が開催されたことだ。万博は、1964年

東京オリンピックとともに日本の戦後復興の到達点であった。しかし、三島に言わせ

れば、それこそ「虚飾」にほかならなかった。そんな偽りの明るいヴィジョンなど、引

き剥がしてしまわなければならない。ここに『天人五衰』のモチーフがあり、その同じ

問題意識が、死をもって時代を諫(いさ)める行為の原点を形作っている。死と作品の

完成は、三島にとって一体の出来事だったのである。

21世紀の日本の現実を予見

三島が死んだ1970年はまだ高度経済成長期であり、明るいヴィジョンをよもや偽りとは

思わなかった同時代の読者は、三島の切実な問題意識を理解しようとしなかった。切腹

は訳の分からぬ時代錯誤の愚行であり、『天人五衰』の虚無的な結末は創作力の枯渇と

しか思えなかったのだ。それから半世紀。私たちを取り巻く環境は激変した。オウム真

理教事件、東日本大震災津波原発事故、そしてコロナ禍。

これら相次ぐ惨事によって、日本の高度成長と経済復興は、いや、もっと遡(さかのぼ

)って日本の近代化の歩みそれ自体が、実は虚妄の構築物だったのではないかという疑

義が、日ましに深まってきた。そんな21世紀の現実を、『天人五衰』は予見していたの

ではないか。私にはそのように思われるのである。

芸術家を「炭鉱のカナリア」に喩(たと)えたのは、米国の作家カート・ヴァネガット

(1922?2007)だった。炭鉱夫は坑道に入る際、カナリアを入れた籠を携えるという。坑

道の空気が悪化した場合、カナリアが人間に先立ってその異常を知らせてくれるからだ

。偉大な作家は時代の空気を誰よりも先に鋭敏に感じ取り、社会へ警鐘を鳴らす役割が

ある。半世紀前の読者は三島が死を賭して与えてくれたメッセージに無頓着だったが、

行き場のない虚無感に苛(さいな)まれた私たち現代人は、彼が伝えようとしたことを

ダイレクトに受け止められるのではないだろうか。

【書評】『三島由紀夫事件 50年目の証言 警察と自衛隊は何を知っていたか』

https://www.sankei.com/life/news/201011/lif2010110010-n1.html