ホロコースト、命のビザを切り続けた杉原さん。
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
おはようございます。
気のせいなのか、セミの大合唱に交じって
時おり聞こえる「すいーちょ スイーチョ」が
聞こえたようなそうでないような不確かな感覚
とはいっても真夏の太陽いっぱい
この暑さとマスクしよう野中、熱中症がニュースにあまり取り上げられないことに
どこかほっとしています。
みこちゃんは元気で食欲もあり、草取りは4時から5時間程度
蚊の襲撃にはお手上げ…
幼い時から、ホロコーストには関心を持ち続けてもいました。
そのような意味合いからも戦争だけには正義などありえないと思えています。
人が人として生を受け、人により冊立される光景は
あまりにも不条理が過ぎる思いでやり切れません。
安倍総理の長崎におけるいつもながらのあいさつ文に心を奪われることなど全くござ
いません。
戦火にと散りゆかれた御霊にどのような言葉が用意されているのかと想像したりもし
ます。
あってはならない大量殺害…
その最たるものというべきホロコースト
当時外交官として赴任していた杉原さんは
国の反対を押し切って、多くの命のビザを切り続け
逃げ惑う多くのユダヤ人を救い、その挙句外交官としての職務を奪われ
追われたのちは商社マンとして、ユダヤ人からの援助を受け80歳を超える人生を全うし
座右の銘は、「人のためにあり続けたい」とのこと。
【勇気の系譜】杉原千畝さん 命のビザ発給 貫いた信念
https://www.sankei.com/life/news/200810/lif2008100002-n1.html
ユダヤ人として生まれたばかりに起きてしまった集団ガス殺戮
拭い去れないほどの歴史の痛みを感じないわけにはいきません。
ホロコーストとは
ワルシャワゲットーの通りに座って物を食べる痩せ衰えた子供。
1933年のヨーロッパにおけるユダヤ人の人口は900万人を超えていました。 そのほとん
どは第二次世界大戦中にナチスドイツが占領した、あるいは影響を与えた国に住んでい
ました。 1945年までにドイツ軍とその協力者は、ヨーロッパのユダヤ人を殺害するとい
うナチスの政策「最終的解決」の一環として、ヨーロッパ在住ユダヤ人の3人に2人を殺
害したのです。 ドイツにとって最大の敵と見なされたユダヤ人がナチスの人種差別の主
な犠牲者でしたが、その他の犠牲者には約20万人のロマ族(ジプシー)などがいました
。 また、施設に収容されていた少なくとも20万人の精神障害者や身体障害者(ほとんど
がドイツ人)が、安楽死プログラムの名のもとに殺害されました。
ナチスの圧政がヨーロッパ全土に広がるにつれて、ドイツ軍とその協力者による迫害や
殺害の犠牲となったのは何百万人にも及びました。 200万人から300万人ものソビエト人
捕虜が殺害され、または飢餓、病気、放置、虐待などで死亡しました。 ドイツ軍は非ユ
ダヤ系ポーランド人の知識層も殺害の対象とし、数百万人のポーランド市民やソビエト
市民をドイツや占領下ポーランドでの強制労働に送り込みました。これらの人々は悲惨
な条件で働かされ、しばしば死に至りました。ナチス政権の初期から、ドイツ当局は同
性愛者やナチスの社会規範に一致しない行動を取る人々を迫害していました。 ドイツの
警察官は数千人に及ぶ政治的敵対者(共産主義者、社会主義者、労働組合員など)や宗
教的異分子(エホバの証人など)を検挙しました。 これらの多くは監禁と虐待のため死
亡しました。
「最終的解決」の実施
ナチス政権の初期に、政治的、思想的な敵対者と、敵対者になりうる者を拘留するため
の強制収容所が設立されました。 戦争勃発前の数年間、親衛隊と警察当局はユダヤ人や
ロマ族、その他の民族的および人種的な嫌悪の対象者をこれらの収容所に監禁しました
。 ユダヤ人を1か所に集めて監視し、後の移送を容易にするために、戦時中にドイツ軍
とその協力者はゲットー、通過収容所、強制労働収容所を建設しました。 また、ドイツ
当局は非ユダヤ系民族を搾取するための強制労働収容所を大ドイツ帝国やドイツ占領下
の領土に多数建設しました。
1941年6月のソ連進攻後には、アインザッツグルッペンと呼ばれる移動虐殺部隊、そして
後には武装した治安警察部隊がドイツ軍前線の後に続いて移動し、ユダヤ人、ロマ族、
ソ連当局者および共産党員に対する大量殺戮作戦を実行しました。 ドイツの親衛隊と警
察部隊はドイツ国防軍と武装親衛隊の協力を受け、100万人以上のユダヤ人男性、女性、
子供を殺害し、その他にも数十万人を殺害したのです。 1941年から1944年にかけて、ナ
チスドイツ当局は数百万人のユダヤ人をドイツ、占領地区、多くの枢軸国からゲットー
や絶滅収容所に移送し、そこで特別に開発されたガス施設にて彼らを殺害しました。