定年後、「こんなはずじゃー」はいつだってある!

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

暦の上では[薄い]雪解けも始まる時期とは

当地の気温はマイナス気温 現役時代は、かくしゃくと求められる職場に

 奮起していても定年を迎え、リタイヤーしたなら

ただの名刺を失った人でしかない。

自分から働きかけない限り

人として求められることはあまりなく

自暴自棄は自然の流れなのかもしれない。

 定年後は、かつての名刺はリセットしながら

新たなルセフティーネットの構築は積極的でありたいもの!

 わが義理の姉は県の職員を定年退職後も

74歳の今なお、何彼と障碍者施設で働いています。

まぶしいほどの時の旬を生き切ってる感があります。

 シルバーの植木の方々も80越えの人が

少々の雨でも、合羽を着て

かみ合わない会話にも爆笑が飛び交うほど

楽しい時間と働く元気をいただいてもおられます。

 この限界集落にもtbsを定年退職されたお方が

限界集落に新築され2年前に埼玉より

娘さんの嫁ぎ先近くに引っ越ししてこられました。

 来られてからは精力的に田舎地区になじむよう

小学生の見守りボランティア

毎日早朝より、竹林に入りチェーンソーの爆音をヒビカセ

思い切り田舎暮らしを満喫してもおられます。

奥様は陶芸生活を楽しみネット販売されています。

 黄金の健康年齢どう生きるかはわがおもうがまま!

 小さな目標でよい

何か目標をもって過ごすことが我が元気の起爆剤

 統治の社会福祉協議会が事務局を担い

ボランティアの募集と利用者との橋渡しをしてくださっています。

   定年後、こんなはずじゃーなかったのに・・・!

定年時の貯蓄額は約3000万円あったのに、現在ほとんどないのは娘にカネをかけすぎた

からです。演劇に熱中する長女には、東京での家賃10万円と生活費を出しました。大学

卒業後も定職につかず、『東京で就職活動がしたい』という次女には、交通費や宿泊費

を出し続けました。

なのに娘たちは『今月も5万しか稼げなかったから助けて』と、いまだに小遣いをせびり

ます。60歳過ぎてはじめてパートに出た妻は、『この年で働くなんて』とグチってばか

りで、料理に手をかけてくれません。情けない話なのですが、デパ地下の試食品めぐり

をしています。店内を何周も回り、いろんなものを食べて家に帰るんです。これならお

カネを節約し、有り余る時間もつぶせますから。

■夢の田舎暮らしだったが、通院費と獣害でアウト(62歳・元食品加工会社)

定年後の夢だった田舎暮らしを実践するため、退職金2100万円から1500万円を使って、

房総半島のとある町に一戸建て付き320坪の土地を購入しました。年金は月23万円ほどあ

り、57歳の妻とふたりで暮らすには、何の不自由もないと思ったのが大間違いでした。

私たちが移り住んだ地域は集落の身内意識が強く、我々新参者は相手にしてもらえない

どころか無視までされてしまいます。おかげで妻は移住3ヵ月で鬱病を発症し、治療費と

通院に使う車のガソリン代が月7万円もかかりました。田舎なので、近所に病院がないん

ですよ。

完全自給を目指していた家庭菜園でしたが、耕耘機や草刈り機などに20万以上費やした

のに、収穫間際の野菜がタヌキやハクビシンに食べられてしまい、さすがに意気消沈し

ました。

大学生の娘の留学費用もあり、家計は苦しくなる一方。夫婦の楽しみは図書館で本を読

むことくらいです。

■退職金で買った新居で、「草むしりのプロ」を自称(64歳・元損保会社)

60歳で定年を迎えたとき、法人部門の部長を務めていました。継続雇用制度で会社にと

どまったものの、書類のチェックなど若いOLのような仕事にとても耐えられず、たった2

年でやめました。退職金約3000万円のほとんどをつぎこみ、田舎に新居を購入し、あと

は年金で生活費をやりくりしています。

、歩行者や自転車に乗った人からは「邪魔だ」という目線や言葉をぶつけられる。「社

会から排除されるべき存在なのか」と、すさまじい孤独感に襲われた。

「孤独は美徳」「孤独を楽しめ」といったあまたの孤独万歳本も手に取ってみたが、ど

の著者も、結局はつねに取り巻きに囲まれている有名人。「地獄のような孤独の本当の

苦しみを味わったことのない人ばかり」。慰めにはならなかった。

家以外の「居場所」を探そうとした

家には同じ教師をしていた年下の妻がいて、退職後は専業主夫として、料理、洗濯、掃

除をこなしてきた。優しい妻がいるだけマシなのかもしれないが、それでも、家以外の

「居場所」がないことが寂しく、むなしいのだ。せっかくの教師の経験を活かしたいと

、ボランティアの口を探したが、個別に学校などに申し入れても、受け入れ先は見つか

らない。

地域のつながりを作ろうと、マンションの住人にあいさつしても、露骨に不機嫌な顔を

されることも多い。マンションに、障害のある子どもを持った母親がいた。障碍者の教

育にも携わった経験もあることから、「何かお手伝いすることがあったら言ってくださ

いね」と声を掛けたら、マンションの管理人から、知らない住人には声をかけないでほ

しいと注意された。

コンビニで、女性店員にサービスを褒めたら、露骨に嫌な顔をされた。ピアノを習いた

いと近所で教師を探したが、男性を家に上げるのは抵抗があると断られた。

どんなに歩み寄っても、拒絶される。八方ふさがりの状況で、ただただ、虚無感だけが

募っていった。そんな漆黒の暗闇の中で、最近、一筋の光を見いだした。

ネット上で見つけたある曲に惹かれ、その歌い手に連絡をとってみたところ、80代のそ

の男性が直接歌を教えてくれるというのだ。1週間に1回通い、思いっきり声を出して歌

う。「生きるっていいね」などと声に出すと、活力がみなぎってくるのを感じる。「歌

の力はすばらしい」。もっと練習して、高齢者施設などを回って、人を励ましたり元気

づけられたらいいな、そんな夢も持ち始めた。

今のもう1つの生きがいは、かつての教え子と話すことだ。いまだに慕って連絡をくれ、

相談にのることがある。ブラックな職場に勤め、疲弊しきった若者の話などにじっくり

と耳を傾ける。「何か小さいことでも役に立つという感覚が生きがいになる」と感じる

。腰も少しずつよくなってきた。まだ60代。できれば、誰かの何かの助けになりたい。

何らかの手立てはないものかと思いをめぐらせている。

人生100年時代だからこそ支え合える社会に

孤独は「喪失」と深い関係性を持つと言われている。若さ、仕事、パートナー、健康…

…。老若男女を問わず、誰にでも訪れる「危機」だから、海外では、多くの人が自分の

問題として捉え、高い関心を集めている。

もちろん、すべての孤独が問題なのではないし、時として、孤独に向き合い、折り合う

勇気も求められるだろう。しかし、もし、その孤独が本当に胸をえぐるような痛みをも

たらすものであり、それが慢性化してしまうリスクを抱えた場合、個人として忍従を強

いるだけではなく、社会として、何らかの対策の方向性を見いだしていく必要があるの

ではないか。

地域や家族といったこれまでのセーフティーネットが崩壊し、これからは多くの人が「

一人」で生きていく時代になる。一人で生きる強さを身に付けながらも、いざという時

に支え合い、誰か頼れる人がいるという安心感を担保していたいものだ。

例えば、アメリカでは退職後に、自分の特性や特技に合わせて、ボランティア先をマッ

チングしてくれるサービスや、退職者たちの活動の受け皿となるNGONPOが星の数ほど

存在する。

イギリスでは国を挙げて、高齢者や若者向けの孤独対策に取り組んでいる。一方で、つ

ながりの社会資本が極めて脆弱な日本では、このままいけば、誰もが洞穴に閉じこもる

「一億総孤独」社会になりかねない。人生100年時代に向けて、支え合いのあり方を真剣

に議論すべき時ではないだろうか。

「寄り添う人がいるなら、求めるものがあるなら、無限にうれしく思う。それこそ共生

」。中橋さんは最近、なじみの曲にこんな詩をつけて歌っている。「共に生きる」。そ

んな当たり前の価値観が過去のものとなるディストピアの世界は、実はそう遠くないの

かもしれない。