給食の思い出♪
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
おはようございます。
夜明けはとっても重い空気で、暗いものでした。
ニュースにより
公的年金の2020年度の支給額が、今年度より0・2%増えることが決まった。物価や賃金が上がったためで、増額は2年連続。ただ、少子高齢化にあわせて年金の水準を下げる「マクロ経済スライド」も2年連続で実施され、伸び率は抑えられるため、年金の実質的な価値は目減りする。
厚生労働省が24日、20年度の年金支給額を発表した。国民年金は、満額で月6万5141円となり、19年度より133円増える。厚生年金は、平均的な収入で40年働いた夫と専業主婦のモデル世帯の場合で月22万724円(夫婦2人分)となり、458円増える。
給食の月間週刊
娘の今日の給食は「豚骨ラーメン」とか。
昭和30年代の給食はとっても貧しかったような気がしています。
ミルク、マカロニー、鯨、味のフライはいまだ苦手
給食が食べられなければ、残っていたものを全部食べさせられたものです。
それほどに食事は大切とされた教育だったのでしょう
容器は、アルミマイトで事業中でも
アルミマイトの音がかしゃかしゃして耐え難いほど恥ずかしかったものです。
それがいまだにトラウマにもなっているみこちゃんでもあります。
当時のパンは、硬くて食べにくいロールパン
近所の子供が休むと、わら半紙にパンを包んで持っていきましたっけ。
それを家族が食べて完食は当たりまえ
当時はキャラメル状のマーアガリンが主流でした。
おいしかったのが何といっても揚げパン。
これといったびょうきもなくけんこうそのもの…。
田舎のお店といえば、アンパン、クリームパン、蒸しパン、ロールパンくらいしかきお
くにない。
人生の最終章においてお礼の意味もかねて
地域のごみステーションのお片付けをして
気が付けば、はや二十数年の歳月
健康保持のためにも感謝でいっぱいでございます。
昔の給食レシピを再現!②【昭和30年代前半】
昭和30年代の学校給食の献立を見ていくと、ほとんどが「パン、ミルク、おかず」とい
う組み合わせです。
おかずといっても、今では副菜として考えるサラダやあえ物のみという場合や、パンに
は合うと思えない煮物や煮豆、おでんなどが登場します。
そこで、昭和31年の給食として「パン、ミルク、大根のふろふき」(597kcal)を再現し
てみました。
えっ?パンにふろふき大根?!とギョッとした方もおられると思いますが、当時の学校
栄養士の記述には、【子どもは食べ慣れない料理には手をつけない傾向があるので、パ
ンに合う目新しい洋風料理よりも、家庭料理をアレンジして組み合わせている】とあり
ます。
つまり、昭和30年代の家庭料理は和食が主流だったので、子どもたちは和風のおかずの
方が食べてくれた、ということでしょう(現代っ子と逆ですね…)。
このふろふき大根には、缶詰の鯨肉、煮干粉、にんじん、大根の葉を入れた特製甘みそ
がかかっています。
また、60~70代の方に「好きな給食」をアンケート調査したところ、1位は「カレーシ
チュー」でした。
そこで、「パン、ミルク、カレーシチュー」(659kcal)も再現してみました。
昔の給食レシピを再現!②【昭和30年代前半】
このカレーシチューには、脱脂粉乳と当時安価だった鯨肉が使われています。
シチューというよりも汁物に近く、カレー粉と塩で味つけされています。
また再現して気づいたのが、コッペパンの巨大さ!
昭和30年代に多く見られた小麦粉重量100g(現在は約40g)のパンを再現すると、子ど
もの顔ぐらいある大きなコッペパンになりました。
当時の記録では、特に農村部でパンが大歓迎されている様子が出てきます。
子どもたちは残したパンを大事に家に持ち帰り、兄弟たちに分け与えていたようです。
昔の給食レシピを再現!②【昭和30年代前半】
さて、こちらは昭和31年、愛知県豊橋市の小学校で撮られた写真です。
パンを一生懸命ほじっていますが、何をしたいのでしょうか(笑)。
給食指導も大変そうです。
巨大なコッペパンの思い出を聞くと、「中が焼けていなかった」「パサパサしていて喉
を通らなかった」「大嫌いな福神漬けをパンの中に詰め込んで家に持ち帰った」などが
ありました。