見取りは人間としての大切な営み!

   ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

おはようございます。

雨の温かい朝にほっと一息。

昨日は久しぶりに子供たちのはじけるような笑い声に元気をもらう。

  ネットのカードで買い物をしようとするとエラーメッセージが出て

もう一度やり直すと正常に買い物ができてしまうが

カードは盗まれている。

 みこちゃんは母を 若くして見取り

元気なころは、会話もなかった父を94歳でみとりました。

 見取りを通していろんな人生の学びを体験し、仕事に対する姿勢感まで変えてくれる

ほどの体験も経験してきました。

母が死にゆくとき「みいちゃんお父さんを頼む」と

消え入るような声で告げられ、そんなことできようはずがない。

 これも若気の至りといえばいえるのかもしれませんが

我が家の大黒柱は母のワンパワーで過ごした関係から

父の生活感が理解できず、この価値観を埋めることは

この世に生存する限りありえないだろうと、正直なる乾燥!

それが病を得た父と長く接するうちにその息遣いまで

察知できるようになり、父が体をゆだねるようになったころから

父としてではなく人間としていつしかいとおしく思えるようになり

父との信頼関係もこの時を境に、何の壁もなくなっていました。

 父が病気になってからは寝床についてゆっくりねむるようなことはなかった。

 今は一番大切にされなければならない時期を

病院、人にゆだねることでその子供たちも自然死にゆく

姿、苦しみに寄り添う機会も失われ

死んだら冷たく、汚いものと定義づけられるようにもなり

悲しい限りです。

 両親は常に迷惑はかけられないとの思いは強くしてきていることも

配慮が欲しいものです。

93歳の母の最期を娘が「美しい」と感じた理由 -

人はいつか老いて病んで死ぬ。その当たり前のことを私たちは家庭の日常から切り離し

、親の老いによる病気や死を、病院に長い間任せきりにしてきた。結果、死はいつの間

にか「冷たくて怖いもの」になり、親が死ぬと、どう受け止めればいいのかがわからず

、喪失感に長く苦しむ人もいる。一方で悲しいけれど老いた親に触れ、抱きしめ、思い

出を共有して「温かい死」を迎える家族もいる。それを支えるのが「看取り士」だ。多

くの人が人生の最期は、家族にはできるだけ迷惑をかけたくないと考える。しかし、自

宅で93歳の母を看取った長坂幸子(56歳)は、それは心情的に理解できるが、本質的に

は思い違いだと考えている。彼女が看取りを通してたどり着いた境地とは何か。姉妹の

絆を深めた介護と「人生の完走式」

「私の母(中略)は皆様の温かいご声援を胸に、去る3月10日の夜、93年の人生マラソン

のゴールテープを無事に切ることができました」

長坂幸子は、母親の「人生完走式(葬儀)」のチラシを、マンションの掲示板に貼った

。2人で暮らしたマンションの集会所でこの式を行う知らせだった。2019年3月のこと。

その行間にはすがすがしさが匂い立つ。?

一方で、約8年間もの介護を終えた長坂はなぜか、85歳まで元気だった母親がピンピンコ

ロリと急逝していたら、自分はきっと長い間後悔し続けたはずだと続けた。

理由は2つある。当時の自分は仕事最優先で、母親の世話になりっぱなしだったこと。ま

た、長い介護生活は山あり谷ありだったが、その過程で深く関わった人たちとの絆が、

長坂の人生を豊かにしてくれていることだ。

その1つに2歳下の妹との関係もある。

「妹は母に似て几帳面なんです。しっかり者の2人に挟まれると、率直に言って、私はと

ても息苦しく感じることもありました」(長坂)

だが、鍼灸師の妹は時折訪ねてきて、はりで母の免疫力を高めたり、体調の変化を機敏

に察し、病気を早期に発見してくれたりした。

とくに最後の1カ月は、月曜から木曜は長坂、金曜から日曜は妹と分担して、母親に寄り

添った。長坂の妹の了解を得て、妹から長坂へのLINEを一部紹介する。2019年2月頃のも

のだ。

「外の冷蔵庫(冬のベランダのこと)の白菜と人参のだし煮をお昼に使ったけど、よか

った??かれこれ1週間も経つし、だいぶ気温も上がってるからヤバイと思って????」

生活感あふれる内容だ。同時に、長坂の言葉を借りれば、「母を仲立ちにして、姉妹の

絆を深めることができた濃密な時間」でもあった。

誰もが、人生の最後は家族に迷惑をかけたくないと考える。しかし、老親の急逝によっ

て、家族にグリーフケア(身近な人と死別して悲嘆にくれる人が、立ち直れるように支

援すること)が必要になることもある。逆に長坂のように、濃密な介護が姉妹の絆を深

めることもある。ピンチはチャンスにもなりうる。

長女が抱えていた看取りについての不安

長坂の母親が、末期の乳がんを告知されたのが2018年6月。2019年2月には、往診医から

「桜を見るのは難しい」と言われて、事態は急展開する。

母親は85歳まで自転車に乗って、買い出しに行くほど元気だった。仕事一筋の長坂のた

めに食事をせっせと作りながらも、合唱や俳句、写真撮影などにも出かけ、日々の生活

も楽しんでいた。

何事も1人でてきぱきと片付け、寝たきりになる前に遺言状を書き、葬儀社も決めていた

ほど用意周到な女性。だが、自尊心ゆえに病院も施設も嫌がる母親を前に、長坂は自宅

で看取るしかないと決意する。

「ですが、私と違ってしっかり者で几帳面な母が、人生の最後に私にきちんと甘えてく

れるんだろうか。もしも甘えてくれるとしても、私が母をしっかりと受け止められるん

だろうかと、もう不安ばかりでしたね」

長坂は知人の紹介で、愛知県内で行われた柴田久美子(日本看取り士会会長)の講演会

を、妹と2人で聴きに出かけた。在宅看取りを勧める柴田の話を聴き、最後は看取り士に

依頼することを姉妹で決めた。

鉄工所を経営していた父親は、63歳のときに脳溢血ですでに他界。姉妹2人で、自宅で看

取るのは初めてだった。

相手の心を解きほぐす呼吸合わせの練習

「一緒に呼吸をしますね」

看取り士の西河美智子(57)は、長坂の93歳になる母親が「苦しい」と言うので、そう

話しかけた。しばらく西河が呼吸合わせを続けていると、母親が、「ああ、楽……」と

つぶやくのを、長坂は確かに聞いた。寝たきりになって約3週間、苦しむ表情しか見てい

なかった分、思わず空耳かと疑ったほどだ。

2019年3月の初め、母親が旅立つ8日前のマンションの一室でのこと。和室に置かれた介

護用ベッドに、長坂はあぐらをかいて座り、その右太ももに母親の頭を乗せ、自身は前

かがみで顔を近づけて呼吸を合わせていた。

長坂の妹と、西河ともう1人の看取り士はベッドを囲み、母親の腕や脚を手でさすりなが

ら、2人の呼吸に合わせていた。看取り士が勧める「幸せに看取るための4つの作法」の1

つ。本人の体に触れながら呼吸を合わせる。本人と家族との間で一体感と安らぎを生む

のが目的だ。

実は当日、長坂姉妹も事前に西河の太ももに頭を乗せ、その呼吸合わせを体験済み。長

坂の感想は「こんなに気持ちいいもんなんだ」だった。

筆者も以前、体験させてもらったことがある。元看護師でもある西河の右太ももに頭を

乗せると、彼女が顔を20センチメートルほどに近づけ、呼吸を合わせながら、右腕を柔

らかい手で触れてくれた。

すると、当時53歳のオッサンである筆者は、まるで母親の胸元で抱かれていた、赤ん坊

の頃に還ったように両肩の力が抜け、両頬が自然と緩んだ。西河からその状態で「大丈

夫」と声がけされると、こんな穏やかに看取られるなら死ぬのはそう怖くないかもしれ

ない、と思えた。

西河は、当日の長坂姉妹との練習をこう振り返った。

「姉妹のお2人にも呼吸合わせを体験していただいて、これで穏やかな看取りができる環

境が整ったなと確信しました」

母親から引き出された感情

人一倍元気でしっかり者だった母親が、最後は自分に甘えてくれるのか。もしもそうな

ったら、自分が母親をきちんと支えられるのか――。長坂にとって最大の不安は、最後

の1カ月で順を追って和らいでいく。

母親を介護ベッドから起こす際、長坂が母親を抱き起こしていた。だが、長坂はある時

ふと母親が全身をぷるぷると震わせながら、渾身の力で自分にしがみついていることに

気づいた。母娘の立場がすっかり逆転していた。

その瞬間、長坂は「自分が母親を抱いている」のではなく、「私が母親に抱きしめられ

ている」と直感し、心が激しく揺さぶられた。物心ついてから、母親にそれほど強く抱

きしめられたことがなかったからだ。

「あの、しっかり者の母が今、私にすべてを委ねてくれている。そのことに気づいたら

切ない反面、無性にうれしかったですね」

さらにポータブルトイレで用を足すのも難しくなり、介護パンツに一本化したときには

、再び予想外の発見があった。

「母のうんこも、『あっ、やられたぁ?』ではなく、『この世話も私にやらせてくれるん

だ!』って、素直に、歓びをもって受け止められました。そんな自分にまずびっくりし

て、感動しました。やはり妹も同じように、『(母が)私たちにやらせてくれたんだね

』と感じていたんですよ」

あの母親がエゴも羞恥心も全部捨てて、赤ん坊に還ったような姿でそこにいて、彼女と

向き合うことで、ストローでちゅーっと吸引するみたいに、私の内側から引っ張り出さ

れた感情でした、長坂はそう強調した。

こちら

一呼吸置いて、今度は一転して穏やか口調で彼女はこう結んだ。

「人がエゴやプライドを失っていくことは美しいからです。私の慈愛の感情は、そんな

母を受け止めることで生まれたんです。家族で看取る醍醐味は、それを手と体を使って

体感できること。逆に親から見れば、家族に『迷惑をかける』ことにより、『与えられ

るものもある』ということです。この体験を、皆さんとも分かち合えたらと思うんです

母親が急逝した夜、長坂宅に駆けつけた看取り士の西河も、彼女の「人がエゴやプライ

ドを失っていくことは美しい」という言葉遣いがいちばん心に残ったと、ほほ笑みなが

ら言った。

「私も初めてうかがった表現でした。お看取りをお手伝いする中で、私たちも依頼者の

方々から毎回そうやって教えていただくんですよ」と。

取材を終え、最寄り駅まで3人で夜道を歩いた。通常は看取りを終えると、依頼者と看取

り士は会わない。今回は取材ゆえの特別なケース。長坂と西河は、知らない人が見たら

親友か幼なじみかと思うほど楽しげに、肩を寄せておしゃべりを続けていた。

(=文中敬称略=)

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