令和に思いやりのお花が咲いてほしいものです!
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
今日の朝は、厚い雲間の今にも泣きだしそうなお空です。
わが家の深夜はとても賑やかです。
食用ガエルが夜になると「モー、モー」と
鎮守の森にこだまするかのような低温が響き渡ります。
かえるって夜行性なのでしょうか?
池には蓮も随分繁殖し、心に形作られた池の
賑わいは心に新風まで感じております。
かつてから思いやりはどのようにして育つのだろうと
思いを めぐらせてもいました。
生まれてから、対人なくしては暮らしは成立なんてしません
社会に出れば職場における対人関係で押しつぶされることも
一度や二度ではありません。
これをうまくクリヤーするための極意もきっと
厳しい対人関係の中から
身に着けたことも数限りなくあります。
人の希薄さだけが強調される昨今…
時として驚きをもって接する人にも出会ってきました。
さりげない思いやりが、そっと伝えられる人ではありたく思いますが
それはなかなか…!
生き抜く過程の中で、幼児教育は人間の基礎作りの
大切な機関です。
人が引き込まなくても済むような
社会に再構築してほしいものだと願うばかりです。
そのためにも過程こそが最も大切な
社会の細胞部分だと感じています。
どんなに貧しくても愛されていると思える瞬間があるだけで
どれほど救われるかしれません。
甥は幼稚園の時「おばあちゃんとお別れしました。」
この子は小さいころから般若心経はきちんと覚え
お仏壇への気持ちもよく寄せていました。
これは誰も教えたものでもなく,強要したものでもありませんでした。
この子の両親は、仏壇に手を合わせることなどほとんど記憶にありません。
おじいちゃんがなくなる前には、時間が許す限り
病院に見舞いに行き、手足を必ずマッサージして買えるような
優しい子供でもありました。
両親からは優しい思いやりを感じることはあまりありませんが
この甥のやさしさはどこからきているのだろうかと
いまだに不思議に思えています。
でも動物に対する河合が利用は、尋常とも思えないくらい
本当にいつも優しいまなざしで接していたことには感心させられたものです。
思いやりは幼いころに育つのではと常日頃感じています。
甥は不良化した時もお盆にはきちんと
仏壇に手を合わせお墓参りを欠かしたことはありませんでした。
このことから、「きっとこの子は、いつまでも暴走することなく
きっといつかは立ち直れる」と心の片隅で信じてもいました。
人を思いやるとは、どのようなことでしょうか。人を思いやることと、表面的な礼儀と
は違います。礼儀正しく振る舞うことで相手を思いやっているように見せかけることは
できますが、それは本当の思いやりではありません。子どもは親の姿から、人を思いや
る気持ちを学びます。親が、家族を思いやり、敬う気持ちを持っていれば、子どもはそ
んな親の姿から、本当の意味での思いやりの心を学ぶのです。人を思いやるとは、その
人を敬い、やさしくすることです。それは、毎日のちょっとした仕草に表れるものです
。夫婦が互いに敬い合い、子どもにもやさしく接していれば、子どもは自然にそれを学
びます。人を思いやることは、ありのままのその人を受け入れ、その人の気持ちを尊重
し、時には自分の気持ちよりも優先させることなのです。
子どもが、たとえば動物と遊んでいたり、弟や妹の面倒をみたりして、思いやりを示し
たとしましょう。そんなときには、親は必ず誉めることです。そうすれば、子どもはや
さしい心を伸ばしてゆきます。人に対する思いやりの心は、わたしたちが生きているか
ぎり常に学ぶべきものです。わたしたち親自身も、時には、家族に対して思いやりに欠
けることをしてしまいます。そんな時には、卒直に謝り、反省しなくてはなりません。
そうすれば相手も許してくれることでしょう。子どもは、そんな親の姿から、人を思い
やることは終生学びつづけることなのだということを知るのです。
思いやりの心を育てる
幼い子どもは、自分のことしか考えられません。赤ちゃんやよちよち歩きの幼児は、世
界は自分を中心に回っていると思っています。これは、幼児の自然な成長の一過程です
。幼児は、成長するにしたがって、この自己中心性を和らげていきます。人を思いやる
気持ちを子どもに教える機会は、日常生活のあらゆる場面に訪れます。先日、わたしは
、四歳と八歳ぐらいの男の子を連れたお母さんを、スーパーで見かけました。三人は、
キャットフードを買おうとカートに積んでいました。その時、一人のお年寄りが財布を
落とし、中身が床に散らばってしまったのです。大きいほうの男の子は、すぐにカート
から離れ、お年寄りに手をかしました。弟のほうは、そのままキャットフードの缶を力
ートに入れていました。そんな弟をお母さんはそっと促しました。さりげなく弟の腕に
触れて買物の手を止めさせ、そして、お兄ちゃんとお年寄りのほうへ顔を向けて、その
子に気づかせたのです。二人に気づいた弟は、お兄ちゃんを手伝い始めました。このお
母さんは、こんなふうにやさしく、さり気なく弟をしむけたのです。思いやりとやさし
さは、遊びを通して教えることもできます。
四歳のケニーとお母さんは、寝る前に部屋のおもちゃを片づけていました。お母さんは
テディベアを布団に入れながら、トントンとやさしく叩いて言いました。
「さあ、テディちやんは、これでぐっすりオネンネができるわよ」
ケニーもテディベアの毛布を掛けなおしながら言いました。
「テディ、おやすみ」
ケニーは、まるで弟のようにテディベアをかわいがっています。ですから、お母さんは
、そんな「弟」に対してやさしく接することをケニーに教えたのです。ケニーは、こん
なお母さんのおかげで、遊びながら、やさしい心を学ぶことができました。
子どもに、相手の気持ちを考えさせることも大切です。七歳のジェニーとマリアは、さ
っきまでゲームで遊んでいました。ところが、ルールのことで喧嘩になってしまったの
です。マリアは急に立ち上がり、帰ってしまいました。ジェニーは、お母さんに話を聞
いてもらいたくて、台所へ行きました。
「マリアって、ほんとに変な人なの。負けるのがいやで、帰っちやったの」
「何かあったの? いつも仲良く遊んでるのに」
ジェニーは、ルールをめぐって喧嘩になったこと、マリアが悪いのだということを話し
ました。
「そう、そんなことがあったの……」
お母さんは、考えながら言いました。
「でも、その時マリアはどんな気持ちだったのかしら」
「え? 何が?」
ジェニーは少し驚いたようです。そして、しばらく考え込んでから言いました。
「あたし、マリアに電話する」
ジェニーはマリアと話しました。そして二人とも悪かったということで、仲直りしまし
た。きちんと話し合うことができたのです。二人は、また同じようなことが起こったら
、その場できちんと話し合って解決できることでしょう。
このお母さんは、マリアのことをジェニーの大切な友だちだと思っていました。そんな
お 母さんのおかげで、ジェニーはマリアの気持ちを思いやることができたのです。そ
して、大切な友情を保つことができたのでした。
子どもは、一人ではなかなか思いやりの重要さを学べません。親が導かなくてはならな
いのです。思いやりの心は、子ども時代に学ばなければなりません。大人になってから
ではとても苦労してしまうことでしょう。
ものの言い方
子どもに思いやりの心を教えるときには、親は言葉の使い方、特にものの言い方には注
意したいものです。たとえば、
「ほら、お兄ちゃんの絵具入れが開けっぱなしよ。蓋をして」
と言うのではなく、
「お兄ちゃんの絵具入れが開けっぱなしだわ。絵具が乾いちゃうから、蓋をしてあげて
。ダメになったら、お兄ちゃんががっかりするでしょ」
こんなふうに言えば、子どもは、何かするときに相手の気持ちを考えるという習慣を学
びやすくなります。子どもに何かを頼んだり、何かをさせたりするときには、親も子ど
もの気持ちを考えることが大切です。たとえば、お父さんが、夜、家で仕事をしなけれ
ばならない時は、前もって子どもに静かにするようにと話しておくべきです。何の説明
もせずに、その時になって「静かにしろ」と子どもたちを叱りつけたとしたら、どうで
しょうか。それは、親のほうが悪いのです。
また、子どもが見せるやさしい仕草を、そのつど誉めることも大切です。
五歳のマシューは、ベビー椅子に座った赤ちゃんの妹が、おもちゃを床に落としてしま
ったのを拾いました。
「ありがとう、マシュー。いい子だね」。お父さんは言いました。
マシューは、お父さんに誉められたので、自分のやったことはよいことなのだ、これか
らもそうしようと思いました。
物を大切にし、相手のプライバシーを尊重する
家庭生活で、家族が物をどんなふうに扱っているかも、子どもの心に大きな影響を与え
ます。親が、物を大切にしているか粗末に扱っているかで、子どもの態度も変わります
。服は床に積み重ねたまま、工具は庭に出しっぱなし、ドアはバタンと閉める――これ
では、子どもも同じことをするようになってしまいます。家の中の物は、たとえ日用品
であっても、みな大切に扱うべきです。また、大人と同じように子どもにも無断で使わ
れたくない物があるということを、親は忘れてはなりません。
子どものプライバシーを守ることは大切です。子どもも幼いうちは、身支度からお風呂
まで親に助けられなければ何もできません。それが、成長するにしたがって何でも自分
でできるようになります。だんだん自分の身体への意識も強くなり、プライバシーが必
要になってきます。たとえ親といえども、子どものプライバシーは守るべきです。また
、子どもに、他人のプライバシーを守るように教えることも大切です。たとえば、人の
部屋に入るときにはノックして返答があるまで待つといったようなことです。これは夫
婦のプライバシーを守ることにも通じます。思春期にさしかかった女の子には、特にプ
ライバシーが必要になります。親だけでなく家族のみんなにも、その意識が必要です。
もし、兄弟姉妹や叔父叔母などが身体の変化をからかったりしたら、厳しく注意するべ
きです。この時期の女の子には、周囲のあたたかい理解が何よりも大切なのです。
子どもは両親の関係を見ている
子どもに大きな影響力をもつのは、両親の夫婦仲です。子どもはよく見ています。口で
はどんなに縞麗事を言っても、実際にどんなことをしているかのほうが、ずっと子ども
に影響するのです。
八歳の双子のアンとエミリーは、一日中喧嘩をしていました。とうとうお母さんが痺れ
を切らして叫びました。
「もう、やめなさい。いいかげんにしなさい!」
アンとエミリーは、驚いてお母さんの顔を見上げました。そして、アンがこう言ったの
です。
「でも、ママとパパだって、いつも喧嘩してるじゃない。どうして、あたしたちだけが
怒られなくちゃならないの」
お母さんは、言葉を失いました。まさか、子どもにこんなことを言われるなんて思いも
しなかったのです。でも、たしかにアンの言うとおりです。
子どもは、親の口調や仕草や表情をよく観察しているものです。喧嘩をしなければいい
、という単純な問題ではありません。大切なのは、夫婦が日頃からどのように互いの不
満を解消し、対立を解決しているか、そのコミュニケーションの取り方なのです。
相手を思いやる気持ちは、ちょっとした仕草や口調に表れるものです。たとえば、わた
し たちは「ありがとう」「悪いね」「ごめんなさい」といったやさしいことばを日頃
から口にし、互いに助け合って暮らしているでしょうか。そんなお父さん、お母さんの
姿を見て育てば、子どもは、それが人と人とのつきあい方なのだと思うようになるので
す。
違いを認めて人を敬う
将来、子どもは成長して、異なった信条や人種や習慣の人々と一緒に生きてゆくことに
なります。家庭のなかでも、家族一人ひとりの個性や違いを認め、尊重し合って暮らし
てゆきたいものです。そんな家庭で育てば、子どもは、偏見のない人間に成長するに違
いありません。
普遍的な人間性を信じられる人間に成長してほしいと思います。たとえ人種や信条が異
なっていても、人間が人間として持つ夢や願いはみな同じです。それが理解できる、偏
見や差別意識のない大人に成長してほしいとわたしは強く願うのです。人を敬うことの
できる人間は、人からも敬われます。そんな大人になれるように、親は子どもを敬い、
思いやりを持って育てたいものです。
昔から賢者や聖者が言っているように、毎日の暮らしのなかでのほんのささいな親切や
思いやりこそが、人生の大いなる幸福につながるのです。
子供が育つ魔法の言葉一覧へ
カテゴリー
詩「子は親の鏡」
1. けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
2. とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
3. 不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
4. 「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
5. 子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
6. 親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
7. 叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
8. 励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
9. 広い心で接すれば、キレる子にはならない
10. 誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
11. 愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
12. 認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
13. 見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
14. 分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
15. 親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
16. 子どもに公平であれば、子どもは、正義心のある子に育つ
17. やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
18. 守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
19. 和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思える
ようになる
54歳、母に添い寝し看取った息子が達した境地 -