沖縄に核が整備されていたなんて…?

   ごきげんいかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

平和を装ったかのようなおだやかなひと日です。

 沖縄に核が装備されていたなんて知りませんでした。

 nhkのスクープによりこれが表面化し

多くの国民が知ることとなりました。

 「これってなんなのかしら」?

驚きは禁じ得ないものがあります。

 沖縄の歴史背景から言っても、政府の住民無視の政策がとられ続けられていた

ことにショックは禁じ得ないものがあります。

 終戦記念日だってどうなんだろう…?

 防衛問題は機密事項として処理されている政策にも疑念ばかり…?

機密事項の元、防衛機器はベールの中で主導され

国民は結果しか知らされない「知る権利無視」が横行!

国の主権者は国民。

では、海外でも終戦記念日は8月15日なのでしょうか。

連合国側であるアメリカ、イギリス、フランス、カナダでは大日本帝国政府が公式にポツダム宣言による降伏文書に調印した1945年9月2日を指すことが多く、その日を対日戦勝記念日(VJ Day)と呼んでいます。

また、同じく連合国の中華民国(現台湾)、連合国ではない中華人民共和国では9月3日が対日戦勝記念日とされています。

連合国ではない、朝鮮半島では日本統治から正式に解放された日付は9月2日ですが、VJ Dayにあたる光復節(韓国)と解放記念日(北朝鮮)は8月15日となっています。

少し複雑なのがロシアです。こちらはソビエト連邦時代は9月3日を対日戦勝記念日としていました。これは、ソビエト連邦政府が降伏文書調印の翌日に戦勝記念式典を開いたことからこの日を対日戦勝記念日としていましたが、その後ロシア連邦となっても同じく9月3日としていました。しかし、2010年7月14日に連邦議会が9月2日を「第二次世界大戦終結した日」とする法案を可決したことにより、現在では9月2日が事実上の対日戦勝記念日となっています。

核ミサイル、ナイキ・ハーキュリーズNHK提供)

アメリカ北部ウィスコンシン州にある人口8000人あまりの田舎町。トレーラーハウスと呼ばれる小さな家の中で、その男性は落ち着いた口調で私たちの質問に答え始めた。

「そう、事故を起こしたミサイルには、広島型原爆と同じ規模の威力を持つ、20キロトンの核弾頭が搭載されていました。もし核爆発を起こしていたら、那覇の街が吹き飛んでいたでしょう。本当に恐ろしいことです」

58年経って初めて、事故にかかわった当事者が語る

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ロバート・レプキー氏

男性は、元アメリカ陸軍の兵士、ロバート・レプキー氏(81)。レプキー氏は、1950年代末、沖縄に配備されていた核ミサイル、ナイキ・ハーキュリーズの部隊に所属し、核弾頭を含むミサイル全体の整備を担当していたという。

その事故が起きたのは、1959年6月19日。場所は、人口が集中する那覇に隣接した基地(現在の那覇空港がある場所)。訓練の最中、1人の兵士が誤った装置をミサイルの電気回路に接続したため、ブースターが点火。ナイキミサイルは水平に発射され、そのまま海に落下。巻き込まれた兵士1人が即死した。

そして、このミサイルには、レプキー氏が自ら整備した核弾頭が搭載されていたというのである。アメリカ本土からやってきた事故調査団は、現場の兵士たちに、「事故についてはいっさい話すな」と命じたたため、レプキー氏はこれまで事故については誰にも語ることはなかったという。

沖縄の地元紙を見ると、事故が起きた直後、「ミサイル発射寸前に発火」という米軍当局の発表を報じる記事が出ているものの、事故を起こしたのが核兵器ナイキ・ハーキュリーズであることはおろか、実際に核弾頭が搭載されていたことはいっさい書かれていない。58年経って初めて、事故にかかわった当事者がテレビカメラの前で、その詳細を明かしたのである。

ひそかに沖縄に配備された核兵器

沖縄に最初に核兵器が配備されることになったと見られるのは1953年。この年、軍人出身のドワイト・アイゼンハワーが大統領に就任する。その年の7月、朝鮮戦争への対応を話し合うNSC国家安全保障会議)で、アイゼンハワーが発した決定的な言葉が、最高機密指定の議事録に残されている。

「極東の空軍能力を増強せよ。緊急時の使用に備えて、核兵器を沖縄に配備する」

当時、アメリカは、ソビエト連邦を中心とする共産主義陣営との冷戦の真っただ中にあった。アイゼンハワーは、ソ連に比べ技術的に優位を保っていた核兵器を積極的に用いる方針を打ち出した。

しかし、当時はまだICBM大陸間弾道ミサイル)やSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)など、長距離核攻撃を行う技術が開発されていなかったため、アメリカ軍は核兵器を前線基地に配備する必要があった。そこで選ばれたのが、アメリカの統治下にあり、かつ、朝鮮半島や台湾といった共産圏との対立を抱えた地域に近い沖縄だったのである。

ひそかに沖縄に配備された核兵器。その影響を直接受けることになった小さな島がある。沖縄北部、全国的な人気を誇る、あの「美ら海水族館」のすぐ対岸に浮かぶ伊江島である。

伊江島NHKスペシャル『スクープドキュメント 沖縄と核』は9月10日(日)夜9時から放送です

アイゼンハワーが大統領に就任した1953年、伊江島では、米軍による土地接収の通告がなされた。軍は、人々の家や畑を取り壊し、戦闘爆撃機が訓練を行う爆撃場を造った。

今回見つかった文書には、この爆撃場で「LABS(ラブス=低高度爆撃法)」の訓練を行うと記録されている。調べていくと、このラブスとは、当時開発されたばかりの核爆弾の投下方法であった

 多くの命を瞬時にして奪った日本に核兵器が整備されていたなんて… …?

気持ちのやり場のない偽善に包まれた日本!

「沖縄と核」の歴史、戦後の知られざる真実 -

http://toyokeizai.net/articles/-/277612