チキンラーメン誕生の秘話!

     ご機嫌にかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

  春に向け温度が急上昇…

推薦の甘い香りが鼻をくすぐって優しい香りを届けてくれてます。

 NHKの朝ドラ【満腹】は、日清食品の安藤さんのチキンラーメンが題材として

登場しています。

 8回もの紆余曲折を乗り越えて成功したチキンラーメン

これは食糧難からようやく脱しようとしていた時期だけに

あまりにも画期的でそのおいしさに日田鼓と

誰でも気軽においしく食べられる画期的なラーメンファンは多かったはず…

カップヌードルは昭和の食品の大ヒットとなりました。

60年の歳月、残り続けたチキンラーメン

戦後の日本は食糧難がひどい状況であり、栄養失調で命を落とす人が続出していた。安

藤はそんな光景を目にして「衣食住の食が満たされなければ、結局人は幸せになれない

」と痛感したのである。

・破綻をきっかけにインスタントラーメンを開発

その後安藤は理事長を務めていた信用組合が破綻したことをきっかけに、全財産を失っ

てしまうのだが、そこで今こそ食に携わる仕事をしたいと決意。以前に寒空の下でラー

メン屋に行列を作る人達を見てきた安藤は、ラーメンに大きなビジネスチャンスがある

と確信し、お湯があれば家でもすぐに食べられるラーメンを開発することにしたのであ

る。

・あまりに壮絶な開発の日々

安藤はインスタントラーメンを開発するために、借家の庭に小屋を立建て、そこにこも

りきりでインスタントラーメンの開発研究を続けていた。たった一人で材料から器具ま

ですべて調達し、一日平均4時間睡眠、365日無休というあまりにも壮絶な環境だったが

、インスタントラーメンを開発するために全身全霊を注ぎ込んでいたのである。

・料理経験は皆無

しかも安藤はほとんど料理経験がなく、麺作りに関しては完全なる素人であった。何度

も試作品を作っては失敗し、それでも挫折することなく少しずつ改善を繰り返し、天ぷ

らをヒントにしてインスタント麺の製造方法を考案。1年越しでチキンラーメンを完成さ

せたのだ。

・時代背景とマッチし大ヒット

チキンラーメンが完成した1958年は共働きや核家族が増え始めた時代であり、スーパー

マーケットも全国にでき始めたタイミングだった。価格はうどん1玉と比べて6倍近く、

販売当初は反応が悪かったものの、一度食べた人は味の良さと便利さに感動し、瞬く間

に大ヒット商品となったのである。

安藤が挫折せずに1年でチキンラーメンを開発させていなかったら、もしかしたらインス

タントラーメンやカップ麺はこの世に存在していなかった可能性さえあったはずだ。

 そんな父が7回仕事に失敗して8回目に成功したのがインスタントラーメンです。五

つの原則があります。まずおいしいこと。そして簡単に調理ができること。さらに家庭

に常備されるように保存性が高く、加えて安全で衛生的なものであること。最後に値段

が手頃なこと。

 いま、この原則を振り返ると、世間の役に立つもの、という点で一致しています。戦

後の食料不足、日本の経済成長期の多忙さの中で、省力・省時間を実現する商品だった

から受け入れられ、そして役だったことと思います。

戦争世代の食で平和な世の中を作るという強い志を感じながら読みました。48歳での挑

戦。安藤さんはレイ.クロックと同じく遅咲きだけど、圧倒的な功績を残したレジェンド

ですね。自分の人生のタイムラインをはるかに超える大ヒットを作れる人は本当のアー

ティストだと思う。 #今日の一冊 #魔法のラーメン発明物語 #安藤百福

「執念でやれば必ず」口癖の父、安藤百福 私は胃潰瘍

http://www.asahi.com/articles/ASM3N5K4WM3NULZU00V.html

   我が心のエッセンス。

.人はなにか一つのことに気狂いにならなければ、とうてい人並み以上にはなれない。