生むのも大変、うまないのもたいへん!

     ご機嫌いかがでしょうか。

 視界ゼロのみこばあちゃんです。

羊水検査で「ダウン症」が判明したなら

95パーセントの人が中絶を選択されるそうです。

従妹の親戚先では、恋愛結婚でありながらダウン症

子供ができたとたん離婚したケースもあります。

 みこちゃんは思う!

 親亡き後の子供の心配もあるでしょう。

 親亡き後の兄弟が「ダウン症」の兄弟を引き受けられる過程に育っているか否かも問

題です。

障害家族として受け入れがたく、苦しむ兄弟だって

沢山いるはずです。

 第一に本人が笑顔で過ごせるかぞくでなければならない!

 両親が初めから障碍児を受け入れて共に生きる家庭でない限り

有無不幸もないとは言えない。

 社会環境が昔よりずいぶん変わり

はるかに暮らしやすい環境整備が整いつつある

半ばともいえます。

 公的機関が障碍者雇用を避けてきた歳月もあることは

動かしがたい事実でもあります。

自己や病魔でいつ不自由を余儀なくされるかわからない現実も

いつも傍らに潜んでいることだけは押さえておきたい。

●「2016年に体外受精で妊娠した。赤ちゃんにもし障害があるなら、早くわかれば

時間をかけて準備もできるだろうと思い、新型出生前診断を受けた。不妊治療の末に授

かった高齢での妊娠なので、どのような結果でも受け入れて産むつもりだった。しかし

、最終的にダウン症という結果が出ると、様々な不安が押し寄せ、中絶へと傾いていっ

た。当時、重要な資格試験が迫っており、医療ケアの必要な子どもの育児とは両立でき

ないと思った。女の子だとわかっていたので、将来、性被害を受けないかも心配だった

。悩む中で、様々な精神的葛藤があった。自らの障害者に対する偏見にも気づかされた

。知的障害のある子どもを産めば、夫婦だけでなく親族みなが偏見の目でみられるので

はなどと考えたからだ。遺伝カウンセリングではダウン症の子どもの知的・身体的特徴

については説明があったが、私たち夫婦がもっとも知りたい点についてはほとんど何も

情報が得られなかった。ダウン症の子どもをどうやったら育てていけるのか。保育園・

幼稚園、学校はどうなるのか。成人後の住居や生活費はどうなるのか。老後はどうなる

のか、といった点だ。中絶後に死産した子どもと対面し、悲しくて号泣した。出生前診

断を受けていなければ、ダウン症を受け入れ、子どもを育てていたかもしれない。自分

の体験からは、新型出生前診断を受けるのは『染色体異常がある場合は産まない』と事

前に決めている場合に限った方がいいのではと思う」(東京都・40代女性)

   と応用経済よりの引用。

出生前診断で「判明」、それでも私が産んだ理由 -

「この子の将来を考えるためにも診ましょう」「正直、当時はお腹の子どもに聞きたかっ

たですね。『お前は生まれてきたいのか?』って」

お菓子を夢中で頬張る倖太くん(5歳)を見つめながら話すのは、父親の矢口貴史さん(

44歳)だ。

母親の紀子さん(41歳)が、36歳のとき、妊娠9週目の健診で医師から首のむくみを指摘

され、精密検査を受けることになった。そこで胎児にはダウン症の多くの特徴が認めら

れ、「ダウン症でほぼ間違いないだろう」と言われたという。

確定させるために出生前診断を勧められたが、矢口さん夫婦は一度、その申し出を断っ

ている。

「最初から何があっても、産もうと話していました」と貴史さんは、すっきりとした表

情で話し出した。

「だから出生前診断を受ける意味はないのかなと思い、一度は断りました。でも先生に

ダウン症であれば、出産後に合併症が見つかる可能性が高いので、この子の将来を考

えるためにも診ましょう』と言われ、受けることにしました。そうすると結果はやはり

ダウン症でした」

ダウン症などの出生前診断が一般的になり、より確実に病気の有無がわかるようになっ

ている。今から約6年前にスタートした新型出生前診断では、診断を受けたのが一部の妊

婦に限られることを差し引いても、陽性となった約95%の妊婦が中絶を選択する事実も

明らかになったところだ。ダウン症の「ある」「なし」によって決断する。そうした時

代になっている。

出生前診断の一歩手前、受精卵の段階で病気の有無がわかる着床前診断も広がりそうだ

。日本産婦人科学会によって審査の迅速化、対象の拡大化が進められているからだ。

私たちはいや応なく、こうした現実に直面せざるをえない状況に遭遇する。顔を背ける

ことが厳しくなってきており、より真剣に向き合わなければいけない問題として、今後

、私たちに降りかかってくることになるのは必至だ。

胎児診断専門施設「クリフム夫律子マタニティクリニック臨床胎児医学研究所」(大阪

天王寺区)を開設した夫律子(ぷぅ・りつこ)医師に話を聞いた。

「ここでは妊娠初期、中期、後期に分け、超音波画像による “胎児ドック”を行ってい

ます。赤ちゃんを診たうえで、妊婦の胎盤の一部を採取する絨毛検査や羊水検査を選択

するかどうかも決めることができます」

最先端の超音波検査と長年培ってきた技術によって、赤ちゃんの状態をより詳しく診る

“胎児ファースト”をモットーとしている夫医師。元気な赤ちゃんの姿を見て喜ぶ母親

がいる一方、厳しい現実を突きつけられる母親がいることも忘れてはならない。夫医師

は数多くの出生前診断に向き合うカップルをサポートしてきた。

「陽性を受けた妊婦の95%は中絶を選択するといわれていますが、その陰では何十人、

何百人の方が涙を流してきたかを知ってほしい。生まれてきた子どもの面倒を見るのは

母親、両親です。両親の選択を誰も責める権利はありません。育てるのは大変なことな

のです」

何らかの障害があって生まれると、確かに母親の負担は増加する。実際に脳性麻痺児を

抱える私も、リハビリや定期的な健診が必要になり、日常生活とのバランスをとるのが

難しい。さらに医療的ケアを要する子どもの場合、今の日本では保育園に預けることも

厳しく、母親が就労することも難しいのが現状だ。

5%の母親たちがわが子を受け入れるまで

出生前診断によって厳しい現実を突きつけられ、95%のカップルが悲しい選択をする一

方、5%のカップルは変えられない現実にもがき、苦しみながらも受け入れていることを

忘れてはならない。

出生前診断でわかる染色体異常の中で、最も多いのがダウン症だ。ダウン症とは、染色

体の突然変異によって起こるものとされている。通常、22対の常染色体と1対の性染色体

があり、合わせて計46本の染色体を持っているが、ダウン症の場合、21番の染色体が通

常2本のところが3本になっているのだ。特性として、筋肉の緊張低下、特徴的顔貌、発

達遅滞などが見られ、全体的にゆっくりと発達する。800~1000人に1人の割合で生まれ

てくる。

それが事前にわかりながらも、産む決意をした親たち数人の声を聴くことができた。

私は失礼ながら冒頭の矢口さん夫婦に、「なぜ、産もうと決断できたのか」を聞いてみ

た。貴史さんは「だって何があってもわが子ですから」と迷いなく答えてくれた。親で

あれば誰しもが思う自然なことに変わらない。しかし、それを受け入れるのはそう簡単

ではないはずだ。

お腹の子どもがダウン症とわかってから、ダウン症は世間でどう思われているのか、そ

れを知るために、貴史さんは会う人会う人に「お腹の子どもがダウン症なんです」と告

げたという。しかし、貴史さんの予想とは裏腹に「かわいそうに」「中絶するんでしょ

」といった心ない言葉が返ってきたそうだ。

「そのときは落ち込みました。親戚に医者がいるんですが『当然、中絶するんでしょ』

と言われ、『産むつもりです』と答えると、『何のために出生前診断を受けたの?』っ

て聞き返されたこともありました。これだけ言われると落ち込みますよね。最後は意地

になっていた部分もありましたね、どこかでダウン症を肯定してほしいっていう。

でもある日、いつものように『お腹の子どもがダウン症なんです』と告げたら、案の定

『かわいそう』と言われ、はっと気がつきました。あ、この人のところに生まれてきた

らかわいそうなんだなって。僕らのところへきて正解だったってわかったんです。

自分も含めてですが、自分の子どもに障害があるとわかるとどうしていいかわからなく

なる人がほとんどです。その状態で医者に『出生前診断を受けますか?』と言われると

、『はい』と答えざるをえない。だって知識もなく、あるのは大変、不便といったイメ

ージだけ。そうなると、やはり選択の幅は狭くなると思うんです」

一方、「産む」という決断をしたものの、妊娠中、不安は隠せなかったと妻の紀子さん

は振り返る。

「不安が増すので、ネガティブな情報は集めませんでした。またダウン症に関して無知

からくる不安があったので、まずはダウン症のことを知ろうと思い、ダウン症の子育て

ブログを見たり、実際に育てているお母さんたちと知り合いになり、ダウン症に関する

情報を集めました。

出会ったお母さんたちみんな明るくて元気なんです。今までいた狭い世界からどんどん

新しい世界が広まり、楽になったのを覚えています。当時は不安もありましたが、今は

ほかの姉弟と変わらずとても大切でかけがえのない守るべき存在です」

成人する10年後、20年後の福祉は未知数

取材中も時折クシャっとした笑顔を見せながら、私に近寄り、拙い言葉とジェスチャー

で必死に何かを訴えてきてくれる倖太くん。夫婦には3人の子どもがいる。倖太くんは2

番目の子で長男だ。

「弟はまだ小さいのでわかりませんが、お姉ちゃんは薄々気がついていますね。ダウン

症っていうことまではわかりませんが、倖太は周りの子どもに比べると言葉が遅いので

、そこに関しては疑問を持っているようで、今は簡単に『耳が悪いからだよ』って言っ

ています。

もちろん不安はありますが、今は何とかなるかなって思います。将来はあまり考えない

ようにというか、今、考えても仕方ないかなって思いますね。10年前、20年前と比べて

福祉を取り巻く環境がガラッと変わったように、この子が成人する10年後、20年後はど

うなるかわからないので」

ダウン症の子を持った夫婦は次の子を持つかどうか、その悩みに直面する。

「弟さんのときは、不安はなかったのですか?」と質問してみた。すると紀子さんは「

もちろんありました」と答え、一呼吸置き「でも出生前診断は受けませんでした。倖太

と違い、超音波検査で指摘されなかったのもありますが、倖太のときに出生前診断を受

けたことによって相当悩んだことも一種のトラウマとして残っているのも事実です。そ

して何があってもわが子に変わりないという思いもありましたから」

一方、「正解だったかどうかはわかりません」と、今年3歳になる樹生くんを抱きながら

、今でも悩み続けている金井めぐみさん(47歳、仮名)の話を聞いた。

「私たち夫婦は数年間、不妊治療をしていました。44歳のとき、長年に及ぶ治療の末に

授かったのが樹生だったんです。12週目の健診日の出来事です。その日はやけに先生が

長くエコーをするので、どうしてだろうと不思議に思っていたら、先生に首にむくみが

あり、染色体異常の可能性がありますと唐突に告げられました。

染色体異常といわれ、ダウン症しかイメージがない私は『ダウン症ですか?』と先生に

質問をすると、先生は『ダウン症であればまだましです。もっと重篤な染色体異常もあ

ります』と私を諭すように言いました。

最初は『まさか私が』って感じで、実感が湧きませんでした。その後、先生に確定診断

のために出生前診断を勧められ、何も考えず、というか考える余裕がなく、受けること

になりました。当初はリスクが少ない新型出生前診断をしようと思っていたのですが、

できる病院も限られ、時間的にも厳しいので羊水検査を受けることになりました」

現在の日本の法律では、22週以降の中絶は基本認められていない。新型出生前診断は血

液検査で行い、羊水検査に比べると流産のリスクもなく、急速に日本で広まりつつある

。しかしめぐみさんが検査を望んだ当時は、臨床研究段階であり、限られた病院でない

と行うことはできなかったのだ。

めぐみさんは妊娠17週で羊水検査を受けることを決意する。その結果は約1週間後の18週

、結果は陽性だった。

「なんでっていう感じでしたよね。ショックでも悲しいわけでもない。どうしていけば

いいか、どうすればいいかということが頭をよぎりました」

当時、妊娠継続するか悩んでいためぐみさんは医者に「今まで陽性で中絶を選択しなか

った人はいません。もし、継続されるのであればここでは面倒見られません」と突き放

すように言われたという。

「私は樹生を授かるまで、3回流産を経験しています。それに12週といえば、エコーで胎

児の姿が人の形としてしっかりと見え始める時期。ようやく授かった子どもに対して愛

着が湧き始めているのに、簡単に中絶の選択をすることはできませんでした。私たちに

とってダウン症だからといって諦めることはとても難しい選択だったのです」

答えを導き出せないまま、時間だけは過ぎていった。めぐみさんがようやく決断を下し

たのは中絶が可能な22週目の直前だった。

「単に中絶する勇気がなかっただけかも」

「夫と相談した結果、ダウン症は合併症が多いので、健康であれば産もうということに

なり、夫先生のところで胎児ドックを受けました」

胎児ドックにより大きな合併症は見られず、めぐみさんは産むことを決意する。樹生く

んは生まれてからも大きな病気をせず、すくすく成長中だ。

「産む決心はしましたが。単に中絶する勇気がなかっただけなのかなって思うこともあ

ります。長年不妊治療をしていたのもあり、これが最後って思って臨んだことが大きか

ったと思います。私が今より若く、受精卵が残っていたら、もしかしたら違った決断を

していたかもしれません。

こんなことをいうと倫理観が疑われるかもしれませんが、22週を過ぎて生まれるまで、

『正直、お腹の中で亡くなれば』って思ったこともありました。産んで正解だったかと

悩む一方で、実際に生まれると可愛いし、産んでよかったっていうのも本音です」

夫医師は最後にこう私に伝えた。

「私たちはお母さんの選択を尊重します。産む決断をされたお母さんには、生まれた後

にどのような選択をしていくか、極論をいえば、医療的ケアを要する子どもや手術が頻

回に必要な子どもに対して、生まれた後どのような対応をしていくかを一緒になって考

えていきます」

元気な子どもが生まれる一方で、障害のある子どもも生まれている。選択できる世の中

になったからこそ、こうした問題に寄り添って自分自身の問題として考えることが必要

になってくるのではないだろうか。

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