生前に、大切な人にお手紙を・・・。
ご機嫌いかがでしょうか。
視界ゼロのみこばあちゃんです。
今日は、あの忌まわしい東大震災から8年。
命がメディアによりしきりと報道されています。
日頃お互いを大切に思いあえるようになりたいもの!
震災関連死は今だ後を絶たないといわれています。
家族、人の木綱こそがとわれるみらい!
大切な人との死別は
残された者に多くの悲しみと、深い深い思があふれかえる時でもあります。
死別は定めでもあります。
生前の暮らしに深くかかわっていればいるほど
その切なさ、いとおしさは計り知れないものがあります。
でもこの時こそが亡き死者と濃密なる時間が過ごせる
唯一大切な別れの心のステージでもあるのだと解釈しています。
何度「恐山」に行ってみたいと思ったことでしょう。
宇曽利山湖の湖畔にある恐山菩提寺は日本三大霊場の一つであり、9世紀頃に天台宗の
慈覚大師円仁が開基した[1]。本尊は延命地蔵尊[1]。同寺は現在は曹洞宗の寺院であり[
1]、本坊はむつ市田名部にある円通寺である[2]。恐山は死者の集まる山とされ、7月の
恐山大祭では、恐山菩提寺の境内でイタコの口寄せも行われる。
山々と湯煙、そして湖
このロケーションに触れるだけでも
心が癒されるように思えます。
みこちゃんは1年くらいは、号泣の日々でしかありませんでした。
この一年は今、ふり帰れば
通過地点として大切な時間であったとも思えています。
この時期があったからこそ精神力、思いやりなどの
人生のたくましさも蓄えることができたのだと感謝でもありました。
おかげ様で今では天国に召される日を
楽しみにできるようにもなってきています。
号泣こそが、心のシャワーと思っています。
みこちゃんは、涙が出なくなるほどなくことも
心の浄化にとても良い時間であると解釈できるようにもなりました。
母は、残された者が戸惑わぬように
ノートにたくさんの事柄を書き記しても暮れていました。
これは時がたったころから、ひも解くこともできありがたい
母の思いに触れ、素直に合唱することもできてもいます。
【手を伸べて 母と語らう虹の橋】
不思議なくらい死者の夢を見ることはありません。
死別後に届く手紙「すまいるポスト」広がる共感
https://www.sankei.com/life/news/190302/lif1903020019-n1.html
我が心のエッセンス。
ある夜、五祖法演禅師が、三人の弟子と帰る途中、風のために手にしていた灯火が消え
ました。すると、法演は弟子達に「一転語を下せ」と命じます。転語とは、さとりの心
境を表す言葉です。つまり
「暗夜を行くには、灯火が何より頼りになる。それが、いま消えたのだ。さあ、お前
らはどう行くか、速やかに言え!」ということです。暗夜行路は人生を指します。杖と
も、柱とも頼むものを失った今、人生をいかにおくるか、現在の心境を問い詰めるので
す。
三人の弟子はそれぞれ自分の力量を述べます。中でも仏果圜悟の「看脚下」の一語が、
師の方演の心に適ったのです。「看脚下」---足もとをよく見よ、という平凡な言葉
です。灯火が消えたら足もとによく注意するのが何より大切です。暗夜行路も禅も脚下
---自己の凝視から一歩を踏み出します。日常の豊かな生活もそこから始まります。
(中略)
禅は、自己の中に灯を持つとの教えです。醜悪な自分の心のどん底にも、こころの点火
、こころのめざめを呼びかけるのです。はかない人間の命の中に、久遠のいのちを発見
せよと教えるのです。
どうか、愛する人を失った悲しみに自暴自棄にならないでください。
自分も死ななければならない、などと考えないでください。
今日一日のつらさだけなら十分に耐えられるものだから、あまり悲観して先を見過ぎる
ことなく、一日一日しっかり足元をみてください。